この日私が泊まった宿は、過去にしんどい過去があった宿らしかった。
ネット上には、そのへんの事情が書かれてある記事もあった。
とはいえ、私は当事者でもなければ、関係者でもない。なので、それについてあまり個人的な思いは書けない。
とりあえず、宿が復活できてよかったねとしか書けない。
泊まってみたら、悪くない宿だと思ったから、なおさら。
少なくても私が宿に求めるものは揃っていたから、よかった。
↑ 宿に到着。海を見下ろす位置に建っていた。もともとはそれなりに歴史のある宿だったらしいが、1度閉館。その後すぐ大手旅行会社に買い取られ、宿名そのままに再開。
↑ 建物そのものは年季を感じたが、鄙びた宿に泊まり慣れてる私には大丈夫。大きな宿ではある。
畳の和室。大きな窓。窓から見える景観。大きな窓辺には、テーブルとイスがあり、景色を見ながら一服できる空間。温泉。大きな浴場。露天風呂。
やはり畳の部屋は好きだ。畳は、足にも優しく、リラックスもできる。
こんな私には、やはり国内旅行の方がいいんだろうなと思える。
海外旅行では、宿に和室などないものね。
畳の和室に泊まると、つくづく自分は日本人で良かったと思う。
私は宿で和室に入り、大きな部屋窓から見える景色を見て一服した後、畳の床に寝そべって、何もしない時間というものが大好き。
テレビもつけず、聞こえるのは、外の自然音だけ。
で、自分は畳の床に寝そべって、何も考えず、何もしない・・・これって、私にとって最高の贅沢な時間なのだ。
こんな思い、旅先でしかなかなかできないから。
↑ 宿のロビーから見下ろす風景。文句なし。私の泊まった部屋からの景色も、ほぼこれに近かった。
夜寝る時間がいつもより早いから、朝は早く目がさめることが多い。
へたしたら日の出前に目が覚めることもある。
そんな時に、部屋の大きな窓から外を眺めると、夜明け直前の景色が見え、窓際のイスに座りながら一服などしてると、夜が明けてくる。
窓が大きいと、夜明けの風景も大きい。
あらためて、夜明けの美しさを感じることができる。
それもささやかな幸せなのだ。
↑ 熱海の海の夜明け前。なごむ・・・。ふう。あの海の中には無数の生物がいるのだ。生存競争をしながら。
↑ さあ、もうすぐ熱海の夜明けだぜよ。世界平和の夜明けはまだかのう。
↑ 熱海の夜が開けた。海に架かる光の帯が美しい。あの帯の道を渡った先には幸せが待っているのかな。それとも?
↑ 宿のロビー。館内施設は、それなりに充実してたと思う。館内には卓球部屋もあった。
朝風呂にも入り、朝食を食べ、チェックアウトの仕度などしながら、この日の予定を改めてチェック。
この日は、駅前からバスに乗って、十国峠に行く予定。
熱海の海には昨日多少なりとも行ってみたので、この日は熱海の山の方にも行ってみようと思った。
宿から駅まで送迎バスで送ってもらい、熱海駅近くのバス停から、十国峠に行くバスに乗った。
途中、来宮神社をバスは経由した。
その時、私は10代の頃、来宮神社には来たことがあったことをふと思い出した。
そういう意味では、過去に私は熱海を訪れたことがあったことになる。
だが、それは立ち寄っただけ。というのは、大晦日の夜遅く、わたしが住んでた町の地元の喫茶店に地元の友人たちが集まり、店内のテレビで紅白が終わり、「ゆく年くる年」が年が明けたことを告げた後に、集まった地元の友人たちと数台の車に分乗し、初日の出を見に行った場所が熱海の来宮神社だった。神社には夜中に着き、ドライバー以外は甘酒を飲んだことを思いだす。
そして、初日の出の時間帯に来宮神社から近くの海辺に向かい、首尾よく初日の出を海辺で見ることができた。
ただその時は、来宮神社が熱海の神社たということは私は把握していなかった。
後から考えると、10代の頃に地元の友人たちとつるんで初日の出を見に行った場所が、たまたま熱海だった‥‥というだけ。
しかも、初日の出を見たら、すぐに東京に戻ったわけだから、熱海に居たという実感は全くなかった。
そんなことを思い出しながら、わたしを乗せたバスは来宮神社を過ぎ、十国峠に向かった。
熱海駅から十国峠までは、思ったより時間がかかった。
↑ 十国峠のケーブルカー乗り場に到着。土産物屋もあり、現地ならではの土産物もたくさん。ちなみに十国峠は、箱根にも近い。
↑ ケーブルカーがすれ違う瞬間は、言わばハローグッドバイ。ケーブルカーの車内って、何気にいつも狭いよね。
↑ 十国峠山頂駅に着いた。ケーブルカーは、けっこう混んでいた。さあ、外ではどんな風景が待ってるのかな。ワクワク。
↑ ケーブルカーの山頂駅を出た所で、1枚。雄大な眺めが、さっそく広がっていた。
↑ ケーブルカー山頂駅付近からは駿河湾方面が見えた。空の広がりと、横たわる大地の様が心地よい。
十国峠のバス停からケーブルカーに乗り換えて、山頂駅に向かい、山頂駅で外に出てみたら、おお!確かに絶景。正真正銘の絶景。
360度見渡せる、雄大な景観。
ここからは十の国を見渡すことができるから、十国峠という地名かつけられているということを実感。
十の国といっても、もちろんアメリカとか中国とか海外の国のことではなく、昔の日本の各地域の国名。
伊豆、駿河、遠江、甲斐、信濃、相模、武蔵、上総、下総、安房と呼ばれた地域が、それぞれの方向にこの峠から見下ろすことができる。
はっきりいって、壮観。
日本観光に来た外国人には、日本の絶景ポイントのひとつとしてお勧めしたい場所。この風景を見たらきっと満足してくれるだろう。忘れられない日本の想い出のひとつになるだろう。
↑ この場所の矢印オブジェからは「伊豆国」方面が見える。この場所の矢印型のオブジェには「伊豆国」と記されていた。
↑ 十国峠ケーブルカー山頂駅には、こんな休憩館があり、売店や休息所があった。外国人客、多し。館内売店では、名物「峠チュロス」を飼い食いするのもいい。私も買いたかったが、あいにく宿のバイキング朝飯を腹いっぱい食べてたので、断念。無念でござる。別腹はどこいった?
↑ 360度のパノラマ展望だったが、1番のビューポイントは、やはり富士山で、まさに主役。
↑ この場所の矢印オブジェから見える国は、「甲斐国」「信濃国」方面のようだ。石は十国碑。1783年(江戸時代)、当時の熱海の里長が、ここからの景観を後世に伝えるために建てたらしい。
↑ 十国碑のそばにあった小堀春樹君偉功記念碑。小堀さんが十国峠山頂をはじめとする8箇所に航空灯台を建設したのを称え、建てられた記念碑らしい。1939年に山の中腹に建てられたが、1968年に記念碑はこの山頂に移されたらしい。
特に雄大な大地の上に、なだらかな稜線と共にそびえ立つ富士山の姿は圧巻。
外国人客が多かったが、満足できたことだろう。
富士山は、登って征服感を味わうのもいいけど、富士山の容姿を堪能するには、富士山全景を見渡せるアングルで見ることことも格別なのたと思う。
十国峠には、富士山がバックに見える位置に記念写真を撮れるカメラスポットがあり、いやあ賑わっていた。
↑ ここからの富士山の眺めは見事。惚れ惚れする。絶世の美女ならぬ、美山。お富士さん、あなたは今日もきれいだよ。
↑ 富士山をバックにする、十国峠の定番の記念写真スポット。団体客の記念写真にはには欠かせないだろう。
十国峠では、ちょっと向こうの方に特徴的な施設が見えた。
歩いて行ってみようとしたら、霊園案内があったので、その施設は霊園なのかと思い、自重した。
後から調べてみたら、そこはグランピング施設であることがわかった。
それを知っていたら、行ってみたかも。
遠目には、縁日の施設のようにも見えたから、霊園と勘違いしたのは無理があったかも(笑)。
↑ なにやら向こうのほうに何かが見えた。あれは何?
↑ カメラアングルを寄ってみたら、あれはグランピング施設らしい。なにやら遠望だと露店が並んでるようにも見えた。
↑ お願い地蔵。十国峠ケーブルカーの開業50周年を記念して建立されたらしい。
↑ お願い地蔵近辺には「安房国」方面への方向を示す矢印型オブジェがあった。この写真では、わかりにくいかも。
↑ 真鶴半島遠望。そのはるか先には、海をまたいで房総半島。いやあ。絶景かな、絶景かな。
↑ 真鶴半島アップ。指を伸ばすかのように、海に突き出ていた。遠景で見ると、細い半島だね。
しばし十国峠で朱鷺を過ごしたあと、ケーブルカーで下り、そこから熱海駅行きのバスに乗って、熱海駅に戻った。
熱海の駅の周辺は、相変わらず賑わっていた。
ひところ熱海は寂れていたらしいが、そんな過去がウソのようにも見えた。
きっと地元人たちの努力があったからだろう。
地元人たちの頑張りで、熱海は観光地として人気復活したのだ。
皆さん、よく頑張ったね。
その努力は、私が行った2023年には、しっかり報われていましたよ。
熱海には、あの秘宝館もあれば、城では春画の展示室もあった。
しかも熱海は昔は新婚旅行のメッカでもあった。
そんなことを考えると、熱海は「色っぽい町」、そんな印象を私は持った。
それが初めて熱海に泊まった私の印象であった。
東洋のモナコとも異名をとる熱海。人気があるのも理解できた気がする。
さすが定番の観光地。そうなるには、ちゃんと理由があったんだね。
熱海は東京からは気軽に来れる場所だし、機会があればまた来てもいいなと思いながら私は東京に帰った。
ちなみに、この日の歩数は8632。思ったよりいかなかった。10000くらいいったような気がしてたから、意外。
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