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気ままな雑記帳です。話題はあれこれ&あっちこっち、空を飛びます。別ブログ「時代屋小歌(音楽編)(旅編)」も、よろしく。

タカラのアメリカンゲーム「セブンティ・プレイ」

2008年09月16日 | 懐かしい系、あれこれ

昔、「タカラのアメリカンゲーム」というゲームシリーズが、あった。
今やボードゲームの定番ともなっている「人生ゲーム」は、当初、確かこの「アメリカンゲーム」のシリーズの中の1作として発売されていた・・と思うのだが、記憶はけっこう曖昧。

「人生ゲーム」の他には、「レーダー作戦ゲーム」「手さぐりゲーム」をはじめ、多数の種類が発売されていた。
当時、このシリーズは、あこがれのまとだった。
でも、けっこう高かった。
だから、いくら貧乏な子供が欲しがっても、そうそう入手できるもんじゃなかった。
クリスマスや誕生日などに、親にねだりまくったり、お使いのお駄賃などを貯めに貯めて、やっと入手できる存在だった。
一番の人気は「人生ゲーム」だったが、これは友達が持っていたので、これをやりたくなったら、その友達の家に遊びに行けばよかった。
「レーダー作戦ゲーム」も、誰かが持ってたと思う。
私もどれか1つくらいは欲しくてしかたなかったのだが、なにせ当時1000円以上の値段がしたとあっては、自分が買うならどれにするかはよくよく吟味しなければならなかった。
人が持ってるゲームは避けよう。それがやりたくなったら、それを持ってる子の家に遊びにいけばいいんだし。
そんな駆け引きもあり、よくよく吟味してたら、誰も持ってなくて、自分的には興奮しそうなほど魅力的に思えたゲームがあった。

そのゲームときたら、なんと! 70種類のゲームが1つのパッケージの中に入っている・・・という、とんでもない、夢のような商品だった。
そのゲームの名前こそ「セブンティ・プレイ」!
70・・というのは、尋常な数ではない。
1種類のゲームしか入っていない「人生ゲーム」などを買うよりも、はるかに「得」ではないか!・・と思えた。
なぜ、誰もこれに手を出さないのだろう・・・と、不思議で仕方なかった。
ならば、「僕が手に入れてやろう!」という気になったのだ。

買いたいものを我慢し、食べたいものを我慢して、お年玉なども貯めて、このゲームを買えるだけのお金がやっと貯まり、お金をポケットに入れておもちゃ屋に向かう時の私の心境は、怖くてしょうがなかった。
当時の子供が普段持ち慣れない金額をポケットに入れていたからだ。
おもちゃ屋までの所要時間は歩いて10分くらいだったのだが、その10分が長く感じた。
途中で落としたらどうしよう・・とか、誰かに盗まれたらどうしよう・・とか、そんなことばかり考えてた覚えがある。

で、やっと入手した。大きなパッケージだった。その大きさは、やっと手に入れたという有り難みを増幅させた。
このゲームへの思い、それまでの期待の大きさが、このゲームのパッケージの大きさに表れてる気がした。

で、家に持って帰り、フタをあけた!
70種類ものゲームが入ってる・・って、どんなだ? ・・そんな期待もあった。
フタをあけたら、ボードゲーム用のゲーム盤が何枚もあった。たしか、裏表に違うゲームが描かれていた。で、それが何枚もあった。
細々としたパーツもあったし、やや大きなゲーム盤もあった。
1つのゲームに飽きたら、違うゲームをやればいい。なにせ70種類もある。
これさえあれば、いつまでもいつまでも長く遊べるだろうと思った。

で、実際に遊び始めてみると・・・。
確かに、多くの種類のゲームはあるのだが・・・。

何枚もあるゲーム盤の厚紙の中には、1つの面に何種類もの小さなゲームが描かれているものもあった。
それは、小学館の学習月刊誌の付録のようでもあった。
それぞれの小さい画面が、ゲーム数の1つにカウントされてたのはいうまでもない。だから、その場合、一枚のゲーム盤の片面だけで数種類のゲームがカウントされていた。

そんな小さなゲームは、実際には数十分で飽きてしまった。1回遊んでネタを覚えたら、もう十分って感じだった。

やはり、おおきなゲーム盤になってて、小道具が揃っているゲームのほうが、ゲーム・・という感じがする。
だが、そういう「大きなゲーム盤」になってるゲームは、1人でやっても面白くなかった・・というせいもあるのだろうが、どうも何かひとつ物足りなかった。
人生ゲームやバンカースやモノポリーみたいなゲームも入っているのではないか・・と思って期待したのだが、そういうゲームは無かったような気がする。


パッケージされてたゲームは、人生ゲームのような豪華な作りのゲームは無くて、1種類1種類がライト感覚なゲームばかりだったような印象がある。
今思えば、人生ゲームのような豪華な作りの「目玉」ゲームが1種類くらいあってもよかったような気がする。
正確にいえば、それなりに大きなサイズのゲームもあったのだが、レーダー作戦ゲームや人生ゲームのような奥深くて重厚な作りではなかった。
また、1つのゲーム盤を何種類かの遊び方をする場合もあり、そのそれぞれの遊び方も70の中にカウントされていた。
だから、決して70種類のゲーム盤があったわけではなかった。
前にも書いたが、やはり、何かの月刊誌の付録を集めただけのような印象もあった。

最初は嬉しかったが、時間がたつにつれ、重厚な作りの目玉ゲームが入っていない寂しさを感じるようになっていった。
セブンティ・プレイに収録されていたゲームをやるたびに、重厚な作りのゲーム(例えば「人生ゲーム」)がやりたくなっててしかたがなかった・・・ってのは皮肉なものであった。


面白いゲーム盤は、友達を呼んで、それぞれの戦略をたてて、奥が深く、長時間白熱するような時間を提供してくれるものだが、「セブンティプレイ」のゲームには、プレイヤーを熱中させて何度も遊ばせたくなるような魅力は・・欠けていた。
1種類1種類が、どれも物足りなかった感がある。数分で終ってしまうようなゲームなどは特に。


やはり、70も入っていると、1つ1つのゲームを豪華にはできなかったのだろう。
この「セブンティプレイ」は、そのゲームの「数」こそが目玉だったんだね。
1つ1つのゲームの内容よりも。
実際、70ものゲームが入っているゲームセットなんて、他になかったのだから。
その意味では、ハッタリ性では最強だったかもしれない。
とりあえず、一箱に70種類ものゲームが入っている・・というのは、夢はあるからね(笑)。


70という大きな数の期待に押しつぶされた、・・・そんな悲劇を背負ったゲームが「ゼブンティ・プレイ」だった。それが私の結論だった。


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