奈良県明日香村にある野口王墓。
第40代天武天皇 第41代持統天皇の合葬陵墓
檜隈大内陵(ひのくまのおおうちのみささぎ)です。
天武天皇の父は第34代舒明天皇、母は第35・37代皇極(斉明)天皇。
実兄は中大兄皇子・・・後の第38代天智天皇です。
672年に壬申の乱で、甥である大友皇子(天智天皇皇子-第39代弘文天皇)を破り、
即位しました。
持統天皇の父は第38代天智天皇、母は蘇我家の遠智娘。
叔父・姪の関係ですが、夫婦です。
天武天皇崩御後、一人息子・草壁皇子が皇位を継ぐ予定でしたが、病死。
皇子の遺児である軽皇子(第42代文武天皇)に皇位を繋げるため、即位しました。
崩御後、遺言で夫・天武天皇の陵墓に合葬されました。
このお二人の話をすると、長くなるので、
ごめんなさい・・・・省略します!
*:.。.:*スマソォ*:.。.:*( uдu〃)ゞ
小高い丘の上に拝所があります。
墳丘は東西約58メートル、南北径45メートル、高さ9メートルの円墳状。
本来の墳形は八角形・五段築成、周囲に石段があったとされます。
古墳を一周できます。
簡単に入れそうです。
入りたいけど、我慢!
(。-`∩´-。)ウーン・
実はこの陵墓、被葬者が天皇で間違いない陵墓です。
神武天皇陵でも取り上げましたが、
現在ある陵墓は江戸~明治時代にかけて、
文献や言い伝えを元に、ここが「△△天皇の陵墓!」って感じで作られました。
なので、実際は天皇陵ではないものがほとんどだと言われています。
その中でも間違いない「本当の天皇陵」の一つがここ、檜隈大内陵です。
江戸時代まで違う古墳が、天武・持統天皇陵と言われてました。
この野口王墓は「文武天皇陵」だったこともあります。
(?*´Д`*?)ヘッ?
しかし1880(明治13)年に京都高山寺から、
『阿不幾乃山陵記』という史料が発見され、
野口王墓が天武・持統天皇陵だと治定改定されました。
1235(文暦2)年に盗掘に遭いました。
その実地検分をした時の、陵墓の詳細な記録が記されていたんです。
盗掘で天武天皇の棺は暴かれ、遺骨と白髪が散乱し、
持統天皇の遺骨は火葬だったため、骨壺に納められていましたが、
骨壺も奪い去られ、中の遺骨は近くに遺棄されたといいます。
マッ∑( ̄□ ̄ )マヂ?
内部の復元図(盗掘でわかった天皇陵古墳の謎:安本美典著より)
古代古墳で盗掘に遭っていない古墳は大変少ないです。
しかし、いくらなんでも遺骨をそこらへんに捨てるなよ・・・
ハ━━ヾ(#`・Д・´)ノ━━ァ??!
そんな事情もあり、入りませんでした。
いや、入ってはいけませんよ!
一度、行ってみて
奈良県 明日香村 檜隈大内陵
http://www.kunaicho.go.jp/ryobo/guide/040/index.html
http://www.kunaicho.go.jp/ryobo/guide/041/index.html