時間の外  ~since 2006~

気ままな雑記帳です。話題はあれこれ&あっちこっち、空を飛びます。別ブログ「時代屋小歌(音楽編)(旅編)」も、よろしく。

つんくさんの、究極の選択を耳にして。

2015年04月11日 | 音楽全般

ご存じの通り、つんくさんがガンで声帯を失ってしまった。

 

このニュースを耳にした時、やりきれない思いになったし、切なく辛い気持ちになった。

 

彼は音楽プロデューサーとしてだけでなく、シンガーとしても活動していた。

 

シンガーが、声帯をとってしまうということが、どういうことか。

 

彼の心情、察して余りある。気の毒でならない。

 

画家が腕を失うようなものだし、カメラマンが視力を失うようなものだし、楽器奏者が指を失うようなものだろう。

 

これは辛いよ。辛すぎる。

 

 

 

以前、忌野清志郎(以下、キヨシロー)さんがガンになった時、声帯をとる選択肢を選ばず、結局・・亡くなってしまった。今回のつんくさんのことを聞いて、キヨシローさんのことを思い出した。

 

 

 

ただ、つんくさんはシンガーとしても活動していたが、音楽プロデューサーとしての側面も強かった。特に最近は、個人的には・・つんくさんはシンガーよりも音楽プロデューサーとしての活動がメインに思えていた。

 

そういう意味では、そりゃシンガーとして活動できなくなるのは辛いけど、まだ彼には音楽プロデューサーとしての活動がある。そのへんが、救いだったかなあ・・。

 

 

 

キヨシローさんは、やはりシンガーとしての活動がメインだったから、声帯をとるなんてことは考えられなかったのだろう。

 

考えてみれば、つんくさんには音楽プロデューサーの面が最近は強かったから、日本の音楽界はつんくさんを失わずに済んだ・・ということなのかもしれない。

 

 

 

とはいえ・・自分の作曲した曲を誰かに歌わせる場合、歌い方の細かいニュアンスなどを伝える時、自ら歌って伝えるということはできないことは確かだ。

 

そういう意味では、やはり自ら歌えないということは、ソングライターとしても、音楽プロデューサーとしても辛いだろうな。

 

 

 

声帯をとるかどうかの選択を迫られた時、人生最大の選択であったのではないか。

 

悩んだはずだ。落ち込みもしただろう。半端なく・・。

 

 

 

私は音楽は本職ではなく、あくまでも趣味で歌を作ったり歌ったりしているだけだ。

 

そんな私でさえ、もしもつんくさんやキヨシローさんのような選択肢を突き付けられたら、動揺するはずだし、心底悩むだろう。

 

ましてや、つんくさんやキヨシローさんは音楽が本職なのだから、その「究極の選択肢」の辛さは、私の想像を超えるものがあるだろう。筆舌に尽くしがたいものがあるはず。

 

想像しただけで、私まで辛くなってくる。

 

 

 

私はこれまで、つんくさんは、嫌いではなかったけど、ファンというほどでもなかったかもしれない。

 

とはいえ、シャ乱Qの曲や、モーニング娘の曲には、好きな曲もあった。

 

 

 

今回の辛い情報を知り、私はつんくさんを心から応援したくなった。

 

音楽を愛する人間のはしくれとして。

 

 

 

きっと、今後は今回のような試練を乗り越えたミュージシャンだけが作れる、素晴らしい音楽を作ってくれそうな気がする。いや、作れると思う。

 

彼の才能やセンスを考えれば、この試練が無駄になるわけがないと思う。

 

見せてくれ、進化した「ニューつんく」を。

 

 

 

そういう意味で、つんくさんの今後に期待しています。

 

今後の作品やプロデュースを、楽しみにしていますよ!

 

 

 

 


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 春の雪、ちら落ちした日 | トップ | 幻の誘拐犯人と、救出ヒーロー »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

音楽全般」カテゴリの最新記事