サラ (ディランの隠れた名曲シリーズ1)
詩人としても有名なボブ・ディランの曲は、抽象的だったり、時には難解だったりする。
まるで、歌詞の意味合いを煙に巻いてるように思える曲もある。
だがその一方で、たまにさらけ出すような内容の曲を書くこともあり、そんな時は、いつもの難解だったり抽象的だったりする多くの作風と対照的で、すごく心に残ったりする。
その良い例が、ディランの場合は例えば「サラ」という曲。
サラというのは、ディランの前の奥さんの名前だ。
つまり、別れた奥さんに対して歌った曲。この曲での歌詞を初めて私が読んだ時、「まさかディランがこういう歌を作るなんて!」と驚いた覚えがある。
歌詞の内容は、別れた奥さんに未練たっぷりで、しかもかなり女々しい内容にも思えた。
なにせ・・・
「サラ」という曲には、「ダメな私を許しておくれ」「行ってしまわないで」・・・そんな歌詞が出てくるのだ。
さらに、名作アルバム「ブロンドオンブロンド」に収録されてた大作曲「ローランドの悲しい目の貴婦人」が実はサラのために作った曲であったことを明かすくだりもあった。
アルバム「ブロンドオンブロンド」はディランの創造性のピークだった時期に出たアルバムで、ディランの全キャリアの中でも1位2位を争う傑作アルバムと言われている。
そのアルバムを制作した頃のディランの歌詞は極めて抽象的で、しかも難解な歌詞が多い。
私は「ブロンドオンブロンド」の頃のディラン作品は、歌詞の意味を深く追求しようとはせず、ただただ歌われている内容のイメージを楽しんでいた。
言葉の使い方、散りばめ方、全体的な雰囲気から。
で、「ローランドの悲しい目の貴婦人」という曲もまた難解で、まともに訳詞を読んだら意味がさっぱりわからなかった。
でも、次々に現れる言葉や比喩が醸し出すイメージを楽しんでいた。
「ブロンドオンブロンド」は2枚組アルバムだったのだが、「ローランドの悲しい目の貴婦人」はアルバムのD面全てを費やす大作曲だった。
つまり、「ローランドの悲しい目の貴婦人」はアルバム片面すべてを費やす長い曲だった。
歌詞が難解で、しかも圧倒的なボリュームの大作曲が、まさかサラのことを歌った歌だったとは・・。
ディランはインタビューで、それを明かしたことはなかったと思う。
それが・・「サラ」という曲の中で、それを明かしたわけである。
そして更に、前述の「ダメな私を許しておくれ」「行ってしまわないで」という、赤裸々な歌詞と共に歌われていた。
「サラ」の訳詞を読んだ時、ディランがそんなことを歌詞で明かすだなんて予想もしてなかったもんだから驚いたのは当たり前だったが、普段難解な歌詞を作っているディランが、そんなことをさらけ出してくるなんて・・。
その「さらけ出し」に凄く親近感を持った覚えがある。
しかも、歌詞全体がロマンチックでもあり、言葉づかいが美しかった。そのへんはさすが詩人。
普段「難解」で、歌詞の意味合いを煙にまいたような作風が多い中で、そういう曲が現れたわけだから、インパクトもあった。
この「サラ」という曲は、「欲望」というアルバムの最後に収録されていた。
「欲望」というアルバムは、「血の轍」というアルバムと並んで、ディランの70年代の最高傑作アルバムとされている。売り上げもかなりの成績を収めたはずだ。
「欲望」からは、「ハリケーン」というシングルヒットが生まれ、また「コーヒーもう一杯」という曲などは日本で人気が高く、日本でだけシングルカットされたりもした。
その他「イシス」などは、その後もライブでたびたび取りあげられたりもしているし、「ジョーイ」というディラン得意の大作曲も収められている名盤。
個人的には「ドゥランゴのロマンス」という曲も大好きだった。
そして「サラ」とくるわけである。
いかに「欲望」が充実したアルバムだったか、今更のように実感する。
以前にもこのブログで書いたことだが、「欲望」は、普段あまりディランを聴かない人にも勧められる傑作アルバムだ。
普段あまりディランを聴かない人でも、このアルバムはとっつきやすいと思うし、別れた奥さんのことを歌った「サラ」には、ぐっとくるのではないだろうか。
その歌詞の内容、哀愁のサウンド、メロディ、ディランの丁寧な歌い方ゆえに。。
このアルバムの日本盤のキャッチコピーだった「美と真実が、君をうつ」というフレーズは、まさにこの曲に似合うような気がした。
https://www.youtube.com/watch?v=vivd3CirnsI
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