私は、物ごころついた時から、自分で曲を作る場合は、基本的に作詞も作曲も両方一人でやっていた。
だが、やがて、欲が出て、誰かと共作してみたいという気持ちも持つようになり、これまでそこそこ誰かと共作して曲を作ったりもしてきている。
誰かと共作する場合、私の場合は、大半は自分が曲を作り、誰かに歌詞を書いてもらう・・というパターンが大半。
あらかじめ、歌詞のついていない、メロディだけの曲を誰かに渡し、いわゆる「曲先」で、後から誰かに歌詞を「はめこみ」で作ってもらったり、あるいは、誰かが書いた歌詞に私が曲をつけたり。
そんなパターンが大半だった。
この逆のパターンによる、曲の共作は・・・ほとんどない。
つまり、私が書いた歌詞に誰かに曲をつけてもらったり、誰かの作ったメロディに私が歌詞をつけたり・・・というパターンだ。
そのパターンは、高校生の頃にフォークグループを組んでいた時にあったきり。
その時のことは、けっこう覚えている。
いまだに、普段自分の歌詞に誰かに曲をつけてもらう形での「曲の共作」がないものだから、余計に。
当時、2~3作の歌詞を、友人に渡したのだが、そのうち少なくても2作に友人は曲をつけてくれた。そのうち1曲は、もう完全に忘れてしまった。だが、もう1曲はおぼろげに覚えている。
大体、思ったとおりの曲になっていた記憶がある。
でも、自分の歌詞に誰かに曲をつけてもらったことがなかったので、けっこう新鮮な体験ではあった。
自分で歌詞を書いて、自分で曲をつけようとする時、当然のことながら途中経過も分かるので、仕上がったらどんな曲になるかは大体想像がつく。
だが、人に渡した場合は、しかもそれが初めて渡す相手だった場合、どんなメロディがついてくるか分からない。そんな点が楽しい。
ちなみにその時は、グループ内の企画(?)で、互いに自作の歌詞を渡しあって、それにそれぞれが曲をつけることになっていた。
なので、私もその彼から歌詞を2作ほど渡された。
それに曲を私がつけて、カセットに録音して聴かせたのだが、そのうち1曲は「大体、思った通りの曲がついていた」と言われたが、もう1曲のほうは「まさか、こういう感じの曲になるとは思わなかった」と言われたのを覚えている。
作詞した本人が、その歌詞にどんなメロディを想定していたのかは分からないが、私は少しトボけたような、ややコミカルなメロディをつけた。
実は、共作して一番楽しいのが、こういう点。
思った通りの曲がついた場合、安堵はするかもしれないが、意外性はない。
人に渡した場合、予想外の感じで出来上がった来た時、「こうきたか!」って思えると楽しい。それは歌詞にもあてはまるわけで。
自分ではとうてい浮かんできそうにない単語、言葉づかい、テーマなどが歌詞の中に出てきていると、実に面白い。
その作業は、特にメロディが先に出来ていて、あとから「はめこみ」でメロディに歌詞をつけてもらったケースに、それを感じる。
共作の醍醐味みたいなものを感じてしまうのが、そんな時。
・・と、これまで、歌詞と曲に別れた共作について、あれこれ書いてきたが、実は私にとっては、これより楽しい共作作業の方法がある。むしろ、究極の共作だとも思える方法だ。
それは、曲のパーツとパーツが、それぞれ作者が違う場合。
例えばAメロディを相手が作り、そこで煮詰まっていた状態の曲で、私がBメロディを加えたりする場合。あるいは、その逆で、私がAメロディを作り、パートナーがサビやBメロディを作る場合。
昔ビートルズが作った「アンド・アイ・ラブ・ハー」などは、出だしのメロディをポールが作り、ジョンがそれにサビメロディを加えたらしい・・・という話を、何かの本で読んだ覚えがある。
あと、「サージェントペパーズ」に入っていた「シーズ・リービング・ホーム」などはメインメロディをポールが作り、それにかぶさるコーラスメロディをジョンが作ったらしい・・とも耳にした。
また、非常に分かりやすい曲としては、あの「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」などは、メインメロディをジョンが作り、そこに真ん中の曲調がガラリと変わるパーツは、ポールが独自に作っていた「別の曲」を、あそこに挿入したもの・・という。
こういう秘話を聞いてると・・・なんかもう・・わくわくしてくるし、ファンとして嬉しくもなってくる。
私に言わせれば、これこそ本当の意味での「共作」だと思う。
個人的には、こういう共作が一番楽しい。私が考える「共作曲」の理想形かもしれない。
こういう方法で曲を作ったことは私にもあるが、せいぜい数曲でしかない。
その数曲の中で、実際に形になって人前で披露できた曲となると・・・数は更に減って、1~2曲しかない。
できれば、またこういう共作をやって、人前で披露できる曲に仕上げることができたら・・・。
そんなことを、今でも時々考える。
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