645年、奈良・飛鳥板蓋宮の大極殿で、
時の権力者・蘇我入鹿は皇極天皇の目の前で、暗殺されました。
大化の改新の始まり、乙巳の変(いっしのへん)です。
佐伯子麻呂と葛城稚犬養網田によって切り殺された入鹿の遺体は、
大雨の中、庭に投げ出され、障子で覆いをかけられたとか。
飛鳥寺の西門跡の側に、入鹿の首塚と伝えられる五輪塔が建っています。
実は・・・・・・
板蓋宮で斬られた首がココまで飛んできた!
という伝承があるんですが・・・・・
ムリがあるって分かるくらい、
離れてるんです!
いつもウロウロするときに使用する地図ですが、黒丸のトコですね。
ありえんでしょ!!
ァハハハッ(´∀`;≡;´Д`)...。oо○ナイナイ
背後の小山は蘇我家の屋敷が立ち並んでいた甘樫丘。
ここは蘇我氏と縁の深い飛鳥寺が建っていたトコ。
入鹿の首かどうかは別として、関連の何かを祀っていたのかも・・・。
まぁ、首が飛んできたのは、ありえんけどね。
一度、行ってみて
奈良県明日香村 入鹿の首塚