去年の秋から気になってた場所に、
新春1月2日に行くことが出来ました。
再び、山の上!
なんでみんな山のてっぺんが好きなんかな?
目的地は「良助親王墓」
どなた、この方?
石舞台から談山神社に抜ける道の途中に、
「畑」という標識が・・・
ここが冬野墓のある冬野の集落に入る道です。
車でいける道です。
桜井市側からも行けますが、車では行けません。
クネクネした道を進みますが、
道の両端には枯葉が蓄積。
道路の真ん中は枯葉が散ってるから、車の通行はあるんでしょ。
「集落があるから、郵便やら宅配車は通るやろ・・・」
そう言った途端、ヤマト宅急便のトラックが・・・・
まさに、これ!
明日香村のクリーンセンターを過ぎ、
ほどなく上畑の集落に。
5~6世帯の集落。
結構な山の上。
牛舎があり、中には黒牛が寒いのか、みんな座ってた。
集落を過ぎると、枯葉が道路に積もってた。
走ること数分。
右手にそれらしき階段が。
一旦、降りて先発隊の兄ちゃんが駆け上がる。
「登って、下ってる!」
では、入り口は違うトコ?
どうせこの先、道は途切れるから、先まで行ってみるか・・・
すると、ありました。
「亀山天皇皇子 良助親王 冬野墓」
良 助 親 王(法親王)
亀山天皇の第4(8とも)皇子で、母君は典侍。
幼い頃、出家。
その後、親王宣下を受け、「法親王」に。
比叡山延暦寺の天台宗座主を務め、
1318年、50歳で没し、法親王の意思でこの地に埋葬されたとか。
書道家を感動させた楷書文字・・・らしい。
分からん・・・(●´Д`)?
宮内庁が管理している陵墓、墓は、
特徴があります。
石段の参道。石の鳥居。
碑。名札(正式名称は知らん・・・)。
そしてぐるっと囲む石の柵。
この石の柵を辿っていくと、いろんなモノを発見できることがあります。
ここも・・・・
墓の上に続く階段の扉があり、
なんと南京錠の鍵が開いてた!
「入ったら、ダメ?」
兄ちゃんは「入る?」
お姉ちゃん(娘)は「だめ!」と・・・
(lll ̄□ ̄)ガーン!!
そうだよ・・・
名札に「みだりに域内に立ち入らぬこと」って書いてるよ。
古代陵墓じゃないから、本当のお墓かもしんないよ・・・けど・・・・・
「入りた-----い!」
「ダメ-----!」
道から上に立つ五輪の供養塔がかすかに見える・・・
ショ━・゜・(ノω・。)・゜・━ック
下山後、「良助親王」を携帯で検索していると、
供養塔まで入った人のHPを発見!
入りたかった・・・・。
ゥヮ━━。゜(゜⊃Д;゜)゜。━━ン!!!!!!
一度、入ってみて・・・違う
一度、行ってみて
奈良 明日香村 冬野墓