中学や高校の頃に作った自作曲を今の自分が歌ってみると、出来が実に拙い。
でも、今の自分では浮かばないような傾向のメロディだったりはする。
作曲というのは、時期・時期によって、傾向が違ったりするのだが、あまりにも古い時代に作ったメロディだと、今の自分の傾向との違いはけっこう大きい。
なので、たまに遊びで、そういう古い曲でボツになっていた曲を引っ張り出してきて、今の自分の感覚で手直ししてみたりすると、面白い。
中には、メロディの一部を抜粋してみたり、歌詞を変えてみたり、全体的なメロディラインを細かい部分で手直ししてみたり。
歌詞は、今の自分が歌うには大幅に変えなきゃ歌う気にならない場合が多い。
だが、テーマは昔作った時の路線で。
メロディラインは大きな流れは変えずに、部分的な流れや節回しを今の自分の趣味に変えてみたり。
そうすると、その曲が、今の自分の新作に近い存在の曲になりうることもある。
でも・・・その一方で、昔作った曲には、作った当時の自分が反映されているので、あまりこねくりまわしたくない気持ちもあったりする。
それは、作った当時の自分の記録でもあるわけだし、それを今の自分が作り変えていったら、昔作ったものが意味がなくなってしまうような気もする。
ある意味、昔書いた日記を今の自分が今の気分で直してしまうようなもので、それじゃ意味がない・・そんな気持ちにも近く。
そんなことを考えると、そのままにしておいたほうがいい曲、少し手直しして試してみる曲、構成からメロディラインまで大幅に作り変えてみる曲・・・といったぐあいに、曲によって扱い方をかえている。
ともあれ、作風が時期ごとに微妙に異なるのなら、過去の作風に今の作風を加えることで、新たなものができることもある。
その場合、過去の作風と、今の作風の合作・・・そんな感じかな。
ただ、取り上げる「昔の曲」というのは、自分の中で「埋もれていた曲」であるということが、私なりの条件かな。
過去に作ったけど、陽の目を見なかった曲や完成しなかった曲を、今の感覚で仕上げ、少しでも陽の目を見るチャンスを与えるということ。
もっとも・・・未完成曲の断片というものは、無意識のうちに自分の中にストックとして残っていて、新たに1から曲を作る時に、曲の一部に過去のストックが無意識のうちに使われることもある。作ってる最中はそれに気づかなくても、曲が完成して少し時間がたって、その曲を見つめ直した時に、それに気づくこともあるんだけど。
・・その場合、いつのまにかそれは「自分節」であり、自分の癖みたいになる(笑)・・はっきり言うと、自作曲のリサイクルみたいなものかなあ(笑)。