綾錦の織りなすままに

日頃の出来事を綴ります

死海で浮遊体験 ・ 死海文書

2016-11-26 15:58:34 | 日記

死海で浮遊体験

死海は-420mと世界で最も低い塩水湖です。塩分濃度33% 酸素は濃いようです。

アフリカの大地溝帯が紅海へさらにヨルダン、イスラエルの間に伸びています。

ヨルダン川 からの水の出口がなく、強い太陽光線で蒸発して濃縮しました。 

 海面の枠の中で浮きます。 

 

 

 


 

死海文書(しかいもんじょ)

水が怖い私は砂地が見えるような浅い所で浮かびました。後で写真を見ると、友達も皆 周囲で浮かんでいました。

 

 

 


クムラン洞窟

ベトウィンが水や草が豊かになる冬と春に駱駝や山羊を飼っていました。

 

聖書写本

可愛いですね。写真に撮れなかったのが残念ですが、私達も体じゅう泥パックをしました。 

 

1947年、ベドウィンの山羊飼いの発見で、死海北西部の クムランの洞窟から、

約2千年前の数千の聖書の写本が発見されました。

それらはキリスト教時代よりもずっと以前のものとみられます。   

これらの文書は一つの隠遁的なクムラン共同体の仕事と見なされます。

「義の教師」とされるものは、神的なものとされていないので、イエスと同一視できまん。

しかし、現代に伝わる聖書とは歴史観を変えてしまうほどの重大な違いは ありませんた。

聖書は忠実に語り伝えられていました。

 次はいよいよイスラエルのエルサレムです!

 見て下さいね。

その前に違うものをだすかもしれません。


 

 

 


ヨルダン ペトラ遺跡

2016-11-26 11:58:59 | 日記

      隊商都市ペトラ遺跡 ペトラ(ギリシャ語で

11月は乾期に入っており、長袖ブラウス 風よけパーカー など日本とあまり変わらない気候でした。

私達20人のグループは 昼食をとるレストランまでの往復を 馬車にも、駱駝🐪にも、山羊にも乗らず 歩きましょう!

と 出発しました。行きは緩い下り坂、帰りは登り坂でした。


私達が歩いたファサード通りの両側や奥には広大な遺跡群が広がっているようです。

王家の墓、宮殿の墓 コリント式の墓、 シルクの墓、 壺の墓、青い教会、大神殿、有翼ライオンの神殿、

奥に800階段の上にエド・ディルEd・Deir( 修道院 )があります。エル・ハズネとよ似ています。

 BC1世紀~AD1世紀にアラブ民族ナバタイ人が建設した都市

この地はシルクロードにもつながる隊商路の要衝であり、インドやアラビア半島との交易で栄えました。

乳香もその一つ、今の世も魅了する品ですね。

ナバタイ人は元来遊牧民で、この地域を通るキャラバン隊に安全を保証することで財政を潤わせていました

 ナバタイ人は多宗教でした。

 

 エル・ハズネ El・Khazneh 

宝物殿とも墓、葬祭殿とも 上の壺の中に宝物があるとか

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


石版 (ドシャーラ&ウッザー)神様 よく見えません。

ナバタイ とは「水を掘る人」を表すセム語

ここに水道管があったそうです 

 

  

     シーク (狭い岩山の裂け目)

 巌窟墓群 手前 WI-HI OKの店あり

 円形劇場

  106年ローマ帝国に併合され、街並みが変わる。  

 列柱通りの端の凱旋門

 

 カスル・アル・ビント 

ペトラ遺跡の中で最も重要な神殿の一つ

 

 

 

 AD1世紀初頭の最盛期には人口3万人の賑わいがあったといいます。 

ローマ支配の後、363年に大地震があり、壊滅的な打撃を受けました。

商隊ルートが紅海の海上交易へと移ってゆき、6〜7世紀にかけて人が住まなくなり、衰退してゆく。

1812年スイス人により再確認される。

 ペトラ遺跡

                       次は死海 をご紹介します。是非ご覧ください。