恐怖のGW
思えば・・2020年の3月の20・21・22日の3連休で、人々のコロナに対する警戒心が緩んで、各地にどっと繰り出してしまったツケは、あまりに大きかったと思う。
その2週間後あたりから、コロナ感染者の数は一気に増えてしまった。
当時一部マスコミでは「若者のコロナ離れ」などという言い方もされていた。
私はその言葉の意味がよくわからなかった。というか、言葉の意味と言うより、その状況が理解できなかった。
そりゃ・・例えばSNSなどでは、利用者が飽きてきたり、疲れてきたりで、そのSNSを退会したり放置したり、離れてしまえば、しがらみからは解放されるのだろう。「SNS離れ」で。
だが、コロナ相手にそんなことできるのかい?という気持ちが私にはあった。
コロナはSNSなどとは違うのだ。
こちらが離れようが離れまいが、菌にとっては何の関係もない。
こちらの都合や気分でどうにかなるものではない。
菌のほうで「人間離れ」でもしない限り。
SNSを離れるのと同じように、こちらの気持ちが離れてしまえば、コロナと無関係になれる・・・というわけではない。
むしろ、コロナ離れした人間につけこむかのように、感染が拡大し、菌の拡散範囲は広がってしまった。
いわば、コロナ離れした人たちの負けであった。一方的な負け。自滅。
まるでコロナの高笑いが聞こえるようでもあった。
「SNS離れ」するようにコロナへの警戒心を離れてしまえば、それでコロナとは無関係でいられるとでも思ってしまったのが、墓穴を掘ることになってしまった。
「SNS」から離れるのとは、わけが違うのだ。
3月の3連休の「気の緩み」は若者の「コロナ離れ」だけが原因ではないだろう。
全ての世代のストレスがたまっていた反動だったのもあると思う。
だが、こらえきれずに大量外出があったので、その後のしめつけがより強くなり、しかも長引くことになってしまった。
でも、なんで・・あの時点で、人々の気が緩んでしまったのだろう。
色んな場所に人がどっと繰り出している様子がニュースで報道されるのを見て、私は「いや~な予感」がした。
その予感は、現実のものになってしまった。
あの3連休の2週間後あたりから。
そして、そこから一気に感染者数のグラフがはねあがっていった。
で、悪い意味でのターニングポイントになった3月のあの悪夢の3連休を思いだすと、それ以上に怖いのが5月のGW。
GWとなると、3月の3連休以上の連休。
ここでもし3月のあの3連休のようになってしまったら・・と思うと、恐ろしい。
5月のGWで、こらえきれなくなった人が各地にドッと外出したら、その2週間後は更に恐ろしいことになる。
あの3連休の2週間後の感染者の数が比較にならないぐらいに、グラフが上がることになるのでは・・。
まあ、その危惧があったから、緊急事態宣言の時期がGWまたぎになったのだろう。
ともかく、2020年3月20・21・22日の3連休のようになってはならないと思う。
そして・・今から警戒してないといけないのは、緊急事態宣言が予定通りに解除されたら、その後。
GW空けにコロナが収束してるとは、とても私は思えない。
収束していないのに、宣言が解除されて、気がゆるんで反動で人がドッと外出をして、そのツケがまた来ること。
これも怖い。
それではいつまでたっても、収束はしない・・・。
そして人間たちによる「コロナ離れ」など、当のウィルスにとっては全く無関係ですよね。
コロナに人格などあり得ないのに、あまりに馬鹿馬鹿しくて…。
ゴールデンウィーク、どうなるでしょうね。
政治家たちによる訴えは、はっきり言って説得力がありません。
そこでコロナ感染した元患者たち(無事に退院し、日常生活に戻ることが出来た人たち)が結集して、マスコミを利用して、「人がたくさん集まる場所に外出しないでください」と緊迫感ある警告を出してもらう他、真実味は無いかもしれません。
ツケはあまりに大きすぎました。
コロナ離れ、、、相次ぐコロナ報道にあきあきしてしまってたのでしょうが、自分がコロナの話題から離れてしまえば、コロナと無関係でいられるとでも思ったのかなあ。
五月のGWは、あの悪夢の3月の三連休の二の舞にならないことを願うばかりです。
何度も書きますが、私は強制力が必要だと思います。