雪を求め、北陸を目指していた時・・・・
「トンネル内 一方通行」
「高さ制限 3.5m」
県道140号線(敦賀柳ヶ瀬線)にある柳ケ瀬隧道
待ち時間が長い! 5分!
どんなトンネルなんだろう?と待っている間に目についたのが・・・
土木学会選奨土木遺産?
以下、説明文です。
明治17年完成当時日本最長(1,352m)で、黎明期の技術進歩に大きく貢献し、
今も使用中では2番目に古いトンネルで、現在は道路トンネルとして活躍中です。
当時、神戸~東京間の鉄道が部分開通している中、
北陸米を逢坂の市場に運搬することを 主目的に、
敦賀線(敦賀~長浜)は建設されました。
それまでの北陸米の運搬は舟運のみで、 敦賀・新潟がその港です。
航路は主に「新潟・敦賀~下関経由~大阪」「敦賀(金ヶ崎)~琵琶湖~淀川水運」 のみで、
90日~半年の所要日数が3日に短縮されました。
明治17年、北陸本線・長浜~敦賀港間、全通。
県境の柳ヶ瀬隧道は延長1352m。当時の鉄道隧道としては日本最長でした。
日本鉄道初期に建設されたこの区間。
敦賀から雁ヶ谷まで続く片勾配のために、
1928年(昭和3年)12月6日、蒸気機関車の空転により走行不能となった蒸気機関車の噴煙がトンネル内に充満。
北陸線柳ヶ瀬トンネル窒息死亡事故が発生。
明治時代の小さな蒸気機関車にあわせたトンネル幅の規格で建設されていたため、
昭和時代の大型蒸気機関車が通行すると、空間に余裕がなく煤煙が充満したことが原因でした。
この事故後、煤煙にまかれないように遮断幕を下ろす設備が整備され、
蒸気機関車の運転室に煤煙が入らないように、集煙装置が設備されたとか。
なのでこれは・・・・
その一つなんだろうね。
さらに・・・
萬世永頼 参議 伊藤博文
「世のために働いてくれることを、いつまでも頼りにする」という意味。
隧道の扁額に使われていたものでは?と言われています。
鉄道路線時代のトンネルが、今も使われているというのは、
かなり貴重な存在。
で、トンネル内部は・・・というと、
写真を撮ったら、かなりボケてしまった!
トンネル下部は煉瓦造りで、かなりの幅狭い。
今でこそ信号がつけられ、交互通行になっているけど、
かつてはトンネル内での離合は、どちらかが退避場所まで戻るしかなかったとか。
退避場所も1か所か、2か所しかなかったけどね。
近代的遺産って、あんまり興味なかったけど、
明治初期のものってだけで、
目に触れたら、やっぱり興奮するな!
一度、行ってみて
滋賀~福井県境 柳ケ瀬隧道