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ご存じの通り、つんくさんがガンで声帯を失ってしまった。
このニュースを耳にした時、やりきれない思いになったし、切なく辛い気持ちになった。
彼は音楽プロデューサーとしてだけでなく、シンガーとしても活動していた。
シンガーが、声帯をとってしまうということが、どういうことか。
彼の心情、察して余りある。気の毒でならない。
画家が腕を失うようなものだし、カメラマンが視力を失うようなものだし、楽器奏者が指を失うようなものだろう。
これは辛いよ。辛すぎる。
以前、忌野清志郎(以下、キヨシロー)さんがガンになった時、声帯をとる選択肢を選ばず、結局・・亡くなってしまった。今回のつんくさんのことを聞いて、キヨシローさんのことを思い出した。
ただ、つんくさんはシンガーとしても活動していたが、音楽プロデューサーとしての側面も強かった。特に最近は、個人的には・・つんくさんはシンガーよりも音楽プロデューサーとしての活動がメインに思えていた。
そういう意味では、そりゃシンガーとして活動できなくなるのは辛いけど、まだ彼には音楽プロデューサーとしての活動がある。そのへんが、救いだったかなあ・・。
キヨシローさんは、やはりシンガーとしての活動がメインだったから、声帯をとるなんてことは考えられなかったのだろう。
考えてみれば、つんくさんには音楽プロデューサーの面が最近は強かったから、日本の音楽界はつんくさんを失わずに済んだ・・ということなのかもしれない。
とはいえ・・自分の作曲した曲を誰かに歌わせる場合、歌い方の細かいニュアンスなどを伝える時、自ら歌って伝えるということはできないことは確かだ。
そういう意味では、やはり自ら歌えないということは、ソングライターとしても、音楽プロデューサーとしても辛いだろうな。
声帯をとるかどうかの選択を迫られた時、人生最大の選択であったのではないか。
悩んだはずだ。落ち込みもしただろう。半端なく・・。
私は音楽は本職ではなく、あくまでも趣味で歌を作ったり歌ったりしているだけだ。
そんな私でさえ、もしもつんくさんやキヨシローさんのような選択肢を突き付けられたら、動揺するはずだし、心底悩むだろう。
ましてや、つんくさんやキヨシローさんは音楽が本職なのだから、その「究極の選択肢」の辛さは、私の想像を超えるものがあるだろう。筆舌に尽くしがたいものがあるはず。
想像しただけで、私まで辛くなってくる。
私はこれまで、つんくさんは、嫌いではなかったけど、ファンというほどでもなかったかもしれない。
とはいえ、シャ乱Qの曲や、モーニング娘の曲には、好きな曲もあった。
今回の辛い情報を知り、私はつんくさんを心から応援したくなった。
音楽を愛する人間のはしくれとして。
きっと、今後は今回のような試練を乗り越えたミュージシャンだけが作れる、素晴らしい音楽を作ってくれそうな気がする。いや、作れると思う。
彼の才能やセンスを考えれば、この試練が無駄になるわけがないと思う。
見せてくれ、進化した「ニューつんく」を。
そういう意味で、つんくさんの今後に期待しています。
今後の作品やプロデュースを、楽しみにしていますよ!
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