私が子供の頃、親は自営業で店をやっていた。
その店は自宅からは離れており、子供が歩いて行ける距離ではなかった。
たまに父の車に乗せられ、その店に遊びに行くことがあった。
一応「店」だったので、幼い私も「手伝い」のまねごとはしていたと思う。子供なりに。
その店のほぼ向かいに、居酒屋があった。
当時の段階でも、けっこう古い店で、しかも小さな店だった。
はっきり言って、ちょっとボロ屋みたいな建物だった。
いつごろ建てられた店だったのだろう。昭和の初めころか、へたしたら大正時代に建てられた店だったかもしれない。
変な言い方だが、戦後の闇市あたりにあってもおかしくないような雰囲気の古い店だった(もっとも、私は戦後の闇市など、実際に見たことはないが、あくまでもイメージで)。長屋の片隅にあるような店でもあった。
小さな居酒屋だったので、おそらく客席はカウンター席しかなかったように見えた。
テーブル席を設置できるようなスペースはない規模の店だった。
親の店にいると、いつもその居酒屋が見えていた。
居酒屋だからなのか、昼間は営業しておらず、夕方になってやっと店の灯りが灯った。
子供の私にはとても入っていけるような雰囲気の店ではなかったので、もっぱら外から眺めるだけだった。
その居酒屋の営業時間が近くなると、いつしか店主が来て店のドアをあけて中に入ったのだが、店主がどんな人だったのかはわからなかった。
気づけばいつの間にか夕方になると店のドアが少し開いていた。
なぜか、営業前はドアはしばらく開けっ放しだった。もしかしたら換気のためだったのかもしれない。
ドアが少し開いてると店の内部が少し見えたので、店内の様子も少しわかった。
だから、カウンター席しかない店だということもわかったわけで。
ちなみにそのドアは、横にガラガラとずらして開けるタイプのドアだった。
ドアには縦長の曇りガラスがあり、営業が始まるとドアは閉められた。
曇りガラスのおかげで店内の様子は見えなかったが、店内に薄ぼんやりと灯りが灯っているのはわかった。
居酒屋に縁がなかった少年だった私にとっては、ある意味最初に身近に感じられた居酒屋だったと思う。
昼間まるで店じまいでもしたかのように眠っていた店が、夕方になると起き出すように見えた。
やがて正式に営業が始まり、時間が夜になるにつれ、お客さんがたまに入っていっていたのだろう。
大人はああいう場所で飲んだり食事してるのか、中ではどんな会話が交わされているのだろう、店主が女なら、店主目当てで来てる客もいるんだろうな、店主が男なら話相手ほしさに客は来てるのかな、あるいは、仕事の同僚などと一緒に来て息抜きでもしたり、不満をこぼしたりしてるのかな・・・
などと、少年だった私は色んな想像をしていた。
その居酒屋の外観を見ながら。
そして、自分も大人になったらあの店で飲む時がくるんだろうな・・などとも思っていた。
その店に入るのは、ある意味、大人になることの「楽しみ」のひとつみたいな感覚だったかもしれない。。
なぜ少年だった私がその店に興味を持ったかというと、その古いたたずまいの外観に、多少なりとも惹かれていたからだったろう。
なにやら、幼心に、その居酒屋に「妖しさ」みたいなものも感じていたし。
妖しさがある一方で、どこか庶民っぽさもあった。
そのバランスが私の心を刺激したのだろう。
で、外観に漂っていた店の「古さ」も気にいっていた。
その頃は、その後に親が自営業の店をたたむことになることは考えもしていなかったから、もし自分が大人になって親の店を継いだり、あるいは正式に店を手伝ったりするようになれば、仕事が終わった後に、その居酒屋に入るのだろうな・・・と思った。
むしろ、入ってみたいとも。
だが、親がその後その居酒屋の正面にあった自営業の店をやめ、違う場所に引っ越して、引っ越し先で新たな店をやるようになると、元の店があった場所には行くことはなくなった。
なので、前述の居酒屋の前にも行くことはなくなった。
引っ越し先は、電車で片道2時間はかかりそうな遠い場所だったし。
結局、その居酒屋がその後どうなったのは、長年わからずじまいだった。
で、年月は流れた。
そして。
だいぶおじさんになってから、私はふと思い立ち、ある日その居酒屋があった場所・・・商店街に行ってみた。最後にその店を見てから、長い年月がたっていた。
その時はまだその居酒屋の建物は残っていた。
だが、どう考えてももう営業はやっていそうもない感じになっていた。半分廃屋みたいになっていたから。
おじさんになって私がその商店街を訪れた時、その居酒屋があった商店街は・・まだ残っている店はどれもシャッターが閉められていたし、残っていない店も多かった。残っていない店のあった場所にはマンションなどが建てられていた。
商店街の名称は電信柱などに書かれていた文字がかろうじて残されている個所もあったが、もうその通りは商店街としては機能していなかった。
あるのはシャッター街とマンションだけになっていた。場所によっては公園みたいになっている場所もあった。
さらに・・その数年後にまた私が一人でその「かつての商店街」の通りに行った時は、シャッター街すら消えていた。建物は全て新しくなり、通りには店などなく、マンションやビジネスビルばかりが建ち並んでいた。
商店街の文字もすっかり消えていた。
結局、かつて私の親の店の前にあった居酒屋は、私が入ることはないまま、なくなってしまった。
記憶の中にしか、もう存在しない。
大人になったら、あの古ぼけた居酒屋に入ってみようと思っていたのに。
昭和初期っぽい外観の店に。
一度、入ってみたかった。
もし入ったら、「子供の時、この店の前からこの店の外観を見て、大人になったら入りたいと思っていたんだよなあ」などと思ったことだろうに。
あなたには、子供の頃に見かけていた店で、将来大人になったら入りたいと思っていたが、大人になってみたら、もうその店はなくなっていた・・・・そんな店はないだろうか。
なお、写真はこの日記とは関係ありません。
スナックやバーにも興味はありましたが、それ以上に「怖いところ」みたいなイメージもありました。
「その筋」の人たちが出入りしていそうで。
スナックやバーには、イメージ的に「キレイなネエチャン」がいて、男客に気があるふりをして客として引きとめ、金払いが悪いと、奥のほうから怖い兄さんが出てくる・・・そんなイメージもありました。
それって漫画やドラマの影響だったと思います。
大人になってそういう店に行ったこともありましたが、奥から怖い兄さんが出てきたことは、私の経験では一度もなかったような。
まあ、ツケで飲んだりしてなかったからかもしれませんが。
とりあえず私が入ったことがあるスナックやバーでは、客層は普通のサラリーマンでしたね。
漫画や映画やドラマのイメージってのは、時に罪つくりですよね。
とはいえ・・・中には、そんな店もどこかにはあったのではないか・・という気持ちも、まだ残っています。
たまたまそういう店にあたってないだけで。
ボクの住んでた街の駅前の通りにも、あった記憶があります。
当然、18歳未満は入店禁止って事で、当時、小学生だった
ボクには別世界、全くの異次元空間でした。
店舗の営業形態や客層については、ちょっとヤバい人たちが
酒呑んで、キレイなオネエチャンを口説くのが
目的なのだという認識でした。
学校の悪友などに、スナックやバーを知らないなんて
ガキじゃん、と笑われたものです。(純な小学生でしたw)
後年、別の店に会社の先輩方に、連れられて呑みに行ったものですが
店のママや客の方々は、普通の人で驚きました。
当時、読んでた青年漫画誌やTVドラマが、飲み屋が暴力団の
喧嘩の舞台って感じの作品が、多かったせいかも知れません。
私は子供の頃から、古い佇まいの景観が好きだったようです。
一度入って酒を飲んでみたかったです。
ゴールデン街は、あの雰囲気は趣がありますよね。
学生時代には何度か行きましたし、社会人になってからも数回行ったことがあります。
なんというか、常連じゃないと入りにくい店が多かったので、あまり回数は行けませんでしたが。
行く時は、誰か「連れ」と共に行きました。
その店の顔なじみだった「連れ」に連れられて。
ゴールデン街で働いていたのは、愛さんにとって忘れられない記憶でしょうね。
だんぞうさんの少年時代、気になっておられた、その居酒屋、私も気になります。
一度でも入れたら好かったですね、とは思いながらも、一度も入ることが出来なかったからこそ、「想い出は永遠に美しい」「美は一度限り」なのかもしれません。
私も、中学生時代、テレビで東京にある飲み屋街を観ていました。
幾つも灯る看板と、ちょっと暗い通りと、しかし店内ではスタッフとお客さんが和気あいあいとしていて、本当に楽しそうでした。
そして大人になって、図らずも、その場所で私も働くことになりました。
新宿ゴールデン街です。
今でも、あくまでも副業として、週1回か2回、働いてみたい気持ちはありますね(笑)
私目当てに来てくださるお客さん、男女問わず多かったことに、今でも感謝しています。