時間の外  ~since 2006~

気ままな雑記帳です。話題はあれこれ&あっちこっち、空を飛びます。別ブログ「時代屋小歌(音楽編)(旅編)」も、よろしく。

座敷わらしはどこへ・・。 緑風荘、焼失。

2009年10月07日 | 

なんてことだ・・。

信じたくないようなニュースが飛び込んできた。

座敷わらしが住む宿として有名な、金田一温泉「緑風荘」が火事で焼失だなんて・・。

あまりに寂しい。
この寂しさは、たとえようもない。

日曜日にこのニュースを知った時、大きな衝撃を受けた。
ショックだった。
この喪失感・・。
今も心に穴が開いたままだ。


私がこの地に旅したのは数年前だった。
もちろん、座敷わらしに会ったり感じたりできたら・・という思いだけで、この宿に行ったのだった。


わらしが出る「エンジュの間」を予約し、わらしが出てくる屏風の前に布団を敷き、一晩中その屏風を見つめていた夜を思い出す。


この宿・・。
お風呂は決してゴージャスじゃなかった。
それなりに広くはあったけどね。
でも、今もその浴場を覚えてる・・ってことは、印象に残っているということでもある。
私はあちこちの宿に泊まっているが、印象の薄い宿風呂は忘れている。
でも、この緑風荘の浴場は今も思い出せる。


夕飯は、大広間で食べたっけ。
大広間から「エンジュの間」に向かう通路ぞいに、民話を聞かせてくれる部屋があったっけ。
その部屋には、つのだじろう先生の描いた「わらしの似顔絵」も貼ってあったっけ。

エンジュの間の前には縁側みたいな通路があり、エンジュの間の前にある庭には、わらしの祠もあったっけ。小さな祠だった。


トイレまでは遠かったっけ。

トイレに続く渡り廊下は、深夜になると、歩くとミシミシ音をたてていたっけ。


エンジュの間には、おびただしい数のおもちゃが飾ってあったっけ。
それは、宿泊客がわらしに捧げたものだった。
一度泊まったことがある人が、その後、何か良いことがあって、わらしにお礼参りにきた時に置いていったものも多かったはずだ。

あの宿のことは私は忘れたことがなかった。ずっと。

HPに私が載せる旅行記は、私にとって極めて印象的だったか、特別な意味のある旅先を選んで書いた旅行記ばかりだ。
緑風荘も、その中の一つだった。

いつかまた行こう・・・そう思っていたのに。
もうそれはかなわないことになってしまったのか・・。

寂しすぎるね。
悲しいよ。


宿の建物自体はめちゃくちゃ古い・・・という印象は受けなかったが、エンジュの間のある建物だけはめちゃくちゃ古かった。
築・数百年・・・・だったはずだ。
年季が入っていた。
文化財といってもいいだろう。


今はもうそれらは火事でなくなってしまった。

わらし・・・・亀麿さんという名前のわらしは、どこへいってしまうのだろう。
どうなってしまったのだろう。

聞けば、わらしの祠は、まだ残っているとか??
本当なのかな。
だとしたら、それがせめてもの「救い」か。

いや、「救い」と思いたい。
じゃないと、悲しすぎる。

ニュースによると、この火事による死者はゼロだったらしい。

よく言われがちな表現かもしれないが、死者がゼロだったのは、わらしのおかげなのかもしれない。
わらしは、自分の住みかはなくなっても、そこに集まってきた人の命だけは守ってくれたのかもしれない。

・・そう思いたい。
じゃないと、寂しすぎる。



この日、緑風荘の宿泊客を受け入れて避難させてあげた、ご近所の宿にも私は大きな敬意を払いたい。

そういう気持ちが地域に根付いている限り、きっと、わらしはこれからもその地を守ってくれると思う。
その地域全体を守ってくれるんじゃないかな。


宿のスタッフの皆さん。
その辛さ、いかほどのものでありましょう。

でも、・・・立ち直ってください。

私も・・・親が、某・町に出した店が、開店5日目に隣の店からのもらい火で全焼してしまったことがあります。
それは私が小学生の頃でした。
その時の親の表情や、家庭内の雰囲気は、今も忘れられません。

こういうこともある・・・ってことなのでしょう。
世は無常なり・・です。

だから・・時間をかけてでもいいから、少しずつ立ち直っていってください。
幸い、わらしは、全員の命を助けてくれたではありませんか。




この宿の「エンジュの間」に泊まる予定だった人。
いつか行こうと思ってた人。
そういう人は多いことだろう。

なにせ、「エンジュの間」は、数年先まで宿泊予約が埋まっていたらしいから。


前述のとおり、私はかつてこの地に旅して、この宿に来て、「エンジュの間」に泊まった時のことを、自分のサイトで旅行記として書いている。

築・数百年といわれた古い建物「エンジュの間」はもう帰らない。

ここに来れなくなってしまった皆さん。
せめて、私の旅行記で、この宿に泊まった気に、少しでもなっていただけたら・・。
この宿の様子を少しでも知っていただけたら・・。

そして、いつまでも、この宿のことを覚えておいていただけたら嬉しいです。

焼失してしまった今となっては、旅行記という形で残されたこれは、それなりに意味があるのかもしれません。
かつて、座敷わらしの宿と呼ばれた宿があったということの証明にもなるのかもしれません。


こちらです。 ↓

金田一温泉・座敷ワラシの宿「緑風荘」 1
http://homepage2.nifty.com/oborokage/gazou-kindaichi.onsen1.html



金田一温泉・座敷ワラシの宿「緑風荘」 2
http://homepage2.nifty.com/oborokage/gazou-kinndaichi2..html


この旅行記の最後を、私は以下の文でしめくくっているのです。
          ↓

「座敷童の亀麿様。どうかいつまでも、その宿に居て、家の守り神として、人に幸運を与えてあげて下さい。
そして、時の流れが、いつまでもそこでは止まったままでいてくれますように。」


もう、この文は・・・空しくなっていくしかないのだろうか。





いや。

わらしは・・・・きっと、まだあの地に、いると思う。

わらしを愛する心がある限り。



きっと。


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