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メジャーセブンコードと山下達郎さん

2020年07月27日 | 音楽全般

 

 

山下達郎さんは元々はシュガーベイブというバンドでデビューしたのは、ファンにはよく知られている。

だが、シュガーベイブのアルバムは、発表当時はさほどブレイクしなかった。

レコードは、エレックレコードから出た。

 

エレックといえば、当時は70年代のフォークブームをけん引したレコード会社の中の1社で、吉田拓郎さん、泉谷しげるさん、ケメ、古井戸、ピピ&コット、生田敬太郎さん、佐渡山豊さん、海援隊などを輩出した会社で、フォークのイメージが強い会社だった。

 

そんな中で登場したシュガーベイブの音楽性は、エレックの中では異色に思えたし、今考えても意外なことだったと思う。

 

シュガーベイブは山下達郎さんや大貫妙子さんが在籍し、達郎さんや大貫さんは、フォークブームの後に一世を風靡した「ニューミュージック」と呼ばれたジャンルで大物になったわけだから、エレックはシュガーベイブの路線ももっとプッシュしていけば、ニューミュージックの時代にも生き残れただろうに、そういう意味ではもったいなかった気はする。

まあ、それは結果論かもしれないけどね。

 

 

ともあれ、山下達郎さんは、シュガーベイブが活動停止した後、ソロで活動を始めた。

その音楽性は、私は友人の影響もあり、当初からそのポップセンスはすごいと思っていた。

ファーストソロアルバム「サーカスタウン」には何曲も好きな曲が入っていたし。

特に「ウィンディ・レディ」という曲でのベースラインには、目からうろこ状態になったのを覚えているし、「LAST STEP」という曲でのサビのメロディのキャッチーさには1発で掴まれたし、「夏の陽」という曲の広がりのあるメロディと圧倒的なコーラスワークには聴き惚れるしかなかったのを覚えている。

だが、一般的には当初は中々ブレイクしなかった。

でも、ファンの間では、徐々にではあったが、その音楽性は密かに注目されていったと思う。

どちらかというと、達郎さんの音楽のことで語り合える人がいると、「通」な気分になれたものだった。

 

当時は知る人ぞ知るミュージシャンだったと思う。

 

 

だが、そんな達郎さんも、やがてブレイクする時がきた。

私にとっては、「やっと来たか!」という思いと、嬉しさと両方の思いがあった。

 

で、達郎さんが一般にブレイクしたのは・・・CMでだったと思う。

 

そのCMはカセットテープのCMで、そのCMの中では、普段テレビに出ない達郎さん自身が出演し、なおかつBGMには達郎さんの曲が流れた。

その曲は「ライド・オン・タイム」という曲だった。

「ライドオンタイム」のサビが流れたのだ。

その曲がともかく最高だった。

また、海の中に立っている達郎さんの姿もすごく印象的で、かっこよく撮られていた。

 

このCMが大ブレイクし、達郎さんの名前は一気にメジャーになり、レコードもガンガン売れ始めた。

やっと、達郎さんの時代が来た・・そんな感じだった。

 

 

私はブレイク前から達郎さんの音楽は大好きだったが、このCMのおかげで更に好きになり、学校の行き帰りはウォークマンで達郎さんの曲ばかり聴いてた時期があった。しかもその時期は長かった。

へたしたら、授業の間の休み時間にも聴いていた。

 

それほどハマりまくった達郎さんの音楽には、私は多大な影響を受けた。

自分にはあんな風にはとても歌えないが、曲作りでは達郎さんの楽曲からさんざん刺激をもらった。

邦楽のミュージシャンで私がベーシックな影響を受けた人物の中では、拓郎さんや陽水さん、ケメ、佐渡山さんなどと共に確実に達郎さんの名前も入る。しかも、相当な濃度で。

 

 

 

達郎さんの楽曲でどんな点に影響を受けたかというと、曲作りではなんといってもメジャーセブン系のコードの響きだった。

メジャーセブンのコードの響きという意味では、達郎さん以前にも陽水さんからも私への影響はあったが、なんといっても達郎ワールドのメジャーセブンの響きは圧倒的だった。

メジャーセブンの響きが、達郎さんの音楽では全面的にキラキラ輝いていたように思う。

 

 

当時私は、達郎さんの影響を受けて、メジャーセブン系のコードの曲ばかり作っていた時期があった。

しかも、無意識のうちに・・だ。

ギターを持つと、手癖のようにメジャーセブンコードを弾いていたと思う。

というか、今でもその名残は私の中に残っているほどだ。

 

 

フォークの骨っぽさにこだわっていた友人の中には、メジャーセブン系のコードを使うことに抵抗を感じていた人もいた。

達郎さんの音楽は、当時の日本では前述の通り「ニューミュージック」と呼ばれるジャンルとして捉えられていた。

当時は、それ以前に一大ブームを起こしたフォークブームにだんだん陰りが見えてきた頃で、レコード会社は「フォークブームの次はニューミュージックブーム」と判断し、それを販売戦略にしたのだろう。

 

 

ニューミュージックというジャンルは、フォークに比べると、おしゃれで洗練されていた音楽が多かった。

それは近年では「シティポップ」と呼ぶ人もいる。

だいたいブームと呼ばれるものは、ブレイクしてもだんだん廃れていく。そして、その次に来るブームは、大概それ以前のブームを否定することが多い。

古いブームを否定することで、新しいブームは勢いをつける。

事実、ニューミュージックの前では、フォークというものは「ださい」とされがちだった。

 

その一方で、フォークを続けている人たちや、フォークを変わらず好きな人は、ニューミュージックは「軟弱な音楽」とか「気取った音楽」と見ていた人もいた。

 

中でも、達郎さんやユーミンさんなどはニューミュージックと呼ばれるジャンルの中核に置かれている感があった。

 

 

そんな達郎さんの音楽にはメジャーセブンが多用されていたので、フォークを愛する人にとってはメジャーセブンは気取ったものに思えた人もいだのだろう。

陽水さんのように曲によってはメジャーセブンが出てくる・・・というのはオーケーであっても。

 

私は、そのへんは節操がなかった。

私にとって大事なのは、曲のメロディやサウンドが好きかどうか・・・単純にそれだけだった。

メロディやサウンドさえ好きになれれば、フォークであろうが、ロックであろうが、ニューミュージックであろうが、かまわなかった。

それにインスパイアされれば、それまでとは違った曲が作れるかもしれない・・そう思っていたから。

 

 

ただ、私は・・その後、アマチュアミュージシャンやバンドの曲をあれこれ聴いてると、段々あまりにもメジャーセブン系の曲が多くなりすぎてるように思えるようにもなっていった。

そう、それほど、当時多くの人がメジャーセブン系の曲を作るようになっていたのだ。

そう感じるようになって、私はしばらくメジャーセブンの多用は避けるようになっていった。

 

以前ならメジャーセブンコードを付けていたような部分にもメジャーセブンを使わなかったり、あるいは意識してメジャーセブンの出てこない曲を作ったりもするようになった。

 

その時期は少し私は頑なだったかもしれない。

 

 

やがて、そんな頑な時期も過ぎ去ると、あまり無理しなくなった。

使いたい個所では使う・・・そんな感じになって今に至ってる気はする。

今では、曲の途中でメジャーセブンを使ったりするケースは多いかな。

 

もちろん、気分転換に全面メジャーセブン系の雰囲気の曲を作ることもあるけど、そんな時は「我が家に帰った」ような気分になることもある。

 

我が家・・・それほど、私の中ではメジャーセブン系は刷り込まれているのだろう。

無意識のうちにギターを弾くと、ついついメジャーセブンコードを弾いてることは今でも多いから。

 

それには・・・やはり山下達郎さんの影響は大きかった。

ビーチボーイズからの影響と共に。

 

 

あ、達郎さんの曲には確かにメジャーセブンの響きは多いけど、かといって達郎さんの音楽はそれが全てというわけではないので、念のため。

ただ、個人的にはメジャーセブンのコードを使っていない個所や曲でも、私は達郎さんの曲やサウンドのエッセンスには、どこかメジャーセブン系の響きや輝きを感じていたのは確かだ。

キラキラと。

それだけ、私には達郎さんの音楽は輝いて聴こえていた。

 

 

最後に、このネタの文中でも出てきたアルバム「サーカスタウン」の中から1曲紹介しておこうと思う。

https://www.youtube.com/watch?v=JGjWAPyudE0

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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