円谷プロのウルトラマンシリーズは、今や国民的なシリーズであろう。
ウルトラシリーズの初代である「ウルトラQ」が放送されたのは、1966年1月2日からであることを考えると、ウルトラシリーズはもう半世紀近く続いていることになるし、
今後も更なる新作は作られていきそうだ。
不滅のシリーズであると言っていいだろう。
これだけシリーズが長く続くと、親子でウルトラの話は出来るだろうし、そのうち3世代に渡って共通のシリーズにだってなっていきそうだ。
もちろん、これだけ長いシリーズになると、ファンのそれぞれの年代によって、リアルタイムで熱中する作品は異なってくる。
だが、最新のウルトラを見ている子供たちにとっても、初期のウルトラシリーズに対する一種のリスペクトはあるのではないだろうか。
今では、DVDなどで初期のウルトラを見ることも可能だし。
ウルトラシリーズに熱中すると、作品に出てくるキャラのマネをする子供たちは多いだろう。
私も子供時代にマネをしたものだった。
例えば初代ウルトラマンなら、まずウルトラマンの変身ポーズ。ハヤタ隊員が、ベータカプセルを片手に持ち、それを天にかかげるポーズ。
それと、ウルトラマンのスペシウム光線を発射させる時のポーズ。そう、手を交差させるポーズだ。
ウルトラセブンなら、ダンがセブンに変身する時の、ウルトラアイを目に装着するポーズ。
それと、セブンがアイスラッガーを頭から敵に投げつけるポーズ。
この辺は定番だった。
だが、ウルトラシリーズには敵役の怪獣や宇宙人も欠かせないし、人気の要素でもあった。
敵役の怪獣や宇宙人のマネをする子供は多かったし、私自身もそんな子供の中の1人であった。
マネをしやすかったのが、まずはバルタン星人。
仁王立ちに立ち、両手の指でジャンケンの「チョキ」をして、それを肩の位置に掲げ、少しこもったような声で「フォッフォッフォッ・・・」とうなる(笑)。
ゼットンの鳴き声(?)や、ダダの鳴き声(?)などもマネしやすかった。
こうした、数ある敵役怪獣や宇宙人の中で、バルタン星人と並んで「マネ人気」があった怪獣がいた。
それは、ジャミラであった。
ジャミラというのは、設定上、非常に気の毒な設定であり、元々は実は地球の人間であり、宇宙飛行士であった。
ウィキペディアの説明をそのまま抜きだしておこう。
ジャミラは・・
「元々は、宇宙開発競争の時代に某国が打ち上げた人間衛星に乗っていた宇宙飛行士「ジャミラ」であり、正真正銘の地球人であった。事故によって水のない惑星に不時着し、救助を待つ間にその惑星の環境に適応して体が変異し、怪獣の姿になった。母国が国際批判を恐れて事実を隠蔽し、救助を出さなかったために見捨てられたことを恨み、最終的には自らの手で宇宙船を修理・改造して、復讐のために地球に帰ってきた。」
という設定の怪獣なのだ。
その設定を考えれば、敵=悪と割り切れるものではなく、深いテーマを含んだ作品であった。
ただただ、悲劇の怪獣であった。その深いテーマゆえ、色々な物議を醸し出した作品でもあった。
設定は人類への警鐘や問いかけを含む深いものであったが、ジャミラ自体のデザインは非常にインパクトがあり、しかもマネをしやすいデザインであった。
ジャミラのマネ。
これ、当時のウルトラファンの多くがやったに違いない。
ジャミラのマネとは・・・セーターなどを頭からかぶって着る時に、手だけはセーターの袖に通し、頭をセーターから出さず、着る途中のセーターに頭は突っ込んだままにすることだった。
つまり、頭はセーターの中にあり、セーターで頭はおおわれており、セーターは頭のかたちに引っ張られて伸びている状態になる。
この時の姿が、ジャミラの上半身に似ているのだ。
セーターを着ている最中に、セーターが頭にひっかかって中々頭が出ない時に、こんな姿になる。思うに・・・あくまでも私の推測だが・・・ジャミラのデザインをした方は、そんなシチュエーションがジャミラのデザインのヒントになったのではないかなあ・・・などと私は思ったりする。
セーターのそういう状態は、たまたまそうなるのであるが、ジャミラのマネをする時は、それをわざとやるのである。
簡単にできるマネなので、当時私の周りでもマネする子はけっこういた。
手軽にできるモノマネで、セーターやシャツをそういう風に着ることで、子供たちは即席の「ジャミラ小僧」になった。
もちろん、マネするつもりではない時に、セーターを着る時にたまたまそういう状態になると、「お、ジャミラみたい」なんて思ったりもした。その場合、場合によってはネズミ男みたいになってしまう危険性もあるので、要注意(笑)。
当時ウルトラマンをリアルタイムで見ていた方の中にも、ジャミラのマネをした経験がある方はいらっしゃるのではないだろうか。
前述の通り、ジャミラは悲しい境遇の怪獣であった。ジャミラの回を見ていて、私は切なくなった覚えがある。大いに同情の余地ありだったからだ。
だから、彼が地球に復讐したくなる気持ちは理解できたし、当然だとも思えた。
だから、できればウルトラマンにはジャミラを倒してほしくなかった思いも私にはあった。
人間は・・いや、地球人はジャミラを責められない。
責められるべきは、むしろ人間の方だと思った。
そんな可哀そうな存在であった。
だが、その一方で、マネをしやすい怪獣として、ジャミラのそのルックスには親近感があった。
セーターでやる、そのモノマネは、ユーモラスでもあった。
その結果、ジャミラは悲劇的で深いテーマを人間につきつける、文明批判性のあるキャラクター性を持ちながらも、親近感をも合わせ持つ、特異な怪獣になった。
せめて、子供たちは彼に親近感を持ってあげることで、多少なりともジャミラは救われるのかもしれない。
いや、そうであってほしい。
ジャミラは水に弱かった。
ならば、地球の・・・本来宇宙飛行士ジャミラの母星であった地球の、例えば砂漠地帯などにジャミラを住まわせてあげる・・・という選択はなかったのだろうか。
彼だって母星である地球には帰りたかったに違いないのだから。
もちろん、人間に危害は加えない・・という約束のもとで。
また、そうなった場合、人間もウルトラマンも、彼に危害をくわえないという約束も必須。見世物などにするのは論外。
ただ、そうなったらそうなったで、それがジャミラにとって幸せなのかどうかは疑問ではあるのだが・・。
ジャミラが初登場してから、もう何十年もたつ。
だが、私は今でも・・・セーターを着る時などに、セーターが頭にひっかかってしまった時などに、ジャミラを思い出すことがある。
善悪というものの分け方の基準や、その区別の曖昧さと共に。
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