アマチュアで、つたないなりに音楽活動をしてきた私には、「引退」などという概念は考えたこともない。
だいいち、アマチュアには引退ってものはないだろうとも思う。
やりたければやればいいし、やりたくなかったり、やれなかったりしたらやらなければいいだけの話だと思う。
特にたいした活動をしてないアマで、引退しても誰かに迷惑がかかるわけでもないなら、わざわざ「引退」などと誰かに言う必要もないし、やめるかやめないかはそれぞれの自由だろう。
もし自分が、音楽活動をやめた・・・と実感する時が来るとしたら、どんな時だろうか。
ふと考えてみた。
ギターを弾くのは、もう手癖のようなものなので、指が動く限り、そしてギターが手元にある限り、いつまでも手癖のように触って、弾いているだろう。
仮にギターが手元になくなってしまったとしても、例えば誰かのギターを弾かせてもらうなど、またギターを手にする機会があれば弾いてしまうだろう。だからギターが手元になくなってしまったとしても、引退という感覚はないだろう。
ならば・・
そうじゃなければ、どんな状況が私にとっての「音楽活動の引退」なんだろう。
それは・・少なくても自分に関しては、案外簡単。
曲を作りたいという気持ちが全くなくなってしまった時だろうと思う。
曲作りは、ギターがあれば作りやすいが、仮にギターがなくても、いや楽器がなくても、頭の中で作ることはできる。実際に、楽器を持たずに、町などを歩きながら頭の中で曲が浮かんだケースはけっこう多かった。
なので、曲を作りたいという気持ちがある限り、仮に楽器がなくなってしまっても、自分にとっては引退ではないし、「やめた」でもない。
自分が音楽を聴いてきたのは、素敵な曲に出会うたびに、こんな曲が作れたらなあ・・という気持ちがあったからだ。
そして、いい曲に出会うたびに、この曲のどこが自分は好きなのか、なぜその曲を自分が好きなのかを考えると、たいがい思い当たるものや個所があった。
そして、それをヒントにして自分も曲を作ってみたい・・・と、いつも思ってた。
それは映画音楽であったり、ライブであったり、CDであったり、CMソングであったり、ラジオやテレビからたまたま流れてきた曲であったり、自然音であったり、ドラマの主題歌であったり、あらゆる「耳に入ってきて、自分の心に残る音」ものが対象だった。
でも、そういうものを聴いても、・・・どんな音楽や音を聴いても、全く何も感じなくなったり、「こんな曲が作れたらいいなあ」と全く思わなくなったら、その時こそ自分が「引退」した時なんだろうと思うし、「音楽をやめた」状態なのだろうと思う。
もちろん、曲を作るのには波があるので、ポンポンと何曲もできることもあれば、長い間全く浮かばない時もある。
でも、浮かばなくても、また素敵な曲に出会えれば、それに刺激を受けることが、これまでできてきた。
ところが、どんな素敵な曲に出会っても、それに刺激を受けなくなったら・・・・
その時こそが、自分の引退した時なのだろう。
仮に、怪我などで楽器が弾けなくなったりしたとしても、何か素敵な曲に出会い、それに刺激を受けて、何か自分も曲を作ってみようと思える気持ちがある限りは、自分にとっては音楽の趣味は「現役」なのだろう。
人前でやるかやらないかは、ともかく。
音楽をやってるアマチュアの方はたくさんいると思う。
音楽をやってるアマチュアの方ににとって、それぞれどんな状況が「引退」なのだろうか。
また、この「どんな状況が、その人にとっての引退なのか」という問題は、音楽だけとは限らない。
大半の趣味にもあてはまるのではないか。
スポーツしかり。絵しかり。囲碁や将棋しかり。ギャンブルしかり。酒しかり。料理しかり。読書しかり。映画観賞しかり。
その他、たくさん。
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