白川郷のバス停から昼頃発車のバスに乗り、この日は飛騨高山に向かった。
飛騨高山の町を訪れるのは、今回で2度目だ。
だが、前回来た時は、数時間立ち寄っただけだった。
その時はメインの目的地は新穂高温泉だった。新穂高温泉に行くためには、高山の駅からバスに乗り換えていくことになるのだが、行きはすぐにバスが出る時間だったので高山では時間はとれず。かろうじて、その旅行の最終日に高山に数時間立ち寄る時間ができた程度だった。
数時間・・・といっても、うろ覚えだが、せいぜい1時間半くらいあるかないかぐらいだったと思う。
なので、その時は、ちょっと高山の町に出て、高山ラーメンを食べることぐらいしかできなかった。
高山ラーメンの店を物色しながら歩いてた時、高山の古い街並みを見て、けっこう魅力的に思えた。
もっと時間があれば、高山の町を見て回れるのに・・などと、その時は思ったものだった。
結局やはりその時は高山ではラーメンを食べて、その後駅の近くの土産物屋を少し見ただけで終わってしまった。
なので、高山に関しては私の中で心残りがあった。ある意味、高山は「宿題」みたいな感じで私の印象に残ってしまっていた。
なので、今回の旅行では高山でちゃんと時間がとれるように予定を組んだ。いわば、リベンジであった。
白川郷で乗ったバスが高山駅に着いた後、まずは私はその日の宿に(駅の近くの宿だった)行き、荷物を置き、いざ高山の町にくりだした。
まずは昼飯で、高山ラーメンを食べたかった。
宿で、お勧めの高山ラーメンを聞いたら、いくつもの店の名前を出してくれた。
その中で「地元の人が行くラーメン屋」ということで「郷里」というラーメン屋が私の頭にインプットされたので、とりあえずその店を探すことに。
観光マップを見ながら歩いてたら、ほどなくしてその店は見つかった。
で、迷わず入ってみた。
私が頼んだのは煮卵入りラーメン。
チャーシューメンにもそそられたが、なんとなく煮卵も食べたかったので、それにしたのだが、食べてみたら・・・実に美味いラーメンだった!
黒いスープ、細いちぢれ麺、・・・この辺はいかにも高山ラーメンそのものという感じで、なおかつ大きなチャーシューが乗っており、これまたスープにほどよく溶け、美味い。
スープなど、残すのがもったいなかった。
↑ 高山ラーメン。美味かった!!ピンボケ、すみません・・。
この昼飯におおいに満足した私は、前回よく見てまわれなかった高山の町の散策を始めた。
街には川が流れており、川にはいくつもの橋が架けられていた。
で、それぞれの橋が色分けされていた。
赤い橋の方まで行ってみたら、人力車が停まっていた。もちろん観光用の人力車だ。
なんでも「人力車」は、今や海外でも有名だという。
海外での「呼ばれ方」も、日本語の「人力車」をもじったものであるそうな。
↑ 川にはいくつもの橋が架けられており、色分けされていた。あれは赤。
↑ 観光用の人力車発見。
↑ 人力車は、数か所にあった。まあ、この町の雰囲気には似合う。
人力車にもそそられたが、とりあえず私は歩きで町をゆっくり散策したかったので、そうすることにした。
「古い街並み」と名付けられた通りは、道の両サイドに古いたたずまいの店が並び、道路は決して広くない。
そんな道路の上を、多数の歩行者が歩いていた。
外国人が実に多い。
↑ 古い街並みエリアは、高山でもっとも賑う通りだった。
↑ 御覧の通りの人だかり。
↑ 日影は助かる・・。
↑ こういう街で暮らしたら、どんな気分なんだろう。
↑ こういう古い建物を維持していくのは大変なんだろうね。
↑ 外国人も実に多かった。まあ、こういう佇まいの街なら、分かる。
ふと空をあおぎ見れば、青空が広がっていて、日差しが強く、この日も暑かった。
ちょっと町を歩いているだけで汗だくに。
並んでいる店は土産物屋や、飲食店らしきものが多かった。
だが、中には、保存されてる古い民家(?)みたいな建物に有料で入れたりした。
例えば「飛騨高山民族考古館」。
古い建物の中に入館料を払って入ると、江戸時代の風呂などが残されていた。
↑ 江戸時代に使われていた、古井戸。
↑ こちらは江戸時代の湯殿。風呂。
また、この建物には「吊り天井」があり、からくりみたいな天井を見てみると、小銭などが投げ込まれていた。
この吊り天井が今もその気になれば機能しているのかどうかは分からなかったが、どことなく忍者屋敷を思い出してしまった私。
町を歩いていると、建物の中は直射日光を避けることができ、それだけでもいくぶん楽。
それにしても、この日は・・普通の平日だったというのに、町の混雑ぶりはどうだ。
夏休み期間や、日曜・祝日などは、もっと混みあうのだろうな・・。
飛騨高山の町は、「古い街並み」の通りが一番混みあっているのだろう。
別の小道に入ってみると、来訪者の数に差があった。
↑ こちらの道は人っけがあまりなかった。
↑ 観光客の人気は、特定の道に集中しているのかもしれない。こちらは静かだった。
なんか、いい雰囲気。向こうに山が見えるというのも良い。
↑ 人だかりの少ない、古い街並みの道を歩くと、ほっとした。
↑ なんとなく、風情を感じたので、パチリ。
↑ さらにパチリ。
↑ なんとなく好きな風景。
あちこちの店に立ち寄っては土産物を見たり、食べ物を見たり、飲料を買ったりしながら歩き、散策マップを見て見たら「からくりミュージアム」というものがあることを発見。
なので、とりあえずそこに向かってみることにした。
↑ からくりミュージアム、到着。
江戸のからくり人形には以前から興味があったので、ちょっとこれは楽しみだった。
で、いざ「からくりミュージアム」に着いて、中に入ってみると、ステージが目に入った。
私が入っていった時、からくり人形の実演パフォーマンスをやっている最中だった。
↑ からくりミュージアム内部に、再度「入口」が。この入口をはいると、舞台があった。
↑ からくりミュージアム内部の舞台。ここで人形の実演が。
で、ひとしきりプログラムが終わった時、「もう少し早く来ていれば最初から見れたのに・・・」と思ったのだが、少し休憩時間をはさんで再び最初から実演パフォーマンスを繰り返してくれるという。
後から来た私のために、わざわざ?
そう思い、しばし待つ。
ほどなくして、再びパフォーマンスが始まった。前回私が見逃した「最初の部分」から。
江戸のからくり人形を見ると、いつも「よく出来てるなあ」と感心するのだが、この時もそうだった。
ほんと、江戸のからくり人形を作った人たちは凄いと思う。
パフォーマンスの中には、京の五条の橋の上での義経と弁慶の芝居もあった。
↑ 左が弁慶、右が義経。
私がこのパフォーマンスを見てたら、途中から外国人客が入ってきた。
きっと、この「後から入ってきた外国人客」のために、パフォーマンスを最初から実演しなおすのだろう。
外国人にとっては、日本のこの「江戸のからくり人形」は興味津々であろう。
さてパフォーマンスを最初から最後まで見届け、私は少し館内を見てまわったあと、ミュージアムを後にした。
↑ 江戸のからくり人形は、よくできているよね。今見ても。
時計を見たら、もう4時。
そろそろ宿に戻ることにした。
ゆっくり町を見て回りながら。
↑ おまけ。道をまっすぐ進むと鳥居がある。
宿は駅の近くにあり、窓からは町が見えた。
日中、太陽に照らされながら、大汗をかいて町を歩いていたものだから、風呂後の夕飯時に飲むビールは格別だった。
↑ 宿の窓からの眺め。普通の「郊外の街」という感じ。
さて・・明日はいよいよ東京に帰ってしまう日。
北陸新幹線で東京から金沢へ。金沢から芦原温泉へ行き、そこから東尋坊へ。
次の日、芦原温泉から金沢に戻り、そこからバスで白川郷へ。宿泊は、平瀬温泉。
次の日、平瀬温泉から白川郷に戻り、そこから飛騨高山へ行き、町を見た後、高山で宿泊。
最終日、高山から名古屋へ抜け、名古屋から東海道新幹線で東京に戻る・・・そんなルートだった。
移動の多い旅行ではあった。
私の旅行にしては、ちょっとあわただしいスケジュールであった。
↑ 高山、駅前ロータリー。
↑ 高山駅は改装中だった。
↑ 高山駅、ホーム。
↑ おまけ。さらば高山駅。さらば、この旅。
↑ もう1点、おまけ。高山陣屋。写りが悪いため、おまけになってしまいました・・。
はっきり言って、失敗写真です・・・。
P.S.
以前高山に立ち寄った時、お土産屋に入ったら、「赤影スナック」が売られていた。
それは数十年前にテレビで放送された特撮時代劇「仮面の忍者・赤影」のキャラクター商品だった。
赤影は飛騨の忍者・・・という設定だったからだ。
そんな古い作品のキャラクターグッズが、放送が終了して数十年たっても売られていたのに少し驚いた覚えがあった。
今回高山を再度訪れ、まだ「赤影スナック」は売られているのかな・・・と思って土産物屋を何店も見てみたが、さすがにもう「赤影スナック」は見かけなかった。
さすがの無敵の忍者・赤影も、年月には勝てなかったようだ。
少し残念でもあり、仕方なくもあり。
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