美という字を意識の前につける表現に時折会う。見渡す限りビル群の東京の街は世界一だと思うが、街の景観はどの大都市と比べても見劣りする。車椅子で訪れた未来が六本木ヒルズの展望階から眺めた時の正直な感想である。無論、安全面やかかる費用は重視するべきだが、デザイン性がない。美を追究する人間にとってデザインは一生の仕事だというのに・・・。海外に出かけると、ロンドンでもパリでもニューヨークでも街がお洒落で独特なセンスが溢れている。日本の街では電柱や電線も美観を損ねており、街中にカメラを向けてもシャッターを押すチャンスがない。
未来の住まいの近くにビルの谷間から奥まった場所に寺があり、門前に堂々と建物を斜めに遮断して紅梅の木が素晴らしいカメラアングルになっている。西洋美術に興味を持ち始めた頃、日本美術がセザンヌやドガに大きな影響を与えていた事実に深く感心したものである。ドガの踊り子の絵を一例にしてみると、絵画のど真ん中に練習用のバーが大きな顔をして描かれているのを思い出す。同時に未来は広重の絵全体に雨を描写する為に斜めの細い線が描かれているのを妙だと思わずに鑑賞してきた自分を思い出すのである。坂下にある別の寺には本堂の前に見事な桜の木が近年忘れがちな季節を毎年感じさせてくれる。自然とは何と素晴しいものだろう。季節感のある梅の古木も桜の大木も建築物に興味ある人にとっては堂々と寺を遮る存在が邪魔になる事もあるだろう。だがその一方、梅も桜も寺に風情を齎すことも確かなのである。未来が二つの古木に魅せられて綴った東洋の華やかな花のエッセイが銀座老舗のウエストという洋菓子屋さんの店頭に置かれた事がある。未来はこのエッセイをとても気に入っている。自然を主体に綴っているからだ。未来は、客観的に見惚れる梅と桜に自らの主観的且つ美観的意識が見られる文だと思っている。脳が甦って働き始めたからこそ、また、意慾が湧き出したからこそ、自分の気持を綴る事が出来たのである。感謝!感激!
この東洋の花が華やかに東京の街の話題をさらっていた頃、大阪の方では未来が綴った英語習得法のエッセイが出ていた。こちらは意識というより甦った言葉そのものを振り返って綴ってみた文である。十代後半の留学で習得した英語という語学は当時、未来の脳が幼児期に戻って働いていたのだろうと今、振り返る。右脳が英語を大量に高速で無意識の内に単なる新しい情報として入力し、意識的に理解を殊更、求める事をしないで自動処理していたのだろうか。日本人が最も苦手だという英語習得は海馬と右脳のトレーニングがキーポイントになるというのだろうか、と未来は改めて考えてしまう。
ところで一頃、脳内革命という言葉が巷に広がり、つい先頃は脳をバックにしたバカの壁という前記の本がベストセラーになったわけだが、今、雑誌の広告には脳という文字が溢れている。脳が若返る、脳が若返れば花粉症もボケもなくなり、肌や内蔵まで活気づき、脳の血流が増えて脳活性化は生涯現役も夢ではない。こんな広告が電車の中吊りに、新聞の下欄半分近くを占領する。車椅子生活に入ってから、電車に乗る機会が大幅に減った未来は新聞を読む時間がめっきり増えた。毎日、新聞を広げると新聞紙の下の方に脳という字を見つけない日の方が少ないくらいだ。
一般人が脳に興味を持つようになる前には人々は臓器移植に大きな関心を持っていた。ソラマメのような形をした握り拳位の大きさの腎臓はお腹の中の背中側に左右二つあり、体にとって不必要になった物を尿として排出して水分や血液の中に溶けている成分を調整している。血を作るホルモンを作る他に骨を強くするホルモンも作り、血圧を調節してくれる。健康な腎臓は一つだけでも充分に働く事が出来る。心臓も握り拳大だ。人間の体を作っている細胞や臓器には酸素や栄養分が必要だが、それらは血液によって全身に運ばれている。一方、二酸化炭素や老廃物も血液によって運ばれるのだが、その血液を送り出すポンプの役割を果しているのが心臓である。命が危険な場合や生まれつきの重い心臓病の場合には心臓移植が唯一の治療方法になる。肝臓はお腹の中で一番大きな臓器で人体の化学工場と言われている。肝臓ではタンパク質を作り、栄養分を蓄えたり外に出したりする。また、消化を助け、体に悪い物を分解するのも肝臓での働きである。頑張り屋の肝臓には再生力があってある部分の細胞が死んでしまっても、あるいは手術などで一部を切り取ってしまっても他の部分の細胞が増えて元の大きさに戻る事が出来る。腎臓、心臓、肝臓の他に膵臓、肺、小腸、それに角膜は法律のもとに移植が可能である。
臓器には特別な興味が持てなかったが、脳は神秘的で興味を次から次へと未来に与えてくれる。結局、突き当たる学習の壁は脳であるという考えが未来にはよく解る。五十代で脳に病魔を招き入れ、六十代で脳の不思議を考えるのも乙なものだと未来は思い、徒然なるままに綴ってみる事にした。
未来の住まいの近くにビルの谷間から奥まった場所に寺があり、門前に堂々と建物を斜めに遮断して紅梅の木が素晴らしいカメラアングルになっている。西洋美術に興味を持ち始めた頃、日本美術がセザンヌやドガに大きな影響を与えていた事実に深く感心したものである。ドガの踊り子の絵を一例にしてみると、絵画のど真ん中に練習用のバーが大きな顔をして描かれているのを思い出す。同時に未来は広重の絵全体に雨を描写する為に斜めの細い線が描かれているのを妙だと思わずに鑑賞してきた自分を思い出すのである。坂下にある別の寺には本堂の前に見事な桜の木が近年忘れがちな季節を毎年感じさせてくれる。自然とは何と素晴しいものだろう。季節感のある梅の古木も桜の大木も建築物に興味ある人にとっては堂々と寺を遮る存在が邪魔になる事もあるだろう。だがその一方、梅も桜も寺に風情を齎すことも確かなのである。未来が二つの古木に魅せられて綴った東洋の華やかな花のエッセイが銀座老舗のウエストという洋菓子屋さんの店頭に置かれた事がある。未来はこのエッセイをとても気に入っている。自然を主体に綴っているからだ。未来は、客観的に見惚れる梅と桜に自らの主観的且つ美観的意識が見られる文だと思っている。脳が甦って働き始めたからこそ、また、意慾が湧き出したからこそ、自分の気持を綴る事が出来たのである。感謝!感激!
この東洋の花が華やかに東京の街の話題をさらっていた頃、大阪の方では未来が綴った英語習得法のエッセイが出ていた。こちらは意識というより甦った言葉そのものを振り返って綴ってみた文である。十代後半の留学で習得した英語という語学は当時、未来の脳が幼児期に戻って働いていたのだろうと今、振り返る。右脳が英語を大量に高速で無意識の内に単なる新しい情報として入力し、意識的に理解を殊更、求める事をしないで自動処理していたのだろうか。日本人が最も苦手だという英語習得は海馬と右脳のトレーニングがキーポイントになるというのだろうか、と未来は改めて考えてしまう。
ところで一頃、脳内革命という言葉が巷に広がり、つい先頃は脳をバックにしたバカの壁という前記の本がベストセラーになったわけだが、今、雑誌の広告には脳という文字が溢れている。脳が若返る、脳が若返れば花粉症もボケもなくなり、肌や内蔵まで活気づき、脳の血流が増えて脳活性化は生涯現役も夢ではない。こんな広告が電車の中吊りに、新聞の下欄半分近くを占領する。車椅子生活に入ってから、電車に乗る機会が大幅に減った未来は新聞を読む時間がめっきり増えた。毎日、新聞を広げると新聞紙の下の方に脳という字を見つけない日の方が少ないくらいだ。
一般人が脳に興味を持つようになる前には人々は臓器移植に大きな関心を持っていた。ソラマメのような形をした握り拳位の大きさの腎臓はお腹の中の背中側に左右二つあり、体にとって不必要になった物を尿として排出して水分や血液の中に溶けている成分を調整している。血を作るホルモンを作る他に骨を強くするホルモンも作り、血圧を調節してくれる。健康な腎臓は一つだけでも充分に働く事が出来る。心臓も握り拳大だ。人間の体を作っている細胞や臓器には酸素や栄養分が必要だが、それらは血液によって全身に運ばれている。一方、二酸化炭素や老廃物も血液によって運ばれるのだが、その血液を送り出すポンプの役割を果しているのが心臓である。命が危険な場合や生まれつきの重い心臓病の場合には心臓移植が唯一の治療方法になる。肝臓はお腹の中で一番大きな臓器で人体の化学工場と言われている。肝臓ではタンパク質を作り、栄養分を蓄えたり外に出したりする。また、消化を助け、体に悪い物を分解するのも肝臓での働きである。頑張り屋の肝臓には再生力があってある部分の細胞が死んでしまっても、あるいは手術などで一部を切り取ってしまっても他の部分の細胞が増えて元の大きさに戻る事が出来る。腎臓、心臓、肝臓の他に膵臓、肺、小腸、それに角膜は法律のもとに移植が可能である。
臓器には特別な興味が持てなかったが、脳は神秘的で興味を次から次へと未来に与えてくれる。結局、突き当たる学習の壁は脳であるという考えが未来にはよく解る。五十代で脳に病魔を招き入れ、六十代で脳の不思議を考えるのも乙なものだと未来は思い、徒然なるままに綴ってみる事にした。