こんなトコに・・・・-冬野墓-

2013-01-05 10:40:26 | 歴史あるトコ-奈良

去年の秋から気になってた場所に、

新春1月2日に行くことが出来ました。

 

再び、山の上!

なんでみんな山のてっぺんが好きなんかな?

目的地は「良助親王墓」

どなた、この方?

 

 

石舞台から談山神社に抜ける道の途中に、

「畑」という標識が・・・

ここが冬野墓のある冬野の集落に入る道です。

車でいける道です。

桜井市側からも行けますが、車では行けません。

 

クネクネした道を進みますが、

道の両端には枯葉が蓄積。

道路の真ん中は枯葉が散ってるから、車の通行はあるんでしょ。

「集落があるから、郵便やら宅配車は通るやろ・・・」

そう言った途端、ヤマト宅急便のトラックが・・・・

まさに、これ!

 

 

明日香村のクリーンセンターを過ぎ、

ほどなく上畑の集落に。

5~6世帯の集落。

結構な山の上。

牛舎があり、中には黒牛が寒いのか、みんな座ってた。

 

集落を過ぎると、枯葉が道路に積もってた。

走ること数分。

右手にそれらしき階段が。

一旦、降りて先発隊の兄ちゃんが駆け上がる。

「登って、下ってる!」

では、入り口は違うトコ?

どうせこの先、道は途切れるから、先まで行ってみるか・・・

 

すると、ありました。

「亀山天皇皇子 良助親王  冬野墓」

 

良 助 親 王(法親王)

亀山天皇の第4(8とも)皇子で、母君は典侍。

幼い頃、出家。

その後、親王宣下を受け、「法親王」に。

比叡山延暦寺の天台宗座主を務め、

1318年、50歳で没し、法親王の意思でこの地に埋葬されたとか。

 

書道家を感動させた楷書文字・・・らしい。

分からん・・・(●´Д`)?



宮内庁が管理している陵墓、墓は、

特徴があります。

石段の参道。石の鳥居。

碑。名札(正式名称は知らん・・・)。

そしてぐるっと囲む石の柵。

 

この石の柵を辿っていくと、いろんなモノを発見できることがあります。

ここも・・・・

墓の上に続く階段の扉があり、

なんと南京錠の鍵が開いてた!

 

「入ったら、ダメ?」

兄ちゃんは「入る?」

お姉ちゃん(娘)は「だめ!」と・・・

(lll ̄□ ̄)ガーン!!

 

 

そうだよ・・・

名札に「みだりに域内に立ち入らぬこと」って書いてるよ。

古代陵墓じゃないから、本当のお墓かもしんないよ・・・けど・・・・・

「入りた-----い!」

「ダメ-----!」

 

 

道から上に立つ五輪の供養塔がかすかに見える・・・

ショ━・゜・(ノω・。)・゜・━ック

 

 

下山後、「良助親王」を携帯で検索していると、

供養塔まで入った人のHPを発見!

 

入りたかった・・・・。

ゥヮ━━。゜(゜⊃Д;゜)゜。━━ン!!!!!!

 

 

 

 

一度、入ってみて・・・違う

一度、行ってみて

奈良 明日香村 冬野墓 

 

 

 


 

 

 



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