時間の外  ~since 2006~

気ままな雑記帳です。話題はあれこれ&あっちこっち、空を飛びます。別ブログ「時代屋小歌(音楽編)(旅編)」も、よろしく。

乗り込むドアのえり好み

2016年04月03日 | 日々の、あれこれ

電車の中にいて、ドアの近くに立っていることが、よくある。

ドアの近くに立っていると、電車に乗り込もうとしてくる人の色んな姿を目にすることになる。

 

駅で独自の発着音が鳴り、そろそろドアが閉まりそうなタイミングの時、今駅に停まっている電車に乗ろうと走ってドアに向かってくる人もいる。

その電車が山の手線みたいに運転間隔が短い電車なら、次の電車でもいいやと思える。

だが、たとえ運転間隔が短い山の手線であろうと、今駅に停まっている電車に乗りたい場合もある。

例えば、その電車の後に、違う駅で別の電車に乗り換える場合。特に、朝の通勤・通学ラッシュの時など。

乗り換える電車が急行や準急だったりすると、それに間に合わないと、次の急行を待つことになるのだが、いつも乗れてる急行に乗り遅れて、その急行が目の前で行ってしまうと、次の急行まで15分くらい間があいたりする。

 

山手線のような運転間隔の短い電車でも、いつも乗れてる電車に乗り遅れると、その後の「乗り継ぎ」に影響が出たりするのだ。

目的地に向かう電車の中で、最後に乗る電車が山の手線なら、1本後の山の手線でもさほど影響はないかもしれない。

だが、山の手線から別の電車に乗り換えがあったりすると、やはりいつも乗れてる電車に乗りたいと思うものだ。

 

なので、たとえ運転間隔の短い山手線であっても、急いで乗り込んでくる人の気持ちは、分かる。私自身もそうだから。

だから、急いで乗り込んでこようとしている人の目の前でドアが閉まると、ちょびっと同情してしまうこともある。

 

だが、中には同情できない人もいたりする。

 

それは・・

 

電車の発着音が鳴り、ドアが閉まりそうなタイミングの時に、乗り込むドアの「えり好み」をしてる人などは、その中の一種だ。

 

そんなタイミングの時は、とりあえず目の前の一番近いドアから乗り込んでくればいいのに、違うドアにしようとして、違うドアに移動してるすきにドアが閉まってしまう人を何度か見たことがある。

 

たぶん、一番近いドアの内部を見て、混んでいたなどの理由で違うドアに移動しようとしたのだろう。

だが、そんな時は、たいがいどのドアの内部も混んでいるはず。

 

本当に急いでいるのなら、あるいは本当にどうしてもその電車に乗らなくてはいけないのなら、発着音が鳴っている時は、ドアを選んでいる場合ではないのだ・・。

 

それでも本当に混んでいる時は、少しでも電車内が空いてるドアから乗り込みたいだろうから、それも分かる。

だが解せないケースもあって。

 

その人にとって一番近いはずのドアが、ギューギュー詰めじゃなくて、乗り込んでこれるスペースがあるにもかかわらず、何か不満でもあるのか、別のドアに行こうとする人がいるのも、また事実。

まだドアが閉まるのに多少なりとも余裕があるならともかく、発着音が鳴り響き、「ドア、閉まります」のアナウンスが流れているにもかかわらず、ドアをえり好みしているうちにドアが閉まって、乗り込めなくなってしまう人を見ると、素直に一番近いドアから乗ればいいのに・・などと思ってしまう。

というのは、そういう人の中には、閉まりかけたドアを手でつかんでこじあけようとしたり、駅員にやつあたりする人がたまにいるから・・。

ひどい人になると、ホームにいた駅員の頭を叩くオヤジもいたぐらいだ。駅員としては、たまったもんじゃないだろう。

 

そんな姿を見ると、どうしても・・・「すなおに、一番近いドアから乗ればよかったのに」と思ってしまうのだ・・。駅員に八つ当たりしたって、しょうがないでしょう。

 

どうしても違うドアから乗りたかったのなら、いったん最寄りのドアから乗車し、次の駅で一度降りて、ダッシュで他のドアの所に行って乗りなおせばいいだけなのに・・。

 

私は、そうしているけどなあ。

 

ともかく、ドアが閉まろうとしてる時は、乗り込むドアのえり好みなどしている場合じゃないとは思うのだ。

そう、ドアが閉まろうとしてる時は。

 

そんなの当たり前のことだと思うのだが・・・。

 

 

 

 


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