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寄り添う夫婦-聖武天皇陵-

2013-05-24 12:33:48 | 歴史あるトコ-奈良

誰もが知っている奈良市にある東大寺の大仏。

「奈良の大仏さん」と呼ばれている盧舎那仏像

 

 

東大寺の大仏は、聖武天皇により天平15年(743年)に発願され、

天平17年(745年)から準備が開始。

天平勝宝4年(752年)に開眼供養会が実施されました。

260万の人が関わったといわれ、現在の価格にして4657億円の費用がかかったそうです。

 

開眼供養会には、聖武太上天皇、光明皇太后、孝謙天皇が列席。

参列者は1万数千人。

開眼導師はインド出身の僧・菩提僊那が担当しました。

 

 

この奈良の大仏さんを発願した聖武天皇は、

天平勝宝8年(756年)崩御し、奈良市法蓮町にある佐保山南陵に葬られます。



また聖武天皇の皇后で、人臣初の皇后となった光明皇后は、

仏教にあつく帰依し、東大寺、国分寺の設立を、夫である聖武天皇に進言したと伝えられています。

また貧しい人に施しをするための施設「悲田院」や、医療施設である「施薬院」を設置。

これが今の公的な社会福祉のハシリです。

ちなみに正式な尊称は「天平応真仁正皇太后」で、光明皇后は通称みたいなものです。


 

天平宝字4年(760年)に崩御し、佐保山東陵に葬られます。

 

万葉集にこんな一首が残っています。

 

吾が背子と ふたり見ませば 幾ばくか この降る雪の うれしからまし 

現代訳:もしも夫(聖武天皇)がこの世にいて、降る雪を一緒に見ることができたら、どんなにうれしいことでしょう

 

 光明皇后は藤原不比等の娘。

藤原家の全てを背負い、天皇の妃となり、

藤原家のために子を産み、

藤原家のために皇后となり、

気弱だった(諸説あります)天皇を助け、

天皇のために、国のために、仏教のために、一生を送った藤原安宿媛。

一説では、中国の則天武后を目指したとも言われていますが、

この一首には夫・聖武天皇を想う心が、垣間見えます。

(則天武后:中国・唐の皇后、周の皇帝。中国三大悪女の一人)

 

 

二人の御陵は並んで、大仏殿の近くにあります。

 

(( *~∇~)(~∇~* ))

 

 

 

一度、行ってみて

奈良県奈良市 聖武天皇陵

 



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