時間の外  ~since 2006~

気ままな雑記帳です。話題はあれこれ&あっちこっち、空を飛びます。別ブログ「時代屋小歌(音楽編)(旅編)」も、よろしく。

ステファン・グラッペリの思い出

2006年09月08日 | 音楽全般

忘れられないコンサートというものがある。
中には、それを見たことが、一生の宝もの的な思い出になる場合もある。
私にも、そんなコンサートがいくつかある。
その中の1つが「ステファン・グラッペリの来日公演」だ。

グラッペリと言えば、なんといっても、ジャンゴ・ラインハルトと一緒に音楽活動を行っていたことで有名。その時のユニット名は「ザ・クインテット・オブ・ホットクラブ・オブ・フランス」。

ジャンゴは、チャーリー・クリスチャンと並んでジャズギターの開祖とまで言われている伝説的なギタリスト。

ジャンゴは1953年にまだ40代の若さで亡くなっている。脳溢血だったらしい。

ジャンゴに先立たれたグラッペリであったが、ジャンゴ没後も活発な音楽活動を続けた。
その活動は、彼が1997年89歳で亡くなるまで続き、まさに生涯現役のバイオリニストであり続けた。

彼は5度程来日して公演している。
彼の年齢を考えると、来日公演など望めないだろうな・・と思って、諦めていたので、計5度も来日公演をしていた事実には,後になって驚いた。
もし情報を得ていたら、私は彼の初めての来日公演から行ったに違い無い。

私が行ったのは4度目と5度目の来日公演。
ひょんなことから彼の来日公演の情報を耳にした時は、心が躍った。

私が敬愛してやまないジャンゴ・ラインハルトと共に素晴らしい名演を残してきたグラッペリ。
だから当然グラッペリもまた、私にとっては敬愛するアーティスト。
あのグラッペリをこの目でみることができる!信じられないくらいだった。
ワクワク・・なんてもんじゃない。気持ちは大きく大きく膨らんだ。


ジャンゴとグラッペリの演奏は、レコード(今ではCDだけど)の中だけの存在としてとらえていたので、3次元でとらえられる日がこようとは・・・。ヨヨヨ・・・・。


その日がきた。
1995年の4月・・だったと思う。
何と、その日の公演での私の席は、最前列!!!!ときたもんだ!
こりゃ~、胸が高鳴らないほうがどうかしてる。

ついにグラッペリ翁が出て来た!
しかも目の前数メートルの所にいるではないか。
こんなことが・・・。もう言葉にならない。

高齢のため、動作はゆっくり。「お爺ちゃん、手を貸しましょうか?」と言いたいくらい。
でも、一度演奏が始まると、その達者ぶりはどうだ。
とても80歳を越えたご老人とは思えない。
流れるような洒落たフレージング、上品な音。そして、明るく暖かい音楽性。
「ジャズバイオリンの至宝」と呼ばれるのはダテじゃないのだ。


グラッペリがジャンゴと一緒に演奏してた曲を、目の前で本人が弾いてくれてる。
もう、それだけで涙がでそうだった。いや、実際、目頭は熱くなっていたのだ、私は・・。
こうして、夢のような時間が流れていった。至福の時・・とは、こういう時間のことをいうのだろう。

すべての演奏が終わった後、私は後ろの席の人のことなど考える余裕もなく、真っ先に立ち上がった。自分の感激を本人に拍手で伝えたくて。
すると、次の瞬間には、会場のほとんどの人が立ち上がった。
鳴り止まないスタンディングオべーションだ。


すると、翁は、限りなく優しい表情で笑みを浮かべて「サンキュー」。
優しく暖かいお爺ちゃんが、そこに居た。可愛いお爺ちゃんとは、こういう人のことをいうのだろう。私にはお爺ちゃんの記憶がない。私が生後6か月の時に亡くなってしまったらしいので。
でも、私にとっては、彼は自分のお爺ちゃんででもあるかのような親近感があった。←失礼。
それはグラッペリという人の持つ暖かいオーラのせいだろう。


で、5度目の来日公演。1996年。2年連続して来てくれたわけだ。
今度は真ん中あたりの席だった。ちょっと寂しかった。
90歳近い老人。そうとう無理してるのか、車椅子での登場だった。
でも、バイオリンを弾き出すと、お爺ちゃんは偉大な「ジャズバイオリンの至宝」に変身する。
若い頃に比べると、枯れた味わいも出て来て、その演奏そのものが宝なのだろう。
円熟味の極みとでもいおうか。


全ての演奏が終わった後、再びグラッペリ翁の「サンキュー」。
だが、その喋りは前回の時より弱々しい。
「サンキュー」というよりも「・・サン・・キュー・・・」と書いた方が正確。
消え入りそうな声だった。

もうグラッペリを見れるのはこれが最後かも・・・と直感した。
90歳近い体に鞭打って、フランスから遠く離れた極東の島国に来てくれたのだ。
無理しちゃって・・。
その年齢での長旅は、さぞやこたえたことだろう。

コンサートは彼の人柄そのままの暖かいコンサートだった。
聴いてて、幸せな気分になるのだ。

そう、彼からは、暖かみというものがにじみでてきていた。
あんな暖かく、幸せな気分にしてくれる演奏会は、そうあるもんじゃない。

ジャンゴは奔放で、天才にありがちな「気まぐれ」があった。
ジャンゴの演奏は、次に何が出てくるかわからないスリリングさがある。
その人のキャラクターというものは、確実に演奏に反映される。

でも、グラッペリは、ジャンゴとは対照的で、礼儀正しく常識をわきまえた紳士。
おそらく真面目な人なのだろう。
そんな人柄は、演奏にも現れていた。
なんていうか・・・聴いてて安心感があり、それが暖かく心地よい。

もう会えないかもしれない・・そう直感すると、心の中に寂しさがわき上がってくるのを抑えられなかった。


その後・・・私の直感は当たってしまった。
グラッペリお爺ちゃんは89歳で亡くなった。
私の見た5度目の来日の翌年、1997年12月だった。

最後まで音楽家であり続けた、偉大で見事な一生。そう言っていいと思う。

その訃報を聞いた時、私は涙が流れてしまった。自分の身内でもないのに。
やけ酒を飲んだことを覚えている。
音楽家の死を聞いて、涙を流しながらやけ酒を飲んだのは、ジョン・レノンの死以来だった。

グラッペリのあの笑顔、消え入りそうな声、介護が必要になるような弱々しい動作、そして達者で洒落た演奏を思い出しながらの「やけ酒」は、私なりの合掌の酒だった。


グラッペリの演奏をこの目にしかと焼きつけることのできた、このコンサートは、私にとって、かけがえのない貴重な体験だ。自慢したいくらいだ。

ステファン・グラッペリの思い出、それは、とても暖かく、至福の時間の思い出。








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