時間の外  ~since 2006~

気ままな雑記帳です。話題はあれこれ&あっちこっち、空を飛びます。別ブログ「時代屋小歌(音楽編)(旅編)」も、よろしく。

旅歌を作りたくなる時

2022年08月25日 | 音楽活動

 

旅行に行って、現地で見たものや、感じたことが、その後自作曲になることがある。

いわゆる旅歌というやつ。

私には旅歌というのはそこそこある。

時には、行ったこともないのに、勝手に妄想だけ広げて、その自分なりの妄想イメージだけで旅歌の自作曲を作ることは、十代の頃にはよくあった。

 

だが、社会人になり、やがて旅行にもそこそこ行くようになると、想像や妄想だけで旅歌を作ることはなくなった。

十代の頃はめったに旅行には行けなかったので、旅歌を作る場合そうするしかなかった。

だが、実際にちょくちょく旅行に行くようになると、もう妄想や想像だけで旅歌を作ることは物足りなくなったし、やはり実際に現地に行って自分の目で見て、感じたものがないと、歌にはできなくなった。

想像や妄想で思いをめぐらす旅先と、現実の旅先で見たり感じたりするものは違うものね。当たり前だけど。現地に行かないと感じられない思いというものもあるし、現地に行って気がつくこともあるし。

 

ある意味、妄想や想像だけで旅歌を作れてた時期の自分が嘘のようにも思えた。

その頃の旅歌はあくまでもフィクションの旅歌だったから。

もっとも、完全にイメージだけで架空の世界を思い浮かべて曲を作る場合はまた別だけど。

 

旅行に行き、現地で見たことや感じたものから歌が生まれる場合、やはり旅行から帰ってきて間もない頃のほうが作りやすい。

もちろん旅行の記憶は頭には残っているので、その旅から長い年月が過ぎてもある程度は作ることはできると思う。

でも・・・やはり、旅からあまり月日が経過しすぎていると、旅先での感激の臨場感は多少薄れてしまってる部分がある・・・というか、生々しさに欠ける気はしている。

そうすると、せっかく記憶を手繰り寄せて旅歌を作っても、歌詞が途中で止まってしまったり、インスピレーションが途切れてしまうことがある。そうなると、中々完成までこぎつけない。

 

ただ、旅から帰ってきてまもない頃に、その旅を題材にした自作曲のベーシックな歌詞をひととおり作っておき、それを時間をかけて修正したりしていく分には大丈夫。

というのは、旅から帰って来た時の勢いや表現や思いが、ベーシックな歌詞には残っていたりするから。

 

だが、旅から帰ってきて、何年もたってから、その旅歌を1から作り始めるのは・・さすがにしんどい。

 

私があちこちに旅行した中では、実際に旅歌に繋がって完成した曲もあるが、旅歌として残せなかったものもある。その中には、あの旅行は旅行直後にベーシックな歌詞だけでも書いておけばよかった・・・と思えるものもある。

そうすれば時間をかけて、その旅を旅歌として残せただろうに・・そう思うと残念に思うこともある。

 

例えば・・軍艦島。

これは実際にこの目で間近に見た時、おおいに感じるものはあったし、歌にして残したいとも思った。

だが・・歌として完成させるまではいかなかった。

今思えば、旅行から帰った頃に、ベーシックな歌詞だけでも書いておけばよかったと思ってる。

実は、書きかけたことはあった。メロディはすでに用意してあったので、曲調も自分なりにかたまっていた。

でも、どうしても歌詞を発展させることができなかった。

 

もうあれからかなり長い年月が過ぎている。なので今から作るのは無理だろうと思う。

できるとしたら、再びまた現地に行く機会があった時だろう。

やはり、旅行直後の心の勢いというのは、私の場合旅歌を作るための必要条件なんだろうと思う。

 

例えばカナダ。

もし今再び行ったなら、旅行直後にはすぐに歌ができそうな気はする。

しかも何曲も。

というか、今にして思えば、せっかくカナダに行ったのに、なぜそれを歌に残さなかったのか・・・という感じ。

軍艦島同様に、旅から帰ってきて間もない頃に、ベーシックな歌詞だけでも何種類か書いておけばよかったと後悔している。

きっと当時ベーシックな歌詞を書き始めたら、一気に何編もの歌詞が書けたと思うのに。

もっともあの頃・・・カナダから帰ってきたばかりの頃は、カナダから受けた「カルチャーショックならぬネイチャーショック」に打ちのめされ、ある意味自分の感性や感覚がマヒしていた感がある。

カナダ旅行の直後に旅歌が作れなかったのは、それが大きかったと思う。

ともかく心が打ちのめされていたから。カナダの大自然の凄さや素晴らしさに。

言葉にできないほどの感動がありすぎて。

 

 

例えばアメリカ。

アメリカに関しては、西海岸に行った時の記憶は、当時それなりに歌になった。

ベニスビーチや、ホテルカリフォルニアのジャケットになったビバリーヒルズホテル、その近くの道路、などなどから感じたものを歌詞にこめて書いた曲はある。

一応完成はさせた。

だが、出来が自身で納得できなくて、今では単なる「埋もれ曲」にしかすぎない。

まあそれでも何も出来なかったよりはマシなのだが、いかんせん出来に納得できていないとねえ・・。現地で受けた感激や、感じたことを歌詞に「込めきれていない」出来なのだ。

メロディも、なんとなく出来た感じの出来だったし・・。

 

思うに、あまりにかまえてしまうと、かえって書けないのかもしれない。

かまえずに、ナチュラルに心に浮かんできたものを綴っていった方が、少なくてもベーシックな歌詞は書き進められる気はしている。

 

ようし、あの感激をつぶさに歌詞にしよう・・・と鼻息が荒くなると、かえってプレッシャーみたいなものが自分に働き、特に最初の数節が出てきづらくなる気はしている。

 

 

ただ・・色んな場所に旅してきて、色んな場所の風景や「感じたこと」は断片として多数自分の心に蓄積されてはいる。

ある意味、断片とフィクションを混ぜ合わせれば、リアルな旅と妄想の旅をミックスした曲として作れる気はしている。

 

仮に完全なフィクションの旅歌であったとしても、フィクションの歌詞に実際に各地の旅先で得た感覚や感情や、見た風景を入れることで、よりリアルさも増すようには思う。

 

 

 

 

 

 


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