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手塚治虫先生の「鉄腕アトム」の中のエピソード「地上最大のロボット」編を題材にしたコミック「プルートゥ」。
作画は浦沢直樹先生。
毎回非常に楽しみにしていたのだが、最近ついに連載が終わってしまった。
最後の感想は・・・これは「20世紀少年」のラストにも感じたことだが、あっさり」と終わってしまった。
拍子抜けするくらいだ。
色んな伏線や、未消化のままの設定などが残されたまま・・という感じはするが、その途中経過は実に面白かった。次が気になって仕方なかった。
たとえ原作を知っていたにしろ・・というより、原作を知っていただけに、なおさら、この先をどう描いて行くのだろうという期待があった。
最終回を迎えてしまった寂しさは大きい。
最初この作品が登場した時は、驚いたものだ。
なんと、既存の漫画を原作にして、その漫画を違う漫画家がリメークする・・というアイディアにまず魅了された。
しかも、選ばれた題材は、あの「鉄腕アトム」の中でもトップクラスの人気を誇るエピソード「地上最大のロボット」とは!
なんという選択、なんという「着眼点」。
この「プルートゥ」は、原作に対する大いなるリスペクトが根底にあった。
それをベースにしながらも、現代的な視点で、より深く掘り下げて描かれていた。
この「深み」は、エンターテインメント性に溢れていた原作の根底にあった「深み」をも改めて浮かび上がらせた。
見事な作品だったと思う。
なので、このあっさりとした終わり方には、少しとまどいも覚えた。
だがらといって、この作品の素晴らしさを否定することにはならない。
序盤の「ノース2号」編には、涙涙だった。これは、個人的な感想では、原作を超えていたと思う。
プルートゥが戦う「世界の優秀ロボット」は7体。
原作では、その7体のロボットの扱われ方には差があった。
原作ではあくまでも主役はアトムたったから、アトム以外の「世界の優秀ロケット」の描かれ方は、割とあっさりしていた。
ノース2号もまたそうであった。
原作では割とあっさりと処理されてた感があった。
それがこの浦沢バージョンでのノース2号の扱われ方には深いドラマがあった。
一大感動編になっていた。よくぞここまで広げて、なおかつ深くしたものだ!と感嘆した。
単なる「7体の中の1体」ではなく、そこではノース2号は「主役」であった。
だいたい、物語全体の前半全体の主役であるゲジヒト自体が、原作ではさほど存在感はなく、「7体の中の1体」的なキャラだった。
それがこの作品では・・アトムに代わる主役なのだから。
また、原作に出て来たキャラで私が一番好きだったエプシロン編もまた、読み応えがあった。
期待もしてただけに、エプシロンの最後の描き方のアレンジには一瞬とまどいも覚えたが、読み終わって後からジワジワと良さが染みて来たのが、エプシロン編だった。
原作の中でも、このエプシロンは「7体の中の1体」ではありながらも、手塚先生の思い入れを感じる描かれ方をしていた。
だから私はエプシロンは一番好きだったし、浦沢先生がエプシロン編をどう描くか興味津々&期待大だった。
この浦沢バージョンでも、エプシロンは後半の主役を勤めるような描かれ方をしていたし、深かった。
その意味じゃ、期待に応えてくれたと思う。
浦沢先生は、ちゃんとエプシロンを核にしてくれたし、エプシロンの重要性をよく把握してくれていたのが嬉しかった。
アトムの描き方が、他のキャラよりも一歩引いたような描き方だったのは、意図的なものだろう。
終わってみると、序盤のノース2号、前半の主人公ゲジヒト、後半のエプシロン、そして最後のプルートゥ。
それらのキャラの最後は、読む人に強烈な印象を残すだろう。
そして、思い出せば思い出すほど、切なくなってくるだろう。
この作品を最初から最後まで一気に読み返した後に、ふたたび手塚バージョンの原作を読み返したら、「行間」のドラマを感じて、より深く味わえるだろうね。
今度、原作を読み返してみようかな。
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