誰もが知っている奈良市にある東大寺の大仏。
「奈良の大仏さん」と呼ばれている盧舎那仏像。
東大寺の大仏は、聖武天皇により天平15年(743年)に発願され、
天平17年(745年)から準備が開始。
天平勝宝4年(752年)に開眼供養会が実施されました。
260万の人が関わったといわれ、現在の価格にして4657億円の費用がかかったそうです。
開眼供養会には、聖武太上天皇、光明皇太后、孝謙天皇が列席。
参列者は1万数千人。
開眼導師はインド出身の僧・菩提僊那が担当しました。
この奈良の大仏さんを発願した聖武天皇は、
天平勝宝8年(756年)崩御し、奈良市法蓮町にある佐保山南陵に葬られます。
また聖武天皇の皇后で、人臣初の皇后となった光明皇后は、
仏教にあつく帰依し、東大寺、国分寺の設立を、夫である聖武天皇に進言したと伝えられています。
また貧しい人に施しをするための施設「悲田院」や、医療施設である「施薬院」を設置。
これが今の公的な社会福祉のハシリです。
ちなみに正式な尊称は「天平応真仁正皇太后」で、光明皇后は通称みたいなものです。
天平宝字4年(760年)に崩御し、佐保山東陵に葬られます。
万葉集にこんな一首が残っています。
吾が背子と ふたり見ませば 幾ばくか この降る雪の うれしからまし
現代訳:もしも夫(聖武天皇)がこの世にいて、降る雪を一緒に見ることができたら、どんなにうれしいことでしょう
光明皇后は藤原不比等の娘。
藤原家の全てを背負い、天皇の妃となり、
藤原家のために子を産み、
藤原家のために皇后となり、
気弱だった(諸説あります)天皇を助け、
天皇のために、国のために、仏教のために、一生を送った藤原安宿媛。
一説では、中国の則天武后を目指したとも言われていますが、
この一首には夫・聖武天皇を想う心が、垣間見えます。
(則天武后:中国・唐の皇后、周の皇帝。中国三大悪女の一人)
二人の御陵は並んで、大仏殿の近くにあります。
(( *~∇~)(~∇~* ))
一度、行ってみて
奈良県奈良市 聖武天皇陵