欠史8代とは、古事記や日本書紀で系譜(帝紀)は存在するものの、
その事績(旧辞)が記されない8人の天皇のことを指します。
簡単に言えば、
「××天皇と●●妃の第2子として誕生、××天皇崩御に伴い即位」
とは書かれていても、
「△△をした」という詳しい記載がない天皇たちです。
これが欠史8代の天皇
第2代 綏靖天皇(神渟名川耳天皇:かむぬなかわみみのすめらみこと)
第3代 安寧天皇(磯城津彦玉手看天皇:しきつひこたまてみのすめらみこと)
第4代 懿徳天皇(大日本彦耜友天皇:おおやまとひこすきとものすめらみこと)
第5代 孝昭天皇(観松彦香殖稲天皇:みまつひこかえしねのすめらみこと)
第6代 孝安天皇(日本足彦国押人天皇:やまとたらしひこくにおしひとのすめらみこと)
第7代 孝霊天皇(大日本根子彦太瓊天皇:おおやまとねこひこふとにのすめらみこと)
第8代 孝元天皇(大日本根子彦国牽天皇:おおやまとねこひこくにくるのすめらみこと)
第9代 開化天皇(稚日本根子彦大日日天皇:わかやまとねこひこおおびびのすめらみこと)
BC660を神武天皇即位年と算出する中国の革命思想(辛酉革命)に合わせ、
皇室の起源の古さと権威を示すため、系譜上の天皇を作り出したといわれています。
1978年に埼玉県の稲荷山古墳から出土した金錯銘鉄剣には、
オホヒコ(大彦・大毘古)からの8代の系譜が刻まれています。
このオホヒコは、四道将軍大彦命と考えられ、第8代孝元天皇の皇子のはずですが、
鉄剣製作時はそのような天皇(大王)の存在したという記録が一切残っていないのです。
陵墓も第10代崇神天皇以降は、考古学的にも矛盾が少ない年代と、
天皇陵としてふさわしい大規模な古墳が治定されているのに、
第9代開化天皇以前は、考古学的にみても、
後世に築造された古墳か、自然丘陵がほとんどなのです。
第2代綏靖天皇・第3代安寧天皇・第4代懿徳天皇の陵墓は→こちらから
孝昭天皇
掖上博多山上陵:奈良県御所市三室
孝安天皇
玉手丘上陵:奈良県御所市玉手
孝霊天皇
片丘馬坂陵:奈良県北葛城郡王寺町本町
孝元天皇
劔池嶋上陵(中山塚1~3号墳):奈良県橿原市石川町
開化天皇
春日率川坂上陵(念仏寺山古墳): 奈良市油阪町
第1代神武天皇から第9代開化天皇までの王朝は、
葛城(奈良盆地南西部一帯)にあったといわれています。
このことから葛城王朝ともいわれます。
天皇というより奈良盆地から西日本一帯を支配した豪族が、
九州の豪族(第10代崇神天皇)に倒されたという説があります。
この説だったら、なんで天皇陵が奈良の北から南まで全般に分布する?
ポリポリ(。;´Å`)9ウーン…
また欠史8代を、皇室(=ヤマト王権の長)以外の豪族の王とする説もあります。
後世の子孫たちが祖王を天皇家の先祖にすえ、
朝廷の支配を正当化しようとしたとしたもので、
モデルとなった人物の実在には諸説あります。
とにかく、古代天皇の寿命の長さは不自然すぎ。
日本の歴史をさかのぼらせるための仕業ですが、
ありえんやろ!
X(´Д`lll)【ナイナイ】
一度、行ってみて
奈良県 欠史8代天皇陵
第5代 孝昭天皇
第6代 孝安天皇
第7代 孝霊天皇
第8代 孝元天皇
第9代 開化天皇陵