時間の外  ~since 2006~

気ままな雑記帳です。話題はあれこれ&あっちこっち、空を飛びます。別ブログ「時代屋小歌(音楽編)(旅編)」も、よろしく。

「唐人お吉」に思う。

2007年06月13日 | 

先日、伊豆に旅してきた。
どうも私は伊豆とは相性が良くないみたいだったので、ここ十数年は伊豆を旅先に選ぶことは避けてきた。
だから、今回、伊豆を旅先に選ぶのにはちょっとした決断が必要だった。


今回の旅のテーマは、つげ義春ゆかりの地を旅するのが目的だったのだが、つげ先生関係でのこの旅は実りの多い旅になったので、満足。
で、更に言えば、今回の旅には、つげ先生以外にももうひとつだけ小さなテーマもあった。
それは「唐人お吉」に会いにいくことだった。


唐人お吉。
斉藤きち。
幕末&維新の人。
激動の歴史の中で政治的な犠牲になった悲劇の女性。


私は昔、仕事関係の調べもので、お吉のことを調べたことがあり、それ以来彼女のことは気になっていた。
機会があれば、できれば彼女の墓参りでもしてあげたい。こんな無粋な私でもよかったら、墓参りをしてあげたい。
あまりに気の毒な運命だったから。

これまでに数多く彼女の生涯は映像化されたり小説化されたりしてきている。
物語化された彼女の生涯と、実像では、実は少し違う部分がある。

そういうことも含めて、できれば彼女の気の毒な運命についてここでざっと書いてみたい。
私の個人的見解もまじえながら。
だが、それについて、あまりにあれこれ細かく書き出すとますます文章が長くなる(笑)。これ以上長くなったら、もうそれは日記じゃなくなる(笑)。
だから、なるべく、短めに書きたい。


簡単にいえば、幕末、日本に開国を促すアメリカの外交官として赴任してきたタウンゼント・ハリスに仕えることになったために、異国人と交わった不純な女性として一般住民から迫害され、酒に溺れ、最後は川に身を投げて自殺することになってしまった女性。
人々から受けた迫害は、想像を絶する。
そのへんの様は、知れば知るほど私は憤慨する。ひどすぎる。

髪結いの仕事をすれば「お吉が髪を結うと髪が抜ける」だの。
料理屋をやれば「お吉の料理を食べると指が腐る」だの。
「夜は四つんばいになってる」だの。
どれも偏見からくる、根拠のない中傷ではないか。


お吉は下田一の美人芸妓であったとされているが、実像は洗濯を生業とする女性であった。
お吉の写真は私が知る限りでは5点ほどある。
うち1枚は、晩年のお吉の写真とされ、その頃は生活も心も荒み、それが風貌に表れてるような辛い容姿だ。
他の3枚はどれも若い頃の写真だが、どれも美人。現代を生きてたとしても、相当モテることだろう(笑)。
だが、お吉の写真とされてる写真が、本当に本人の写真だったかは疑問だ。
どの写真も、まるきり別人に見えるからだ。

当時はまともに往来を歩けない状態だった彼女。目立つ写真館になど行けただろうか。
また、一時的にお金があったとしても、生涯を知ってみると、決して裕福だったとは思えない。
前述のような有様ゆえ、どんな仕事をしても中傷のせいでうまくいかなかった。
当時高額だったに違いない写真など、撮ってもらうような金銭的余裕が彼女にあったかどうかも疑問。


・・でも、個人的には、残された写真のどれかは本人のものだったと思いたい。


異国人ハリスに仕えたがために不純な女性とされたが、実は、彼女はハリスには仕えてたった3日で解雇されてるのだ。
なぜたった3日で解雇されたかについては諸説あるが、彼女の酒乱ぶり(実際その傾向は年々強くなっていった)をハリスが嫌ったという説もあれば、彼女の体にあった腫物を嫌ったという説もある。

当時、異国人に日本人女性が「身辺のお世話」の名目で仕えるケースは多かった。
おそらく異国人に仕えた日本人女性は、皆多かれ少なかれ住民から迫害を受けたり差別されたりしたのだろう。
人々も偏見、嫉妬(外国人に仕えることで、それなりの報酬を得たからだ。まあ、だからこそ役人の命令に従ったのだろう。そう、外国人に仕えたのは役人の政治的意図でもあった。)、など色んな動機から、ね。
で、それらの女性のエピソードを一人の女性に集めて物語されてできあがったのが、「唐人お吉」なのだろう。


お吉がハリスと肉体的関係があったという証拠なはい。
たとえ3日間だけとはいえ、肉体関係があったかもしれないが、なかった可能性も高い。
なぜならハリスはフェミニストでもあり、潔癖主義者でもあったからだ。まあ、感情の起伏は激しかったみたいだけれど。


ただ、事実はどうであれ、その後、お吉が人々から迫害を受けたことは事実。
ハリスから解雇されてからは、どんな仕事をしてもうまくいかなかった。人々の中傷や嫌がらせのせいで。
で、ますます酒びたりになり、最後には自暴自棄になり、投身自殺・・・・。

歴史の動きの犠牲になった女性であることは間違いない。


下田には「お吉記念館」があり、そこにはお吉の墓もあった。

私は彼女の気の毒さを思って心を傷めつつ、彼女の墓前に立ち、手を合わせてきた。
彼女の墓には今、花が絶えることはないそうだ。
私が行った時も、何人もの人が訪ねてきており、墓前の花は鮮やかだった。
お吉の写真といわれる写真のうちの一番有名な写真の顔は、私の気のせいか深い悲しみを湛えているようであった。


死んでやっと楽になれたのかな、お吉っちゃん。
君の時代の人々は君に対してひどすぎたよね。
辛い時代に君は生まれちゃったよね。

でもさ、今の人だって、本当はあまり変わっていないんだよ。
僕はそう思うんだ。

今はただ天国で安らかに過ごしていることを願っています。
ただ、天国ではあまり飲みすぎちゃダメだよ。







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