バンドの理想は、メンバーチェンジなく、最初からのオリジナルメンバーの入れ替わりはないほうがいい・・・と私は思っている。
でも、色んな事情で、メンバーの脱退や交代というのは現実問題として存在する。
メンバーチェンジや脱退は、その後のそのバンドのライブでのレパートリーに影響を及ぼす。
特に、脱退したメンバーが、リードボーカルをとる曲だったりすると、けっこう大変な問題になると思う。しかも、その曲が大ヒットした曲だったりしたら、下手すればそのバンドは代表曲を失いかねないことにもなる。
それでも、その代表曲の作詞作曲に、そのバンドの別のメンバーも関わっていればまだいい。
だが、作詞作曲すべてが1人の人間がこなし、しかもその人がメインボーカルもとっていたりしてたら、そのボーカリストが脱退したら、その曲はバンドはその後ライブなどではやりにくいだろう。というか、やれなかったりもする。
聴く側としても、新しい曲を耳にした場合、しかもその曲が印象に残りやすい曲であればあるほど、最初にその歌を歌ったシンガーの声は強く心に残る。
何事も、第1印象ってのは大きい。
最初にその曲を耳にした時のシンガーの声で、その曲を覚えてしまうことが多い。
バンドのオリジナル曲であれば、リスナーとしては、そのオリジナル曲を最初に誰が歌ったかで刷り込まれる。
あるいは、誰のバージョンを一番最初に聴いたか・・ということで刷り込まれる。
だからこそ、バンドから、その歌を歌っていたシンガーがいなくなって、別のバンドメンバーが歌ったりすると、どうもしっくりこない時がある。
リスナーとしては、その曲を聴きこむうちに、最初のボーカリストの声質、ブレス、節回し、キー、色んな癖などが、その曲と一体となって・・・・いわば、それらの様々な要素の総合体として覚え込んだりする。
また、ボーカリストというのは、たいがいバンドのフロントであり、看板であり、「顔」である。
それは、代表曲についてもいえるし、代表曲もまたバンドの「顔」であり、名刺代わりでもあり、存在証明でもある。
なので、それが別の人に変わってしまったら、リスナーとしては、下手したら「別のバンド」みたいに思えてしまうこともある。
もちろん、バンドは、シンガーだけでなく、ギターもベースも鍵盤もリズムも、他の楽器も重要なパート。
楽器演奏者が変わっても、サウンドには変化が訪れる。
特に看板的存在の演奏者の交代は、サウンド的に大きく、それこそボーカリスト交代と同様の「変化」をバンドにもたらす。
腕に覚えのある演奏者であればあるほど、自分なりの解釈やカラーを出そうとするものだし、そうなると、同じ曲でも違う感じになる。
また、ボーカリストにしても、自分が抜けてソロになった場合に、バンド時代の大ヒット曲を歌うこともあるだろう。
だが、そのボーカルをバックアップする演奏者は、当然バンド時代とは別のメンバー。
すると・・・やはり、これまたどこか違うのだ。
もちろん、声は同じなわけだし、メインどころのボーカルそのものには違和感を感じなくても、バックが違うと・・・なんていうか、その曲がバンド時代に持っていた「熱」みたいなものが欠けて聞こえることがあるのだ。
どこか「よそもの」みたいな。
本来その大ヒット曲がバンド時代に持っていたオーラがなくなって聴こえたりする。
まあ、それでも、肝心の声だけは同じなので、ボーカリストが変わったバンドに比べれば、まだマシかもしれない。
だが、ボーカリストが変わってしまったバンドが、前のボーカリストの時に放った大ヒット曲を、新しいボーカリストで演奏すると、演奏に「熱」はあっても、客としてはどこか「カバー」バージョンを聴いてるような気分になってしまうことがあり、バンド的には・・・こと、前のボーカリストの時に放った大ヒット曲をやる限りにおいては、バンドにとってのダメージはかなりのものがあると思う。
結局、脱退したボーカリストにとっても、演奏者側にとっても、どちらにも損であり、どちらも痛み分けにはなるのは確かなのだ。
バンドとしては、一番いいのは、新しいボーカリストを迎えた場合に、新しいボーカリストのもとで新たな大ヒット曲を放てば一番いいのだが、バンドを代表するような大ヒット曲というのは、そうそう簡単に作れるものではない。
前のボーカリストの時にバンドが放った大ヒット曲の作者が、前のボーカリスト単独のペンによる曲だった場合、前のボーカリストがどんないきさつでバンドをやめたか・・というのもけっこう重要な要素になると思う。
ケンカ別れみたいな形で別れた場合、残されたメンバーとしては、感情的に・・・・・前のボーカリストが作った曲など、やりたくない・・・そう思っても不思議じゃない。
もしくは、やるのは許されない・・そう感じる場合も多いだろう。
また、実質的にシンガーがいなくて、その曲の責任者もいないので、現実的にやれなくなったりもする。
そうなると、やはり・・・そのバンドは、せっかく放った大ヒット曲を失ったりすることになるのだ。
仮に無理して演奏しても、客の前ではやりづらいだろう。バンドとしては、そんな姿は客に見せたくない・・という意地もあったりするだろう。
だが、バンドは・・・ライブなどでは、お客さんがヒット曲を聞きたがったりするのが当たり前だし、そういう曲をやるのは客へのサービスでもある・・という側面もある。
その曲がバンドのレパートリーであったことは確かなのだから。
やりづらい、あるいはやりたくない・・・でも、やらないわけにはいかない・・・。
そのへんは・・・きっとジレンマだろうね。
前のボーカリストの時にバンドが放った大ヒット曲の作者が、ボーカリストではなく演奏者側(例えばギタリストとか)だった場合や、あるいはバックメンバーとボーカリストの共作だった場合は、どちらも「この曲の作詞作曲には俺も関わっているのだ」という大義面分もあるので、やっても「当然の権利」は持っていることになる。
問題は・・・リスナー側が感じる「オリジナルでありながらオリジナルではない、残念感」なのだ。
そう、「オリジナルでありながら、またはオリジナルであることを期待されながらも、オリジナルではななくなってしまっている」という、切ない現実。
やはり・・・冒頭に戻るが、バンドは、できればオリジナルメンバーで続けられるのなら、それに越したことはないのだ。
本当は、誰もがそれは分かってはいる。
でも、それでもメンバーチェンジせざるをえない状況になるってのは・・・バンドを取り巻く環境の変化や、メンバーの家族事情や、意地、自己顕示欲が、許容範囲を超えてしまうことがあるから・・・。
損得を度外視して、何がその人個人にとって一番大切かにもよるのだろう。たとえ、大損であることが分かっていたとしても。
そんなしがらみや損得や感情などがからみあうから、大ヒット曲を放ったバンドのボーカリストのメンバーチェンジというのは、大変なのだ。
ともあれ・・・
ミュージシャンにとって、代表曲がありながら、やれない・・・・これは相当なハンディではある。
一番の被害者は・・・その曲を楽しみにライブを観に来たお客さんなのかもしれない。