先週は、世界あちこちで対象国夫々が「世界遺産」の話題に沸いていた。
日本では、島根県の石見銀山が登録された。だが、石見銀山は今年5月の段階ではユネスコの詰問機関であるイコモスが「普遍的価値の証明が不十分」として登録延期にされていた。延期されると、次回以降の審査を受ける場合、推薦書を再提出しなければならなくなる。「東西世界の文明交流に大きな影響を与えた」という推薦理由に対して「詳細な物証がない。日本以外のアジア地域の鉱山遺跡との比較研究が不十分だ」と指摘されたのであった。しかし、奇跡は起こった。
世界遺産は、世界の普遍的な価値のある文化・自然遺産を保護する目的でユネスコが登録するのだが「文化」「自然」と両方を兼ね備えた「複合」の三種類がある。
日本にある世界遺産のひとつである広島の厳島神社は宮島の海と建物の人工的な造形美で人々を魅了するが、次に名乗りを挙げている松島は日本三景のもう一つである天橋立の海と陸の美に並んでその海と島の美は松尾芭蕉を「松島や、ああ松島や、松島や」と絶句に近い感動を与えている。
地球は美しい。海だけだったら、そう美しくはなれない。また、陸だけだったら無味乾燥に尽きると言える。世界の普遍的な価値のある文化遺産と自然遺産を保護する、という事は文化の面から考えると人間が重要な鍵を握っているのがすぐに分かる。
先日、世界のカラーをテーマに撮影隊と行動を共にしたが、ディレクターが「伝統文化」「自然保護」を盛んに口にしていたのを思い出す。
シドニーのオペラハウスが選ばれたと聞いて「えっ!」と思った。実はその驚きには様々な私なりの想いが込められていた。
船出の帆をイメージさせるオペラハウスは当初、完成が1963年の予定だった。私の留学前年にはその雄姿が世界三大美港で私を出迎える筈だった。だが、その時のオペラハウスは建設が頓挫して、実は哀しい様子だったのである。そして、何だかんだと話題にされながらやっと完成したのが1973年、あれから10年もの長い月日が経っていた。
設計者は無名のデンマーク人だったが、あれやこれやで本国に帰国してしまった。多民族移民国家であるオーストラリアは以前、「白豪主義」のニックネームが世界に知れ渡っていた。英国からの流刑者の移民で欧州民族の大移動が始まったオーストラリアでは、私が記憶している限りでは「白豪主義」より欧州の異民族への偏見の方があちこちで感じられたものである。
学生同士では、イングリッシュが中心になってスコティッシュ、アイリッシュの人種が話題になり、他のヨーロッパ人はイタリアン、グリークなどの話題、そして、ジャーマン、フレンチ、ポーリッシュ、更に北上してスカンジナビアンと広がっていった。そこには滅多にアメリカ人の話題は持ち上がらなかった。日本人も黄色人種の代表は中国人で、白豪主義も中国人に焦点が当てられていた。日本人に対する敵意の目は第二次世界大戦の結果が主だった。だが、成人にもならない日本娘の私には殆ど影響がなかった。
インド人に対する態度はかつての英国との関係が下地にあるようだし、デンマーク人もそうだった。英国はあちこちから侵略を受けてきた国家である。それが今も残っているのは英語という語学に窺えると私は思っている。デンマーク語から派生した最たる単語は色々ある中から私が決して忘れないのが、SKY、そう「空」である。それなのにオーストラリア人はブラックユーモアで「デンマーク人はムーディーだ」と陰口をきいたものである。ムーディーと日本人が言われたら、即「ムードメーカーか」と半信半疑でも思ってしまうかもしれないが、この時のムーディーは「ムラキ」の意味だから、決して喜ばしい表現ではない。それでも、私達の仲間にはデンマーク人の友達は幾人もいた。学生は面白がって言い合ったものだ。あの時の若者が現代オーストラリアの熟年層を占めている筈だ。
そんな風に言われるデンマーク人が、しかも無名の建築家のデンマーク人が世界にその美港を誇るシドニーに建設するオペラハウスの設計に抜擢されたのだから・・・
私にしてみれば、実にオーストラリアらしい逸話だと、思う。設計者はもう高齢で遥々北半球の欧州の限りなく北から、南半球の豪州の大都会シドニーにやってくるのは「シンドイ!」という理由で息子が式典には渡豪するとか・・・ 気鋭の無名建築家を発掘して、世間から反感を買っても半世紀も経つと絶賛する結果を得る豪州人! 日本人に真似できるだろうか! 私としては「新しい国だからこそ」できると思う。私が手掛けてきた豪州の美術館での日本漆器の仕事を考えると、メルボルンの日本領事館で怪訝そうな顔をした日本の外交官が「どうしてこの塗師の作品が・・・!」「何で貴女がオーガナイザーに・・・?」と質問攻めだったのが記憶に残っている。そして凱旋ムードに包まれて帰国した姉と私には「何故、あなたが?!」の視線が暫く続いていたのも事実である。
今回のシドニー、オペラハウス世界遺産登録のニュースで、半世紀前のデンマーク人設計家と新世紀の彼の姿は、四半世紀前の私達姉妹と新世紀の塗師である姉とコーディネーターである私の姿にダブらせる事ができると、内心、苦笑いしている。
オーストラリアとはこんな国だ、と私は思っている。そして、「オーストラリアの好きなところは?」という質問に対する私の答えは半世紀前と変わらず「ピープル」である。 そして自画自賛の私は「姉の豪州美術館」進出には私という人間が提出した推薦理由が大きく影響し続けているという事である! 納得!納得!
日本では、島根県の石見銀山が登録された。だが、石見銀山は今年5月の段階ではユネスコの詰問機関であるイコモスが「普遍的価値の証明が不十分」として登録延期にされていた。延期されると、次回以降の審査を受ける場合、推薦書を再提出しなければならなくなる。「東西世界の文明交流に大きな影響を与えた」という推薦理由に対して「詳細な物証がない。日本以外のアジア地域の鉱山遺跡との比較研究が不十分だ」と指摘されたのであった。しかし、奇跡は起こった。
世界遺産は、世界の普遍的な価値のある文化・自然遺産を保護する目的でユネスコが登録するのだが「文化」「自然」と両方を兼ね備えた「複合」の三種類がある。
日本にある世界遺産のひとつである広島の厳島神社は宮島の海と建物の人工的な造形美で人々を魅了するが、次に名乗りを挙げている松島は日本三景のもう一つである天橋立の海と陸の美に並んでその海と島の美は松尾芭蕉を「松島や、ああ松島や、松島や」と絶句に近い感動を与えている。
地球は美しい。海だけだったら、そう美しくはなれない。また、陸だけだったら無味乾燥に尽きると言える。世界の普遍的な価値のある文化遺産と自然遺産を保護する、という事は文化の面から考えると人間が重要な鍵を握っているのがすぐに分かる。
先日、世界のカラーをテーマに撮影隊と行動を共にしたが、ディレクターが「伝統文化」「自然保護」を盛んに口にしていたのを思い出す。
シドニーのオペラハウスが選ばれたと聞いて「えっ!」と思った。実はその驚きには様々な私なりの想いが込められていた。
船出の帆をイメージさせるオペラハウスは当初、完成が1963年の予定だった。私の留学前年にはその雄姿が世界三大美港で私を出迎える筈だった。だが、その時のオペラハウスは建設が頓挫して、実は哀しい様子だったのである。そして、何だかんだと話題にされながらやっと完成したのが1973年、あれから10年もの長い月日が経っていた。
設計者は無名のデンマーク人だったが、あれやこれやで本国に帰国してしまった。多民族移民国家であるオーストラリアは以前、「白豪主義」のニックネームが世界に知れ渡っていた。英国からの流刑者の移民で欧州民族の大移動が始まったオーストラリアでは、私が記憶している限りでは「白豪主義」より欧州の異民族への偏見の方があちこちで感じられたものである。
学生同士では、イングリッシュが中心になってスコティッシュ、アイリッシュの人種が話題になり、他のヨーロッパ人はイタリアン、グリークなどの話題、そして、ジャーマン、フレンチ、ポーリッシュ、更に北上してスカンジナビアンと広がっていった。そこには滅多にアメリカ人の話題は持ち上がらなかった。日本人も黄色人種の代表は中国人で、白豪主義も中国人に焦点が当てられていた。日本人に対する敵意の目は第二次世界大戦の結果が主だった。だが、成人にもならない日本娘の私には殆ど影響がなかった。
インド人に対する態度はかつての英国との関係が下地にあるようだし、デンマーク人もそうだった。英国はあちこちから侵略を受けてきた国家である。それが今も残っているのは英語という語学に窺えると私は思っている。デンマーク語から派生した最たる単語は色々ある中から私が決して忘れないのが、SKY、そう「空」である。それなのにオーストラリア人はブラックユーモアで「デンマーク人はムーディーだ」と陰口をきいたものである。ムーディーと日本人が言われたら、即「ムードメーカーか」と半信半疑でも思ってしまうかもしれないが、この時のムーディーは「ムラキ」の意味だから、決して喜ばしい表現ではない。それでも、私達の仲間にはデンマーク人の友達は幾人もいた。学生は面白がって言い合ったものだ。あの時の若者が現代オーストラリアの熟年層を占めている筈だ。
そんな風に言われるデンマーク人が、しかも無名の建築家のデンマーク人が世界にその美港を誇るシドニーに建設するオペラハウスの設計に抜擢されたのだから・・・
私にしてみれば、実にオーストラリアらしい逸話だと、思う。設計者はもう高齢で遥々北半球の欧州の限りなく北から、南半球の豪州の大都会シドニーにやってくるのは「シンドイ!」という理由で息子が式典には渡豪するとか・・・ 気鋭の無名建築家を発掘して、世間から反感を買っても半世紀も経つと絶賛する結果を得る豪州人! 日本人に真似できるだろうか! 私としては「新しい国だからこそ」できると思う。私が手掛けてきた豪州の美術館での日本漆器の仕事を考えると、メルボルンの日本領事館で怪訝そうな顔をした日本の外交官が「どうしてこの塗師の作品が・・・!」「何で貴女がオーガナイザーに・・・?」と質問攻めだったのが記憶に残っている。そして凱旋ムードに包まれて帰国した姉と私には「何故、あなたが?!」の視線が暫く続いていたのも事実である。
今回のシドニー、オペラハウス世界遺産登録のニュースで、半世紀前のデンマーク人設計家と新世紀の彼の姿は、四半世紀前の私達姉妹と新世紀の塗師である姉とコーディネーターである私の姿にダブらせる事ができると、内心、苦笑いしている。
オーストラリアとはこんな国だ、と私は思っている。そして、「オーストラリアの好きなところは?」という質問に対する私の答えは半世紀前と変わらず「ピープル」である。 そして自画自賛の私は「姉の豪州美術館」進出には私という人間が提出した推薦理由が大きく影響し続けているという事である! 納得!納得!