この記事は元々は2007年10月に投稿したもの。
まだその頃はこのブログに「私の漫画遺産シリーズ」と銘打ったものはなかった。
だが今はこのブログに「私の漫画遺産シリーズ」というものがある。
考えてみれば、この「地獄くん」の記事は「私の漫画遺産シリーズ」に入れるべきネタだと思う。
そこで、今回「私の漫画遺産シリーズ」にこの記事を加えて、再度投稿しなおすことにした。
せっかく再投稿するからには、加筆して投稿し直すことにした。
初めてこのネタを投稿した頃は、私のこのブログはまだ立ち上げてから間もない頃だったので、あまり人の目にはつかなかった。まあ今もたいしたアクセス数ではないのだが、それでもブログ立ち上げて間もない頃よりはマシ。
そう判断して、加筆して再投稿。1人でも多くの人に、この作品を知ってもらいたくて。
「地獄くん」という漫画をご存知だろうか?
作者はムロタニツネ象さん。
ムロタニさんといえば、一連の学習漫画や、「ファイトだ!ピュー太」「かみなりぼうや ピッカリビー」の作者として知られる漫画家だ。
特に「ファイトだ!ピュー太」や「ピッカリビー」はアニメにもなったことがあり、それなりに知名度はある。
今回取り上げる作品「地獄くん」を初めて読んだのはいつだっただろう。ちょっと思い出せないが、ムロタニ作品としてはこの作品は当時は異色に思えたもんだった。
で、この作品。極めて印象的だった。インパクトは絶大だった。ジャンルとしては・・なんなのだろう、一応恐怖モノってことになるのだろうか。でも、決して怖くはない。分かりやすいくらい勧善懲悪であり、エンタテインメント性の強い作品だった。で、傑作であり、怪作でもあった。
強いてあげれば、主役の地獄くんが摩訶不思議で不気味と言える。
それと、背景の画風もおどろおどろしくて、作品の持つ不気味さを盛り上げていた。
初めて読んだ時は、「ゲゲゲの鬼太郎」を彷彿とさせる作品だと思った。特に初期の「墓場の鬼太郎」時代を連想した。
鬼太郎にとっての目玉オヤジみたいな存在が、ちゃんと地獄くんにもいる。
胸ポケットにいる「万年とっつぁん」だ。万年筆の形をしている。で、特殊能力を持つ。
そして、地獄くん本人も特殊能力を持っている。
鬼太郎の特殊能力は、受け身系、攻撃系とあったが、地獄くんの特殊能力は、受け身系の能力が目立ったような気がする。
鬼太郎の敵は主に妖怪だったが、初期の鬼太郎は悪い人間をこらしめていたりもした。
地獄くんの敵は、妖怪ではなく、悪い人間専門だ。
そのへんは両作品に共通する部分が無いでもないが、鬼太郎が悪い人間を懲らしめるときは、それなりの愛嬌があった。
それに比べると、救いようがない悪人に対する地獄くんが与える罰は情け容赦がない。まさに厳しい天罰だ。
地獄くんの持つ特殊能力は普通の人間を大きく越えており、どんな悪い人間であれ普通の人間である以上、地獄くんにはまったく歯が立たない。この「全く歯が立たない」という部分が、悪い人間にとっては恐怖だろうし、まさに地獄からの使者だ。問答無用の強さなのだ。
反面、善人にとっては神にも見えたりもする。
彼の能力に対抗できる存在がいない以上、いわば絶対の力を持ってるようなものだ。
地獄くんは一種の正義の味方みたいな見方も可能だが、かといって正義の味方と言い切ってしまうのは憚られる点もあった。
とかく生粋の「正義の味方」には寛大な点もあるもんだ。
その典型的な例が月光仮面だ。月光仮面の信条は「憎むな、殺すな、許しましょう」だった。
だが、地獄くんの場合はそうじゃない。
悪に対しては「憎んで、永遠の苦しみを与え、許さない」。そんな恐ろしさがあった。
いわば、ダーティヒーローだった。
彼は地獄からの使者であり、役割的には死神に近い。
だが、普通の死神は、善人であれ悪人であれ分け隔てしない。まあ、死神が怖いのはそんな点なんだけどね。悪い事をしてなくても、寿命がくれば問答無用に連れていかれる。その理不尽さが怖い。
だが、地獄くんは、悪人専門の死神なのだ。
逆にいえば、度が過ぎるほど悪いことをしていなければ、彼に地獄送りにされることはない。
そういう意味では、恐ろしい形相をしていながらも、彼は実は優しい死神なのかもしれない。
だって、善人のことは、自分の身を犠牲にして助けてあげたりする。まあ、彼は不死身なので、自分の身を犠牲にしても死ぬ事はないのだが。
弱い立場の人間を地獄送りにすることはない。
地獄からのホンモノの使者でありながら、実は弱者の味方なのだ。
この地獄くんという作品は、決して長編ではない。短いエピソードが何編かあるだけである。
特に最後のエピソードなどは未完のままで終わっている。残念でならない。
シリーズ化して、長く続けてもらいたかった作品ではある。
だが・・・そうなると危惧もある。
鬼太郎は、連載が長く続くにつれ、初期のおどろおどろしさは影を潜めていき、やがてアニメになると明るく健康的な正義の味方になった。毒が抜けた。
アニメ化する以上、テレビ局の方針やスポンサーの注文もからんでくるので、どうしても原作の持つ毒は薄められてしまう。
これは仕方のないことなんだ。良い悪いではなく。カドがとれ、一種の「公約数」みたいな作品になっていく。
もし、地獄くんが長く連載されていったら・・・カドが取れていき、あの登場シーンのようなおどろおどろしさは無くなっていったかもしれない。
そんな危惧は・・ある。
そうなると、地獄くんの魅力はだいぶ損なわれてしまったことだろう。なんてったって、地獄くんの作品全体に漂う異様なムードは凄い。アクが強い。
あのアクが無くなってしまったら・・・。
地獄くんの未完に終わった最後のエピソードでは、最後の方で、女の子と話すシーンがある。
胴体から離れた地獄くんの手が単独で動いてピンチを軽く解決し、自分の体に戻って来た時、女の子に向かって「みっともないところを見せちゃって、しっけい」といった類いの会話をするシーンがある。
このへんなど、もし地獄くんが長期連載されていったら、そういうった人間っぽい感情を段々見せていくことになったであろうことを予感させられるシーンだ。
だから・・・長期連載されなかったからこそ、あの不思議な輝きを今も放っていられるのかもしれない。
でも、ファンとしては、もっと続けてほしかった気も強い。ましてや最終話は未完だし。
そのへん、ジレンマだ。
今や、昔に比べると、悪人の種類は確実に増えている。手口も増えている。
日々、新たな種類の「悪い人間」の事件がニュースで流されている。
だから、もし今、地獄くんが連載されていたとしたら、悪人のネタには事欠かないだろう。
悪人の中には、法律などで裁けない悪い人間も多い。中には、救いようのない悪い奴もいる。
そんな時、地獄くんに天罰を下してもらいたい気持ちになったりする。
どだい人間の敵う相手ではないのだから。
彼には法律は通用しない。
人間社会では悪人がずるい知恵を使って法律逃れをできたとしても、それが性根から腐ったような悪人であれば、地獄くんは悲惨で残酷で厳しい罰を与える。
悪いことをしてるのに法律のがれをしてるような人や、悪事をしてもバレなきゃいい・・みたいな考えでいる人、要注意。法律が許しても、地獄くんは許さない。
地獄くんに罰を与えてもらいたい悪人が身近にいる人は、彼が本当にこの世にいてくれたら・・とさぞかし願っていることだろう。
そんな人にとっては、この世の戒めのためにも、実在してほしい存在・・・それが地獄くんなのだ。
多分子供の頃の私はおばけや妖怪が出てくる作品が苦手だったんだと思います。鬼太郎しかり、悪魔くんやカッパの三平といった水木先生原作の実写ドラマも怖くてあまり観てなかったような・・・
ピッカリビーやファイトだピュー太なんかはよく観てました。きっと私の守備範囲は、ギャグ漫画が中心だったんでしょうね。
でも、ムロタニ先生の雑誌でのこれら作品に関してはほぼ記憶がないんですよね、月刊、週刊問わずけっこう読んでたつもりなんですけどね。
水木先生のタッチは好きでした。とりわけ自然物の描き込みはすごいの一言ですね。それに対する人物や動物の描写はとてもシンプルで、その対比が先生の作品に不思議な魅力を与えていたんでしょうね。
だから、ここで取り上げようと思ったのです。
ムロタニツネ象さんの作品としては、異色作品かもしれません。
水木さんの漫画を怖いと思ったことはありませんが、実写の悪魔くんで「首人形」という回だけは怖かった覚えがあります。
ムロタニツネ象さんの作品は基本はギャグ作品が多かったと思います。
その中で地獄くんは鬼太郎系の作品でした。
あきらかに鬼太郎を意識した作品でした。
水木さんの作品と、つげ義春さんの作品は、どちらも背景の描きこみが凄かったです。
二人の作品は、相通じる魅力がありました。