ちょっと歴史入門<17>空海と最澄

2013-07-19 22:37:19 | ちょっと歴史入門

延暦23年(804年)、第16次遣唐使で唐に渡った中に、

後の真言宗開祖・空海と後の天台宗開祖・最澄がいました。

(入唐できなかった遣唐使を合わせると第18次)


奈良仏教から平安仏教の転換期の人物です。


空海は774年、讃岐国(現・香川県)で産まれました。

18歳で京の大学寮に入りますが、翌年その勉学では飽き足らず、山林で修業。

諸説あり20~30歳の間に得度したようです。

この間に、高知県室戸岬にある御厨人窟(みくろど)に住み、

この洞窟から見える風景が空と海のみであったことから、

「空海」の法名を得たと言われています。

四国八十八箇所=お遍路さんは、平安時代から修験者の修行の道であり、

空海入定後、弟子たちがその足跡を辿ったのが始まりです。


最澄は778年、近江国(現・滋賀県)で産まれました。

14歳で得度。最澄と名を改めます。

19歳で比叡山で山林修業を行い、

802年、唐への留学生として選ばれます。


空海は官の許可なく僧になった「私度僧」。

最澄は桓武天皇の「内供奉十禅師(ないぐぶじゅうぜんじ)」。

身分の違う二人は共に唐に渡りますが、

最澄は805年に帰国。滞在わずか1年=予定滞在期間でしたが、

その後、エリート僧をまっしぐら!

 

反対に空海は滞在期間20年であったのに対し、806年に帰国し、

短期間で戻ったことで、入京を許されず、大宰府に留め置かれます。

809年、最澄の尽力もあり、空海は京に戻ります。


最澄は学び足らずで帰国。

空海はわずか2年で、いろいろ学び帰国。

 

時代は密教のブーム。

最澄はすでに天台宗を開祖していましたが、

密教を学ぶため、空海に弟子入りしたともいい、

最澄の弟子までもが、空海に師事してしまう事態に。

 

813年には、最澄が「理趣釈経」を貸して欲しいと空海に言いますが、

「文章修行ではなく実践修行によって得られる」といい、拒絶。

二人の交流はここで途絶えてしまいます。

 

 

努力家の最澄

カリスマ性のある空海

 

この二人によって平安仏教が花開き始めるのです。

 

 

 

次は・・・・・「承和の変」 

 

 

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