吉田拓郎さんの「伽草子」と、井上陽水さんの「二色の独楽」。
この2枚のアルバムには共通点がある。
どちらも最高傑作と呼ばれたアルバムの次に出たアルバムである・・・という意味で。
「伽草子」は「元気です」の次に。「二色の独楽」は「氷の世界」の次にでた作品。
「元気です」は拓郎さんの最高傑作として、「氷の世界」は陽水さんの最高傑作として、いまだに語り継がれる名作であり、その評判は圧倒的であった。内容も素晴らしい出来だった。
そういうアルバムを作ってしまうと、そのあとに作るアルバムにはファンから相当な期待がかかる。
最高傑作と呼ばれた前作と比較されてしまうからだ。
そういう意味では、「伽草子」も「二色の独楽」も、十字架を背負い、相当なプレッシャーの中で製作された作品だろう。
正直私も、「元気です」や「氷の世界」の次のアルバムということで、かなり期待したのを覚えている。
で、買って聴いてみた時のことも覚えている。
前作以上か、同等のクオリティという高いハードルを持って聴いてしまっていたのは確か。
そして、聴き終わって、さすがに前作には敵わないか・・・・という印象だった。
だが、前作が凄すぎたのだ、今回もそれなりのクオリティには達しているはず・・とも思いなおし、その後何度も聞いた覚えはある。
ただ、私の周りの拓郎ファンや陽水ファンは、けっこう過激なことを言ってる奴は何人もいた。
「もう売りたい」とか、「もう終わりだな」とか、ひどい奴になると「腐ってる」とか。
そういう言葉を何度も聞かされると私は、「そこまでひどいかなあ・・??いや、そうでもないだろう」という気持ちにどんどんなっていったのも覚えている。
確かに前作にはかなわないとは私も同感だが、なまじ前作の最高傑作の後に出る・・という巡り合わせが、これらのアルバムにとって不幸だった・・と思うようになっていった。
正直「元気です」や「氷の世界」は、まるでベストヒットアルバムのようなクオリティだった。
だが、そのあとの「伽草子」や「二色の独楽」は、大好きになれる曲もあれば、普通に好きになれる曲も多かった反面、好きになれない曲もあった。
他の普通のオリジナルアルバムならそういうのは普通のことなのだが、なまじベストヒットアルバムのような傑作の後だっただけに、「伽草子」も「二色の独楽」も、ベストヒットアルバムみたいなものを期待されたのが不幸だった。
時間をかけて聴いていけば、「伽草子」も「二色の独楽」も、それなりに出来のいい曲はちゃんと入っていたのがわかる。
まあ、逆に言えば、そのミュージシャンが、ベストヒットアルバムみたいなオリジナルアルバムを作れる力がある・・ということを前作で証明したということなのだ。
だからこそ、そのミュージシャンに皆が期待してしまうのではあるが、そういう出来のアルバムは毎回毎回新作のたびにできる芸当ではない・・ということは、ファンも理解していないといけない・・ということも当時思ったもんだった。
「伽草子」には「ビートルズが教えてくれた」とか「暑中お見舞い」とか「制服」「伽草紙」などの良い曲がちゃんと入っていた。
「二色の独楽」には「眠りにさそわれ」「夕立ち」「旅から旅」「太陽の町」などが好きだった。
にもかかわらず当時イマイチの評価だったように思えたのは、 それなりに良い曲も入っていたけれど、どうしても前作アルバムと比較され、損な立場のアルバムだったから・・ということだ。
陽水さんは、そのあとのアルバム「招待状のないショー」の「曲がり角」という曲で、興味深い歌詞を書いていたが、その歌詞はもしかしたら・・・「氷の世界」のあとの「二色の独楽」での世間の評価のことや、自分の心情を言っていたのではないか・・・私はそんな気がしていた。
最高傑作の次のアルバムで下り坂になったように見える・・・そういう状況は、洋楽でもよくあった。
例えばイーグルスが「ホテル・カリフォルニア」の後に発表した「ロングラン」。
ブルース・スプリングスティーンが「明日なき暴走」の次に発表した「闇にほえる街」。
他にもある。
どれも前作があまりに評判が良すぎたがために、自作製作でプレッシャーをはじめとする諸問題がミュージシャンを襲い、出来上がった作品が実内容以下に低評価されてしまうケースがあったような気がする。
時には、その諸問題が、ジャケットにまで影響を及ぼしてるような印象をファンに与えたこともあった。
どこか沈んだ表情をしているように見えたり、ジャケットデザインが暗かったり。
まあ、それは多分に、それを見ているファンが勝手にそう見ている部分もあるにしても。
ただ、そういう作品でも、しばらく時間が過ぎ、前作の最高傑作作品との比較を取り外した状態で聴いてみると、その作品が発表されたばかりの頃には気付かなかった良さに改めて気付くことがある。
なまじ、前作の最高傑作作品と比較するから見落としていたり、落ちて見えた印象が、実はそのアルバムならではの良さがあったことに気付いたりするのだ。
月日がたてば、前作の最高傑作と結び付けないで、そのアルバム単体で、まっさらな気持ちで聴けたりして、再評価につながったりするのだ。
で、
「出たばかりの頃は、少し落ちるかな・・と思ったけど、これはこれでそんな悪くない作品かも」
と思えたりするのだ。
拓郎さんの「伽草子」と、陽水さんの「二色の独楽」に話を戻せば、「伽草子」なんてジャケットの紙質も好きだったし、ジャケット写真の独特の色合いも好きだった。
「二色の独楽」のジャケットの全体的に青いイメージの色は、収録曲「太陽の街」とシンクロしてるように見えて、好きだった。また、このアルバムは、当初二重ジャケットになっていた。少なくてもLP盤はそうだった。
どちらのアルバムにも、私が好きになれた曲が何曲も入っていたのは、前述の通り。
「伽草子」の「からっ風のブルース」と「話してはいけない」の2曲は・・・ 当時、正直あまり好きにはなれなかった・・。特に、オープニングが「からっ風のブルース」だったというのが、当時の自分的には、このアルバムの第1印象を少し落とした感はあった。
なんていうか、「からっ風」のサウンドのスカスカぶりが、少し物足りなく感じた覚えがある。
普通のロックバンド系の編成やサウンドではあったし、カッコよい曲を狙っているのは伝わってきたのだが・・。
もし、オープニングが別の曲・・・例えば「ビートルズが教えてくれた」とか「暑中お見舞い」とか、もしくは、このアルバムに収録されなかった別の曲だったら、アルバムの第1印象は変わっていたかもしれない。
「からっ風のブルース」と「話してはいけない」の2曲が、別の曲であったら、このアルバムの第1印象は・・個人的にはかなりよかったと思う。例えば「おきざりにした悲しみは」とか「恋の歌」とかだったら??入れようと思えば入れられたのではないかと思うのだが・・。
まあ、今となっては・・・の仮定ではあるけど。
また、「二色の独楽」は、特に「好きになれなかった曲」というのは無かった。「眠りにさそわれ」などは珠玉の名曲だと思ったし、その他の曲もけっこう粒ぞろい。このアルバムが発売された当時、評判があまり芳しくなかったのは、犯人は「氷の世界」だ。単に「氷の世界」が凄すぎただけだ。
「前作の最高傑作アルバムとの比較」という宿命から解き放たれた状態で聴いてみると、決して「評判が芳しくない」ような内容ではないと思う。
むしろ、拓郎さん、陽水さん、それぞれが前作の最高傑作アルバムに負けまいと意気込んで作りあげたであろう「やる気」が伝わってくるアルバムになっていると思う。
拓郎さんは「伽草子」では、鍵盤での弾き語りに挑戦したり、ラストに組曲的な曲を持ってきたり、「青春の詩」以来の「女性とのデュエット」などにも挑戦していたし。
陽水さんは「二色の独楽」で、「氷の世界」に負けないくらいのサウンドで、重たい曲、軽やかなポップ曲などバラエティに富んだ曲を用意できていたし。
だから・・・
発表当時の「芳しくない評判」は、的を得ていなかったと・・・今では思う。
「曲がり角」ではなく、過渡期ではあった・・ということでは。
曲がり角・・というのは、良い状況から悪い状況への転換というニュアンスで捉えられることが多いが、決して2人は悪い状況に向かっていたとも思えない。
だから・・やはり「過渡期」の意欲作・・・そう捉えた方が個人的にはしっくりくる。
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