ばん馬のいる風景-BANEI Photo Gallery -

ばん馬や馬文化のコラムと少し写真。

ツイッターとの自動連携止まってました

2019-05-06 22:27:27 | 2019年
知らないうちに、gooブログとツイッターの自動連携が止まっていました。
4月23日から更新止まってて、あれ? と思ったら…って今更気づくなよ自分…
ということでとりあえず、手動で5月6日まで貼り付けましたが😅 今後は方法考えないとな。

追記。
コメント欄について、私が気づかないことが多いため閉じることにしました。申し訳ありません。
2月のコメントに気づかず、今日まで来ていました。本当すいませんでした……。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

22日から馬車BAR

2019-04-21 14:18:22 | 2019年
パッカ ポッコ
  パッカ ポッコ

当たり前のように、馬の存在を感じられる街であることが重要なのだ。
馬車に乗る、乗らないとは別に、より多くの人に、蹄の音が届いてほしい。
(ビジネス的には成功してほしいのでみなさん乗ってくださいw)
そのリズムは優しく、音色は懐かしく感じるはず。

ということで、明日22日から帯広市内でスタートする馬車BAR。
町中で練習している姿を見てきました。これからもタイミングがあえばストーカーしてきますw
馬車を引くのは元競走馬のムサシコマ。おとなしいわー!話しかけると人の方を見るのがかわいい。これは人気が出そう。

月、火、金、土曜の午後6、7、8時発です。
https://bashabar.com/
<馬車BAR詳細>
https://www.nupka.jp/bashabar04132019/

動画はアップできないので、Facebookにはったリンクで。
動画その1
動画その2

失敗したり時間合わなかったりで写真は街中がなく、馬車置き場→ヌプカまでしかないです汗
餃子のおいしい笑福w




  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ばんえいの宝は人だ

2019-04-03 20:42:56 | 2019年
ばん馬を扱える人は、ばんえいの宝だ。

これまで、何人かの騎手の引退を見た。不器用だったかもしれないけれど、馬が好きで、ばんえいを愛し、存続のために尽力した人ばかりだった。
工藤騎手の噂は耳にしていたけど、どうしようもなかった。そんな素振りも最後までなかったから、なんだかんだいっても結局は続けるんだろな、と思っていた(そう信じたかった)。
もっといろいろと話を聞いておけばよかった。今でも後悔を引きずっている。

騎手だけではない。ニュースにはならないけれど(なった人もいたか汗)、腕のいい厩務員が何人も、競馬場を離れた。
馬の仕事であればいい。実際、育成牧場で技術を活かしたことで、競馬場外のレベルアップに結びついたのはかえってよかったのでは、と思っている。

しかし、世界に一つのばんえい競馬の馬を扱える希少な技術者が、馬から離れてしまうことがほとんどだ。それがもどかしくてならない。
あなたたちは、世界に誇れる能力を持った人たちなのだ。
ずっと、ずっとばん馬のそばにいてほしかった…

ここ数年、心ある人たちが新たに牧場を開き、繁殖牝馬を増やしている。親の跡を継いだ若者も増えてきた。
生産については光明が見えている、と信じている(信じたい気持ちが強い)。

でも、人は?
馬を愛する、というよりは馬と同化したような。話ができるんでないか、と思わせるような。
そんな人たちが、これ以上減ってほしくないのだ。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

1年経って

2019-03-22 18:51:53 | 2019年
わたしが競馬や馬のことを、より深く考えることになったきっかけは馬の死である。
それはレース中だったり、牧場だったり、人知れず消え去る見えない死であったり。
そのつど刻まれた傷は、馬への愛と競走馬へのリスペクトを生んだ。
いつも馬に教えられる。与えられる。私は受け取るばかりで、返すとしたら感謝しかない。

その関係者に思いの丈を話すことがある。
優しく話を聞いてくれるけれど、「私も同じ!」という人はほとんどいなくて、会話は途切れて違和感がある。
この人にとって、命を落とした馬はその1頭だけではない-
頭ではわかっているが、関係者に会えば話さざるをえない。
だから話したあとには軽い後悔がよぎる。

ばんえいは、レース中の事故は少ないけれど、サラブレッドと同じようにたくさんの別れがある。
引退して行方知れず。増えている馬頭観音の卒塔婆。
繁殖生活も長くは続かず、会いにいきたいと思っているうちに病気で死んでしまった、というように。

競馬をはじめて20年以上、ばんえいは10数年。
そんな、たくさんの死が私の中には積み重なっている。
そして昨年のばんえい記念。

ニュータカラコマの死を悼むたくさんの声。
気持ちはわかる。サイレンススズカを思い出す。テンポイントのことを考える。
気持ちはすごくわかるのに、タカラコマを天国で待ち受ける、命を落としたばん馬たちの存在が思い浮かぶ。

その後は、人に会うたびニュータカラコマの話になった。
「うん…」。その後、言葉がでない。
違和感をわたしが作り出している。

「最期をこんなにたくさんの人に見送られるばん馬なんてほとんどいないのだから、むしろ幸せではないか?」
「ニュータカラコマは過去2着2回、3着1回。強い馬なんだ。無理なレースではないんだ! 何も知らずにかわいそう、というな、アスリートに対して失礼だ。強かったレースを見て称えるべきではないか」

いろんな思いはあれど、天国にいる馬たちを前に何もいえない。
ニュータカラコマが幸せだったと思いたいから、彼の素晴らしいレース以外のことは語りたくない。
1年経っても、あの第2障害で時間が止まっている。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする