手前味噌だが、私の自作曲の中に「あの店エレジー」という歌がある。
その歌は、実際に私が20代の頃によく通ってた店のことを歌にしたもので、その歌に出てくる「あの店」というのは決して歌の中だけの架空の店ではない。
だが、あの店は、やがて・・・・閉店してしまった。
あの店があったのは、まだ「フォーク居酒屋」なるものがない時代であった。
マスターが自らも音楽をやる側であったので、音楽好きな奴がたくさん集まってきていた。
やがて、コメディアンや外国人もよく集まってくるようになった。
私はその店の常連で、仕事帰りにしょっちゅう遊びに行っていた。
私の他にも常連客はいっぱいいて、その中の何人かとは仲良くなれた。
幸いなことに、その常連仲間のうち何人かとは、今も連絡をとりあうことが可能で、今でも年に1回ぐらいは集まることがある。
店がなくなって長い年月がたつのに、今でも連絡をとれるぐらい長い繋がりになるとは、店がまだあった頃にはあまり考えてなかった。
まあ、それだけ、私の生活サイクルの中で大きなウエートを占めていた店だった。
あの店があったのは、私の通勤コース内で、しかもちょうど乗り換えの駅から歩いてすぐ近くのビルの中だった。
なので、行くアクセスとしては、私にとって最高だった。
その駅は乗り換えの駅であるからして、その駅で電車を私は必ず降りることになる。
定期で行ける手軽さもあって、今もたまにその駅を降りて、町を歩くことがある。
最近、なんとなく懐かしくなって、あの店が入っていたビルに入ってみた。
あの店は、ビルの2階にあった。
懐かしい階段をあがって2階にいってみたら、あの店があったころにもあった串焼きの居酒屋が今も健在。
そういえば、その串焼き屋で少し食べてから、あの店に繰り出したりしたこともあったなあ。
そう思って串焼屋を横目で見て、あの店があった場所に・・・・行ってみた。
あの店は・・・線路沿いの廊下を少し直進し、突き当りを左に曲がって廊下を進んでいった場所の奥にあった。
あの店自体はもうないので、あの店がなくなってから、あの店があった場所は今どうなっているんだろう、どんな店が代わりに入っているんだろう・・・そう思いながら。
そうしたら・・・
案の定、その場所には別の店が入っていた。
馴染みのない名前の店。
私が行ったその時、その「代わりの店」はまだ営業していなかった。もしくは休みのようだった。
私が行ったその時は、時間がまだ5時台だったので、その店は休みというよりも、その日の営業をまだ始めていないだけだったのかもしれない。
あの店がもうないことが分かってはいても、あの店に続く廊下を一歩一歩進んでいくと、少し胸が高鳴った。
もう、そこには知ってる人はだれ一人いないのに。
心もち、歩が少し早くなったような気もする反面、逆に歩を進めるのが遅くなったような気分もあり、不思議な感覚だった。
その店のドアの前にしばし立ちながら・・・
昔、よくこのドアを開けて、中に入っていったなあ・・・なんて思うと、言いようもない寂しさが心に去来した。
私が通ってた「あの店」の時代は、ドアがガラス張りで、外から店内が覗けるようになっていたが、今のその場所にある店のドアは、中が全く見えないドアになっていた。
しかも、ドアは固く閉じられているかのような印象だった。
なので、今の店内の様子は分からなかった。
なんか・・・新しい店の名前は、女の子がお客さんそれぞれを接客してくれる店のような印象にも思えた。
今その店が、はやっているのかどうかは分からない。
また仮に、今の私が入っていったとしても、今のこの店は、昔私が通っていたころの「あの店」とは内装も違うであろうし、システムも違うだろうし、店の客層も雰囲気も方向性も違うだろう。なにより、マスターが違う。
なので、場所的に懐かしさはあったが、営業中だったとしても、入っていこうとは思わなかっただろう。
むしろ、入ったらかえって寂しさと違和感と疎外感を感じたかもしれない。
もう、ここはお前の来る場所ではない。入るな。帰れ。・・・とでも言われているような気もした。
ドアはとてつもなく分厚く感じた。その分厚さ感こそ、今の私と「あの店のあった場所」との距離だった。
私は、そう思って、せめて・・・昔と変わっていない、店の外の廊下や、店の裏手の踊り場を少し眺めて、「店の外の一角だけは変わっていない」と思って、せめてもの安堵感を感じて、そこを後にした。
帰ってゆく廊下は、昔あの店から帰っていった時と同じ光景があった。
改めて、「あの店」が今はもう無いことを寂しいと思った。
かつて自分の部屋のように入っていけた空間が、同じように同じ場所にありながら、入れない現実に。
つまり、「あの店」の常連たちは、自分の居場所の一つを失ってしまったのだ。
人は皆、時代・年代と共に居場所が変わっていくものだとしたら、あの店は、あそこに集まっていた人たちの、あの年代ならではの居場所だったのだろう。
でも、あの店が今もずっとあの場所にあり続けていたとしたら・・・どうだっただろうか・・とは思う。
集まっていた人たちの環境の変化、年代の変化、経済事情の変化、年代の変化、体力の変化、趣味の変化などによって、きっとあの年代とは違った様子や雰囲気になっていたのであろう。
何もかも変わらぬままで続いていく・・ということは稀有なのだ。
そんなことを考えながら歩いていたら、あの店のあった場所から、いつしかだんだん私は遠ざかっていた。
電車に乗ったら、あの店のあった場所は、もうすっかり見えなくなっていた。
もうあの店があった場所に行っても・・・仕方がないのだ。そう思いながら私は電車の窓の外の風景をぼんやり眺めていた。
心なしか、空だけは、あの店があった日々と同じに見えた。
なお、写真は、その店で人気があった音楽ジャンルのキング、プレスリー。