第38代 天智天皇の第1皇子・大友皇子。
別名、伊賀皇子ともいい、壬申の乱で叔父・大海人皇子に敗れた皇子です。
父・天智天皇の皇太子には、弟・大海人皇子を立てますが、
息子・大友皇子に皇統を繋ぎたいと考えていたといいます。
それを察知した大海人皇子は出家し、吉野に移動し、
671年、大友皇子は太政大臣に就きます。
天智天皇の崩御後、即位したのか、
天智天皇の皇后・倭姫王が称制をとったのかは不明ですが、
672年、吉野で大海人皇子が挙兵。
従者わずか2、3人を連れ、大友皇子は山前(の京都府乙訓郡大山崎町か?)で首をくくり自決。
25歳の人生を閉じました。
この時代の高貴な人の「自決(自害)方法」は毒を飲むのが普通です。
そんな時代に、首をくくり、
首が大海人皇子の元に届けられたといいます。
大友皇子は明治時代に歴代天皇に加えられました。
第39代 弘文天皇です。
一度、行ってみて
滋賀県大津市 長等山前陵