第36代 孝徳天皇は、軽皇子といい、
第30代 敏達天皇の孫にあたります。
(敏達天皇の皇子・押坂彦人大兄皇子の王子・茅渟王の長男)
母は欽明天皇の孫で桜井皇子の王女・吉備姫王。
皇極天皇(斉明天皇)の同母弟になります。
645年、蘇我蝦夷・入鹿を討った「乙巳の変」が起きると、
翌々日には皇極天皇は中大兄皇子に位を譲ろうとします。
しかし、中大兄皇子は辞退。軽皇子を推薦します。
軽皇子もまた三度辞退して、古人大兄皇子を推薦しますが、
古人大兄皇子(=蘇我蝦夷・入鹿が推していた)は辞退して出家してしまいます。
皇極天皇は譲位し、軽皇子が皇位を継ぎました。
史上初の「譲位」です。
そして孝徳天皇は、
史上初めて、「大化」という元号を立てた天皇です。
つまり「大化の改新」を行った天皇です。
孝徳天皇は難波長柄豊碕宮(大阪市中央区)を造営し、遷都。
中大兄皇子は天皇に大和に遷ることを求めますが、 天皇がこれを退けます。
すると、中大兄皇子は皇祖母尊(皇極天皇)と皇后・間人皇女(中大兄皇子の同母妹)、
皇弟・大海人皇子を連れ、大和に戻ります。
それだけでなく臣下の大半が中大兄皇子に従い、行ってしまいました。
天皇は気を落とし、翌年病気で亡くなります。
大阪府南河内郡太子町にある大阪磯長陵(おおさかのしながのみささぎ)に葬られます。
実は、孝徳天皇が中大兄皇子をそそのかして、
「乙巳の変」を引き起こした「黒幕」ではないかという説があります。
もし本当に黒幕が孝徳天皇だったなら、
何を目指していたんでしょうね・・・・。
推古天皇や用明天皇の陵墓があり、「王陵の谷」と呼ばれる場所。
とても静かで、ちょっと小高い場所にあります。
一度、行ってみて
大阪府南河内郡太子町 大阪磯長陵