人の分け方を「ネットをやる人」か「やらない人」かで分けるとしたら、私は「やる人」の側である。
これだけネットが普及してしまうと、ネットをやる人は、ともすれば世の中の人は皆ネットをやっている・・と錯覚してしまうこともあると思う。ネットをやらない人・・という人たちの存在を忘れてしまったりすることもあるだろう。
それは例えば携帯にも言えるだろう。これだけ携帯が普及してしまうと、今時携帯を持っていない人などいない・・と考えてしまいがちなのではないか。
だが、現実にはネットをやらない人もいるし、携帯を持たない人もいる。
ネットをやらない人・・というのは、ご老人に多いそうな。
まあ、ご老人が若かった頃にはネットなどなかったはずだし、その頃はネットなどなくても世の中はまわっていけていた。
だから、ネットをやらないご老人が、ネットの価値や重要性や便利さをあまり実感してなくてもおかしくない。
以前、あるチケットの予約が、電話による申し込みは受け付けずに、ネットのみでの受け付けだった時、ネットをやらない人たちから大ブーイングが起きた。
その結果、結局電話での申し込みにも応じる展開になったことを思い出す。この時など、ネットをやらない人の存在など、想定の中になかったのだろう。今時、誰もがネットをやっており、やっていない人などいない・・それに近い想定もあったのでは。
でなければ最初から電話でも受け付けていたかもしれない。
ネットというものは、実に便利である。
人との交流もできるし、百科事典にもなるし、買い物にも役立つし、旅行などのプランニングにも極めて有効。
音楽だって聴けるし、時には映像つきで見ながら聴ける。仕事にも使えれば、遊びにも使えるし、勉強にも使える。新聞代わりにもなる。
便利すぎるくらい便利だし、用途も広い。
ご老人の中には、怪我や病気などで、家から出れない方だっている。ネットがなかった時代には、体が・・たとえば寝たきりになってしまうと、人との交流できる数は限られたはず。
だが、ネットなら、こちらが動かなくても・・・家から・・というか部屋から一歩も出なくても、日本中のどこの人ともつながることができる。語学ができれば、部屋から一歩も出ないままで、海外の人ともつながることができる。
そう考えると、ご老人にとっても、極めて希望の持てる媒体だ。
単に、ネットを知らない・・とか、やったことがない・・とか、やり方が分からない・・とか、自分の若いころには存在しなかった媒体なので、なくても問題ない・・とかなどの理由で、ネットを「やらない側」にいるのは、ある意味「希望の元」を自ら捨てているようなものにも思えることはある。
ただ、問題なのは、そのやり方。パソコンなどは、全くやったことがない人がパソコンを入手して操作してネットを始めるのは、いきなりでは敷居が高い感はどうしてもある。
まあ、昔に比べたら、少しづつ敷居は低くなってきてるのだろうが、パソコンには一つ作業をすすめようと何かを始めると、それを始めるための準備や設定がいろいろ出てきて、その中には日本語ではなく外国語の用語などで出てきて、しかもそれをどうするか画面上で聞かれることもある。
すると、シンプルな使い方をしようとしたのに、その使い道に辿り着く前に色々複雑な準備や設定の用語などを調べなくてはならなくなり、だんだん面倒くさくなってきて放り出す・・・そんな展開は、ありありと見える。
パソコンは、何でもできすぎるのだろうね。
それをもっと使いやすくしたのはスマホなのだろうが、スマホとて機能は多い。スマホの多機能をすべて使いこなせている人って、どれぐらいいるのだろう。
ネットをやらないご老人に、「やる側」になってもらうために、もっともっと敷居を低くして、機能を絞って、分かりやすくシンプルにして、あいうえお順に並んだ日本語表記のキーボード、日本語を使った専門用語、そして廉価である・・などのネット機器を普及させてゆく努力は、もっとしないといけないのではないだろうか。
用語だって、無理に外来語ばかりを使わずに、例えば「機能追加」とか「機能向上」「旧機能削除」「複数単語入力しての検索」・・などの表現をしてもいいのでは?
それもまた、業界側の努力ではないだろうか。
機能のシンプル性は、けっこう大事だと思う。
昔の・・・たとえばラジカセなどは、ラジオとして聞いてたら好きな曲が流れ始め、すかさずレコーダー部の録音とプレイボタンをおして録音する・・なんてこともできた。しかも、それは録音の準備を何もしてなくても、何もしてない状態からいきなりボタンを押すだけで、やりたい作業・・この場合「ふいに流れ始めた好きな曲を、即座に録音する」ことができた。
スリープ機能もなかったので、スイッチを押せばすぐに反応してくれた。
だが、今それをやるには、あらかじめ録音する準備をしておかないと、ふいうちのような対応はできない場合は多いと思う。
ラジカセなどは、パソコンに比べたら、機能の数では比較にならない。だが、そのぶん、操作方法がシンプルでわかりやすく、即座の対応で使用することもできたので。
ネットをやらない人に「やる側」になってもらうための努力は、全体的にまだまだ足りないとは思う。
今、日本人の年代別人口ピラミッドでの、ご老人の数の多さを考えると、なおさら。
なぜなら、ネットをやらないご老人でも、ネットを使うようになったら、きっと便利であろうし、年齢と共に諦めた希望を少しでも復活させることができると思うからだ。
もしも、ネットをやらないご老人方の若かった頃にネットが」あったら、やっていた人の方が多かったとも思えるし。
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