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これまで何度か書いてきていることだが、私は自作曲の数だけは、無駄に多い。
小学校の頃に、自作のオリジナル漫画にオリジナルの主題歌をつけたのがきっかけで、小学校時代から曲は作っていた。
その頃はギターなんて弾いてなかったので、もっぱら鼻歌やハーモニカやたて笛などで作っていた。
中学に入ると、漫画を描くかたわら、曲のほうもますます作るようになった。
歌詞の題材は自然風景を歌った曲が多かったように思う。
完成したものもあれば、断片で終わってしまったものも多かった。
中学入りたてのころもまだギターは弾いてなかったので、相変わらず鼻歌やたて笛などで曲を作り、音楽の授業などで使っていた五線紙ノートなどに、浮かんだメロディを譜面にしていた。
譜面を書くのは苦手だったが、そうしないと浮かんだメロディを忘れてしまうので(当時はラジカセなども持ってなかった)、必要に迫られて悪戦苦闘しながら五線紙ノートに「メモ」っていた。
譜面は間違いだらけだった可能性もあるが(汗)。
その後、ビートルズやディランや邦楽フォークソングの影響でギターを弾くようになると、歌詞の題材は自分の心情を吐露した内容が多くなり、マシンガンのように曲を乱作し始めた。その頃ラジカセを手に入れたのも大きく、作った曲をメモ代わりにカセットに録音していった。譜面を書くより楽なので、堤防決壊でもしたように、作りまくった。
マジメな歌もあったが、コミックソングみたいな曲もあったし、すぐに終わってしまう小品の曲もけっこうあった。
で、ある程度完成品がたまってくると、その中からある程度選んで、カセットをアルバム代わりにして、オリジナルカセットアルバムを作るようになった。
一応カセットアルバムに入れた曲は、完成品の中から当時の自分のレベル内で「選んで」いたから、当然「外れる」曲も多かった。
ただでさえ拙い自分の曲レベルの中から「外れた」わけだから、外れた曲の出来は推して知るべし(笑)。
この作業はその後大学卒業まで続いた。
その間、ずっとオリジナルのカセットアルバムみたいなものを作り続けていたのだが、カセットの数が増えるにつれ、外れる曲の数も増えていき。
カセットに入れた曲は、聴きかえすことができるから、どの曲も忘れなかった。
とはいえ、外れた曲も一応自分で作った曲ではあったので、ほとんど忘れることはなかった。
余ったカセットに、浮かんだメロディをメモ代わりに録音していたし、そのメモテープをたま~に聴きかえすこともあったから。
特に大学時代は、アルバイトをしていたせいもあって、余分にカセットを買うこともできたから、浮かんだメロディや、その後「外れる」ことになった曲も、メモ代わりにどんどん録音していった。そして、その「メモカセット」の数はどんどんハイペースで増えていった。
もちろん、自分の中では「正式なカセットアルバム」もあったから、それと同時進行だった。
このあたりから、、自分の作った曲の正確な数は自分でもわからなくなっていた。
いちいち数えたことはなかったし。
ただ、アバウトで「まあ、少なくてもこれぐらいの数はあるだろう」ぐらいのメドで。
それでも、カセットアルバムはもちろん、メモカセットにも入れてなくて、単に「当時作った曲」で終わった曲もある。
そんな曲はひたすら自分の記憶の中にしかない。
たまたまカセットアルバムには入れなくて、メモカセットにも残していない曲でも、出来にそれなりに納得していた曲もあり、そういう曲は、たとえ記録として残ってなくても、普段は忘れていたとしても、何かのきっかけで思いだすことはできた。
なので、そんな曲は「失った」わけではなかった。
ところが。
近年私が「埋もれた自作曲の蔵出しシリーズ」で歌うようになり、過去に作った曲で埋もれている自作曲を物色するため、古い作詞ノートを引っ張り出して見ていると・・・確か昔メロディをつけたはずなのに、どんなメロディをつけたか、一向に思い出せない曲が増えていることに気づいた。
私は作詞ノートでは、メロディをつけた歌詞には、タイトルの横に印をつけているのだが、印がついているのにメロディが思い出せない曲が、けっこうあるようになった。
印がついている以上、過去にメロディをつけているのにもかかわらず。
こういう曲は、自分の中で「ロスト」した曲ということになる。
まあ、仮に覚えていたとしても、そういう曲は大半は「忘れてしまっても仕方のなかった曲」であろうから、あまり影響はないのではあるが。
言えるのは、自分の作った曲の総数は、十代の時点で正確な数はわからなかったのだから、今となってななおさらである。
ロストした曲で、少しでも「納得できる部分」があった「ロスト曲」は、その後に作った曲の中に、ロスト曲の一部が無意識のうちに活かされている場合も・・きっとあるとは思ってはいるが・・。
曲を作るのが好きな人なら、そういうケースはありがちなのではないだろうか。
しかし、「勢いに任せて作っただけ」「適当に作っただけ」という作詩は、後に自ら火に入れて処分しました。
だんぞうさんの場合、「曲」ですから、本当に貴重ですよね。
楽器が出来る者でも、「作曲」となると、全く出来ない者の方が大多数です。
又、作曲出来ても、少数ですね。
どうやって作るんだろう…?
私が知っている有名楽曲は、いくらでもありますが、全てそのままで、編曲能力さえありません(泣)
ところで、その当時、作製されたテープレコーダー音源は今でも無事に聴くことが出来ますか?
テープレコーダー録音から外れた「未発表音源」も、興味津々です。
音楽的感受性とは千差万別ですから、プロフェッショナルが作り、公式発表した楽曲よりも、アマチュアが作った公式発表曲・未発表音源の方が素晴らしいということも、珍しくありませんよ(笑)
だとしたら、作者として、各作品について完成度の高低を感じることはあることでしょうね。
私もそうです。
ただ、自分の評価と他人の評価は違ったりするんですよね。
良い出来だと思った作品が低評価だったりすることもあれば、その逆もあったりしますし。
私の持論ですが、楽器、、、特にメロディーを奏でる楽器の奏者は、誰もが作曲能力は、少なくても潜在的には持ってるのではないかと思ってます。
なので鮎川さんも、もっと追求すればいいのではないでしょうか。
少なくてもメロディーの断片は浮かぶと思います。
あとは、その断片を曲として完成させる意志があるかどうかだと思います。
テープレコーダー音源、、、カセットテープなら、カセットデッキがあれば今も聞けると思います。
デッキが壊れてなければ(笑)。
テープレコーダー音源から外れた未発表曲、は、はっきりいって駄作が大半だと思います。
なので、自分としては、人に聴いてもらう価値はないと思ってます(笑)。
というか、聴いてもらうのが恥ずかしいかもしれません(笑)。