孝霊天皇の第3皇子・彦五十狭芹彦命(ひこいさせりびこのみこと)
崇神天皇の時代、北陸・東海・西道・丹波に派遣された四道将軍の一人です。
またの名前を吉備津彦命(きびつひこのみこと)といい、
西道に派遣された将軍です。
鬼ノ城に住む温羅という鬼を、犬飼健(いぬかいたける)、
楽々森彦(ささもりひこ)、留玉臣(とめたまおみ)の3人の家来と共に倒し、
吉備津神社の釜の下に封じたとされています。
これが現在に伝わる「桃太郎伝説」の元です。
その吉備津彦命の墓は、岡山県岡山市北区にある
中山茶臼山古墳が宮内庁により比定されています。
約××年ぶりの再訪です。
初訪時、車道があるとは思わず、麓の吉備津神社に車を停め、
ここまで歩いてきました。
その後に続くのは・・・・
階段!!
えっ、こんなんやった?と頭を傾げながら、
ゼイゼイと登ります。
階段を登りきると、開けた場所に出て、左手に見えてきます。
彦五十狭芹彦命(吉備津命)は倭迹迹日百襲媛命の同母姉弟。
倭迹迹日百襲媛命は・・・というと卑弥呼と考えられる人です。
山上の尾根を切断して築造された全長120mの前方後円墳で、
後円部が前方部より広いらしい。
崇神天皇陵に比定されている行燈山古墳(あんどんやまこふん)と2:1の相似形らしい。
帰りの階段で、初訪時の記憶が徐々に思い出され、
よく考えれば、初めての宮内庁陵墓はココだったな・・・・と。
一度、行ってみて
岡山市北区吉備津 中山茶臼山古墳