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気ままな雑記帳です。話題はあれこれ&あっちこっち、空を飛びます。別ブログ「時代屋小歌(音楽編)(旅編)」も、よろしく。

映画「YESTERDAY」を、やっと観れた。

2020年07月25日 | レビュー(テレビ、ゲーム、本、映画、その他)

 

先日、ずっと観たかった映画「イエスタデイ」をやっと観ることができた。

この映画、存在を知ってから、ずっと気になっていた。

 

主人公は売れないミュージシャンのジャック。で、ヒロインが、ジャックの幼なじみの女の子のエリー。エリーは、ずっとジャックのマネージャーをこなしていた。

 

中々音楽で芽が出ないジャックは、そろそろミュージシャンになることをあきらめようとしていた。だが、ひょんなことからジャックは、事故に巻き込まれた。

全世界が「謎の停電」をしたのだが、事故はその影響であったろう。

ところが事故で入院していた彼が目を覚ましたら、そこは世界にビートルズというものが存在しない世界であった。

誰もが知ってるはずのビートルズの超名曲「イエスタデイ」「レットイットビー」などを歌ってみても、誰もその曲を知らない。

そればかりか、ビートルズというバンドの名前すら皆知らない。

 

ジャックは、ビートルズが存在しないというパラレルワールドにスリップしてしまったのだ。

 

ビートルズの歌を歌ってみると、周りの誰もが感動する。

周りの人たちは、ビートルズの楽曲を、ジャックが作った歌だと思いこむ。

そして、こんな素晴らしい曲を作るジャックを周りの人たちはほうっておけなくなる。

なんといっても、誰もビートルズの曲を知らないのだ。

そんなわけで、いつしかジャックはビートルズの曲を自分が作ったということにして、発表する展開になる。

やがてそれらの曲の素晴らしさは、当代随一のシンガーソングライターであるエド・シーランの耳にとまり、エドにコンサートの前座を任される。

それが大きなきっかけになり、やがてはアメリカの大物プロデューサーの目にもとまり、次々とビートルズの曲がジャックが作った曲として世に出されていき、あれよあれよと成功を収めてゆく。

ストーリーはこんな感じで進んでいく。

これって・・・以前私がこのブログでも取り上げた日本のコミック「僕はビートルズ」という作品に設定がそっくりではないか。

 

ビートルズの曲を誰も知らない世界に迷い込み、ビートルズの曲を自分が作ったことにして成功を収めてゆく・・・という点がそっくり。

ストーリーのその流れを知っていたので、この映画はずっと観たいと思っていた。

 

「僕はビートルズ」というコミックが登場したのはもう数年前。そのコミックを読んだ誰かが、ダニー・ボイル(映画「イエスタデイ」の監督)かあるいは関係者の誰かに伝えたのだろうか。

それとも、たまたま設定が似ていただけなのか・・それはわからない。

 

考えてみれば、ソングライティングをする多くの人が、ビートルズの名曲群が自分が作った曲だったら・・などと夢想したことがあるのではないか。そんなことを考えると、「僕はビートルズ」に設定が似ていたのは、たまたまだった・・と考えてもおかしくはない気はする。

おとぎ話として。

 

映画「イエスタデイ」は、主人公がほうりこまれたのは、元の時代と全く同じ時代で、同じ国、同じ場所、知り合いも家族も皆健在。

まさにスリップ先は「パラレルワールド」だ。

一方「僕はビートルズ」で主人公たちがスリップしたのは、昭和30年代の日本で、まだビートルズがデビューしていない時代の日本。文字通りタイムスリップだ。

その点が、両者の違いだ。

 

以前このブログで書いたが、私は「僕はビートルズ」の熱心な読者だったし、単行本も全巻集めた。だが、途中までは最高に面白かったのだが、ラストの決着の付け方がどうも尻すぼみというか、少しがっかりした覚えがある。

そのへんのもやもやを、似たような設定のこの映画「イエスタデイ」がどう決着をつけるか・・それが私の一番の楽しみであったし、興味があった部分だった。

結果的には、映画「イエスタデイ」は、ハッピーエンドであった。

とりあえず「僕はビートルズ」の結末のようなモヤモヤはなかった。

 

もちろん、この映画、ツッコミどころは途中いくつもあった。

その点は「僕はビートルズ」と同じだ。

たとえば、楽曲の良さだけで、ビートルズほどの大スターになれるものだろうか?という疑問とか。

ビートルズがあれほどの存在になったのは、楽曲の素晴らしさはもちろんだが、ファッション性、世に出たタイミング、4人のキャラクター、ルックス、カリスマ性、発言、活動内容、当時の音楽環境内での革新性、その他様々な要素が相乗効果で、ビートルズをあれほどの存在に引き上げたのだと思うしね。

 

だが・・この映画は終盤に驚くべきサプライズ場面があり、その場面のおかげで、この映画を私は肯定する側にまわることが確定。

そのサプライズシーンは、賛否両論あるらしいが、私はまるで夢でも見るかのような暖かい気分で支持したい。

おかげで、この映画は私の中では忘れられない名作になった。

 

ジャックは、いくら世界の人がビートルズを知らないからといって、ビートルズの曲の作詞作曲を自分名義で発表することに、罪悪感とプレッシャーを感じて苦しんでいく。

このへんは「僕はビートルズ」の登場人物たちにもあった葛藤だった。やはり、そうなるよね。

 

また、さらに、ジャックは長年好きだったエリーともうまくいかなくなり、その苦しみはますます増してゆく。

どんどん大スターになっていくジャックとの間に、エリーは距離を感じていたのだ。

そんな時・・・謎の2人組がジャックの前に現れ、「ある人物」の情報をジャックに教えてくれる。

 

救いをもとめるかのように、ジャックは終盤その「ある人物」に会いに行くことになる。

その人物は、おだやかな海辺の一軒家で、どうやらたった1人暮らしをしているようだ。

その人物は78歳の老人である。

 

この老人と主人公のシーンには、私は「監督、こりゃ反則だよ。こんなシーンを見せられたら・・たまらないよ・・」と思い、胸がいっぱいになり、目頭が熱くなってしまった。

 

私はこのシーンばかり、チャプターで何度も観返してしまった。

このシーンに入る少し手前のシーンまで少し巻き戻して何度も観返した。

最初に観た時は、その展開にともかく驚いた。

2度目に観た時は、その状況が嬉しくなったし、主人公がうらやましくもあった。

3度目に観た時は、切なくて切なくて、涙がこぼれるようになった。

4度目以降は、切なさと暖かさと、嬉しさ、そして私のいる現実の悲しさがミックスされてくるようになった。そして観終わった後の余韻があまりに深く、心に染みわたった。

何度見ても・・・いい。その風景もいいし、その老人の言葉、それまでおくってきた人生、そしてその老人に接するジャックの万感の思い。

その老人は、いかにもその爺さんが言いそうなセリフをちゃんと口にしてくれた。

そして、その老人の言葉がジャックを動かし、物語は結末に向かう。

 

その世界の中で、その老人がどんな人生をおくってきたか・・それは視聴者の想像次第だ。

 

この映画、基本はラブストーリーであり、コメディでもある。

普通のラブストーリーコメディと違うのは、ビートルズの音楽が映画を支え、また物語にも大きく関わっている。

ビートルズ好きにはニヤリとなるような小ネタもいっぱい散りばめられている。セリフ、演出効果、場所などなど。

 

我々は、ビートルズの曲は、普段あたりまえのようにそこにある世界に生きている。

あまりにも様々なところでビートルズの音楽は耳にする。

ある意味、耳タコ状態だ。

なので、ともずれば、その素晴らしさを聞き流してしまうこともあるのではないか。

だが、この映画では、初めてビートルズのそれぞれの名曲がこの世に生み出された時、周りにはどんな感じで聴こえたか・・を疑似体験させてくれる要素もある。

「イエスタデイ」「ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード」「レット・イット・ビー」「抱きしめたい」「サムシング」「アイ・ソー・ハー・スタンディング・ゼア」「ヘルプ」「愛こそはすべて」「シーラブズ・ユー」「バック・イン・ザ・USSR」「イン・マイ・ライフ」などなど。

数多くのビートルズの名曲の素晴らしさを改めて実感することになる。

 

この映画、ビートルズファンはぜひ観てほしいと思う。

ビートルズのことを知ってれば知ってるほど、小ネタにも気付くだろうし、「おいおい、そこは違うだろう」とツッコミを入れたくなる個所もあるはずだが、そんなツッコミどころを見つけるのもまた楽しい。

例えば「抱きしめたい」でのハンドクラッピングのパターンとかね。

 

また、たとえビートルズをあまりよく知らない人でも、ビートルズの曲は何曲かは聴いたことがあるはず。あらためてビートルズの音楽の素晴らしさに気付くことになると思うし、シンプルにジャックとエリーのラブコメディとして楽しむこともできるだろう。

なぜなら、売れないミュージシャンであるジャックを支えたエリーを演じたリリー・ジェームズが、ともかく可愛い。

主人公ジャックを演じたヒメーシュ・パテルは、決してイケメンではない。作品中では「ブサイク」呼ばわりされることもあった。だが、歌がうまい。なんでも、ビートルズの曲をうまく歌えるかどうかが、キャスティングの条件だったらしいが、なるほどあの歌唱力なら納得だ。

 

そして、音楽ファンなら、エド・シーランがなんと本人役で登場しているというのもミソ。

エド・シーランは、この映画でファンを更に増やしたのではないか。エドにビートルズへのリスペクトを感じ、個人的に好感度が大幅アップ。

ちなみに私がエドを最初に知ったのは、ずいぶん前にマーチンギターでエド・シーランモデルというマーチンギターが制作されたことがあったからだ。

そう、エドというのは、あの世界のギターのトップブランドであるマーチン社に、エド・シーラン・モデルというシグネチャーギターを作らせてしまうほどのシンガーソングライターなのだ。

 

この映画、ラブストーリーとしては、結末が途中で推測できてしまう雰囲気はあるが、おおかたの視聴者が望む結末に向かうので、観終わった後にすっきりするのではないか。

観終わってハッピーな気持ちになれるだろう。「オブラディオブラダ」がよく似会う結末なのだ。

世紀の大傑作映画!と持ち上げるつもりはないが、ハッピーで暖かい気持ちになれる良作、名作ではあると思う。

コメディだからスルーされてる感はあるが、後で思い出してふと思うツッコミとしては、あのアメリカの女性プロデューサーたちは、あの後大変だっただろうな・・・ということかな(笑)。ビジネスとして考えると、ちと可哀そうではあったから。でも、あの女性プロデューサーなら、タフだから、きっと大丈夫であろう。

 

ストーリーに関しては、これ以上はあまり多くは書かないでおく。

ぜひ、観てもらいたいからだ。

 

私にとっては久々に大のお気に入り映画に出会えた気分だ。

たとえ賛否両論あったとしても。

少なくても、ビートルズファンは、観ておくべき作品だと思う。

 

そして・・初めてこの映画を観るビートルズファンが、終盤のあの老人に対して、どんな思いを持つだろうか・・・。

私は・・そのシーンを思い出すだけで、胸がしめつけられるような気がする。

 

きっと、この先も、私の中で忘れられないシーンになるだろう。

あの海辺の風景と共に。

 

 

 

 

 

 

 


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