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小学校時代の図画工作・・略して図工の授業では、学校の外に出て写生をしたこともあった。
私が覚えている写生は、先生がとりあえず生徒全員を教室の外に出して、なんでも好きな風景を写生してこいと言った時の写生。
生徒がそれぞれどんな場所を選んで写生を始めたのかは覚えていない。
中には校庭内の風景を写生した子もいたかもしれない。
私はとりあえず授業中に外に出れるチャンスを得たような気になり、学校の外に出て、学校と平行に続いてた車道の片隅の歩道にスケッチブックを持って座ったと思う。
私と同じように、せっかくの「授業中に学校の外に出れるチャンス」を活かそうとばかりに、学校の外に出た生徒は多かったように思う。なにやらそれが嬉しかったのだと思う。
私の座った場所の近くには、何人もの生徒が座っていたから。
だが、私が陣取った場所の目の前の景色は、はなはだつまらない景色だった。
道を挟んで、道の向こう側には普通の民家が建ち並んでおり、民家と民家の隙間には路地があったのだが、あいにく私の座った場所は、その路地の行き先も見えない場所。
つまり、民家と民家の間に幅2メートルくらいの隙間があるだけの景色。
絵に描きたいというモチベーションが全く湧かないような風景だった。
だったら、場所を代えればよさそうなもんだが、私の座った場所の近くには、中の良い級友がたぶんいたんだろう。もしくは、改めて場所を移動して引っ越すのがめんどうくさかったのだろう。そのつまらない場所に私は座ったまま、目の前の風景を描き始めた。
だが・・・やはり、どうにもつまらない。かといって、写生の時間は刻一刻と過ぎてゆく。
しかたないので、あまりやる気もでないまま、目の前の「そそらない景色」を無理やり写生しはじめた。
写生というものは、自分が描く風景に、なにかしら「そそるもの」がないと、ひどくつまらない。「この景色を描きたい」という気持ちがないと、まったく集中力があがらない。
何か1点でもいいから、惚れ込める要素がないと。
まったく魅力を感じないまま写生し続けていると、私の描く絵はひどく暗い絵になってしまった。
見知らぬ一般の通行人が、道で写生を続ける子供たちの絵を覗きこんでいったが、私の描いている写生を見た通行人は、ひとこと「なんか、暗すぎるよ」と言ったのを私は覚えている。
描いている風景をまったく好きになれないまま、興味も持てないまま描いていた私の「つまらないと思う心」が、そのまま絵にも現れてしまったのだろう。
そう、その時は、描き進むうちに、とりあえずなんでもいいから図工の授業の課題の写生を提出すればいい・・それだけの投げやりの気持ちになっていった。
本来子供時代の私は絵を描くのは好きだったはずなのだが、後にも先にも、絵を描いていてあんなにつまらなかったことはない。
やはり、「この風景を描きたい」と思えない景色だと、ダメだということはよくわかった。
まあ、そんなの当たり前のこと。
考えてみれば、写生というものは、なにがしらその風景に惚れ込むからこそ描きたいと思うものだと思う。
なので、全く魅力を感じていない風景を写生するなんて、どだい無理があったのだ。
単に、場所を移動するのがめんどうだから・・とか、隣に中の良い級友がいたから・・という理由で写生の場所とりをした私の自業自得だったんだと思う。
ちなみにその絵は、すぐに紛失してしまった。
もしかしたら自分で捨てたのかもしれない。
結局、その写生の時間は、私にとって何も得るもののない、無駄時間に終わった。
そのことがあってから、私はなにやら写生があまり好きじゃない時期が長く続いたと思う。
仮に、授業で、写生をやらさせることになっても、あまり乗り気になれなかった覚えはある。苦手意識とでもいおうか。
ちなみに、前述の通り私は当時絵を描くのは好きだったので、夏休みの図工の宿題などでは、家にあった本の中にあった素敵な風景写真を、そのまま鉛筆で風景画にして描いたことはよくあった。
宿題だけでなく、自分の趣味でもそういうことをやっていた。
本の中にあった風景写真は、外国の風景写真だったり、日本の風景写真で、どれも素敵な風景ばかりだった。どの風景にも私は惚れ込んでいたからこそ、鉛筆画にしたんだと思う。
覚えている風景は、カナダの滝、日本の尾瀬、上高地、など。他にもあったと思う。
中には、それらの風景写真からインスピレーションを受けたオリジナルの風景画なども。
それらに比べたら、私が描いた前述の写生の風景など、月とすっぽん以下。というか、比べようもない。
まあ、そんないきさつで、絵を描くことは好きだったにもかかわらず、写生にはあまり積極的じゃなくなってしまったのだが、それなど写生の授業は私には逆効果だったことになる。
写生というものは、まず「惚れ込める風景」を見つけることが大事だと思うので、学校の限られた授業時間の中で写生をするのは諸刃の剣だと思った。
しかも、学校の授業は、1科目1科目の時間は決して長くない。
だから、なおさら。
絵というのは、それなりに時間がかかる作業だしね。
結局、その後、高校時代などは美術部にいたので、合宿などで写生をする機会はそれなりにあり、ある程度はトラウマみたいなものは薄らいだ気はするが、それでも、私は自分でスケッチブックを持ってどこかに写生に出かけたことは、ほとんどない。
もっぱら、自然風景写真集などの素敵な風景写真を絵にしたり、あるいは空想によるオリジナルの風景画を描いたくらい。
自分でオリジナル漫画を描いている時などは、自然風景の背景にはけっこうこだわっていたこともあったし。
ただ・・・カナダに行った時や、日本国内をあちこち旅する途中で、素敵な風景に出会うと、その場にずっといて、のんびりその風景を絵にできたらいいだろうな・・と思ったことはある。
なので、写生そのものは好きになれる素養は私の中にあったと思う。だが、実際にはそうなならなかった。
前述の、図工の時間の写生の苦い経験が・・やはりトラウマみたいになっていたのだろう。
あの時、そそられる風景を写生していたら、その後自分の趣味に写生も入っていたのかもしれない。
そうしたら・・私の自主制作アルバム「空を見ていた。」のジャケットで使った風景のような場所を求めて、スケッチフックを抱えて出かけていたのかもしれない。
たとえば、この日記のトップの写真のような風景とかなら、写生をしたくなったと思う。
ちなみに写真は、千葉の太海近辺の風景です。
描くのは好きだけど、姉がうますぎて、比較されるのでトラウマになりました。
旅先で絵を描いている人に出逢うとコッソリ覗きます。
それはいいですね!
ってことは、大きな川がある景色ですね。
そういう場所は、景色がいいから、写生にはもってこい。
そんな場所なら私も写生したくなったはす。
ぺんてるクレヨンのパッケージみたいに。
私は、自主制作アルバムのジャケットに、大きな川の風景写真を使ったくらい、好きです。
兄弟や姉妹に自分よりうまい人がいると、引け目を感じちゃいますね((笑)。
実はその川は、昔は社会の教科書にも載っていた天井川なんです。大きな川ではないですが、氾濫で堤防が決壊して大変な被害が出たという歴史があります。私の知る限り、氾濫を起こす時以外は殆ど水が無い川でした。それで、川の景色でなくて、堤防に沿って並ぶ桜の木や、眼下に見える街並みを描いていました。
現在その川は、30年かけた治水工事で下を流れるように堤防と川は公園になりました。
帰省すると不思議に感じる景色です。
私は小川や渓流が好きです。大きな川はクルージングが愉しいです。
自主制作アルバム!
来年はだんぞうさんのお店に繰り出さねばσ(^_^;)
氾濫したら、水の戻し場に苦労するはず、、、。
でも治水工事が進んでよかったですね。
堤防は、町よりも高い位置なので、そこから見下ろす風景は、絵になったことでしょう。
写生したくなった風景には恵まれていたんでしょうね。
うらやましいです。
渓流、私も好きです。旅先では、渓流を見ながらボーッとしてることも多いくらいです(笑)。
私の店??
残念ながら私は店は、やってないです(笑)。
フォーク居酒屋や、ライブハウスに、たまに飲みに行ったり、まれにライブをやるぐらいですよん。
何人かは自分と同じ対象物を描いてる訳で、子供ながらも比べてしまうんですよね。
「XXはやっぱりうまいな〜」とか
「けけっOOってばへたっぴだ〜」
私はいつも下書きまでは我ながら「おお、いいじゃん」とか思ってるのですが、
いざ色を付ける段になると、なんだか思うようにならなくなって
結果「なんだかな〜」の出来上がりになってました。
友達の中には下書きなしでいきなり描き始める奴がいたのですが。
うまいとか下手とかじゃなくて、なんかとても印象的な仕上がりなんです。
それがとても羨ましくて、何度も真似してみましたが、彼のように描く事は
とうとうできませんでした。
当然、彼の絵はいつも壁に貼られ、私はいつもそれを見る側でした。
時代屋という名前の店、多いですもんね。
居酒屋をはじめとして。
ちょっとありふれたハンドルネームをつけちゃったかな・・という思いはあります。
元々はどれも、映画「時代屋の女房」から来てるんだとは思います。
単に、描く角度が違うだけで。
そんな時、やはりどうしても比べられてしまいますよね。
もちろん、自分でも見比べてしまうし。
見比べると、どちらの絵の方がうまく描けているか、子供心にもわかってしまいますからね。
明らかに自分の絵の方が劣っていると、そのまま描き続けるのがイヤになったりしますよね。
鉛筆で描いてる時と、絵具で色をつけるのって、同じ「絵を描く」という作業でありながら、微妙に違うんです。
いっそ、鉛筆で描いたままの状態で提出したくなったりしたのでは?
下書きなしで描いて、しかもその出来上がりが良いのは、それはもう才能ですね。
そういう人は、美大などに進んだことでしょう。
そういう人は、常日頃から絵を描いていた人だと思えます。
なんと言っても夏目雅子さんが最高でしたね。
舞台になった時代屋という骨董品店は大井町に実在してたようで、
現在は広尾に移転して営業してるとかどうとか…
絵がいつも貼られていた彼は、家業をついで今は立派な魚屋さんです(笑)
先日ちょいと立ち話しましたが、本人は絵がうまかった事なんか全然憶えてませんでした。
あれは子供の頃の幻の輝きだったのでしょうか(笑)
彼曰く「何言ってんの、絵がうまかったのはお前じゃん!」だそうです。あれ?
だんぞうさんのハンドルネームは、やっぱり「鳶(飛)加藤」こと加藤段蔵ですか?
上杉謙信に仕えたとも、後に武田信玄にも仕えたとも伝えられる
超絶的な技を持っていた伝説の忍者ですよね。
色々と逸話の残る人物ですが、彼を主人公に据えた小説って意外と少ないんですよね〜
けっこう花のあるキャラクターだと思うんですよね。
ですが、世の中には「時代屋」という名の店が多くて、今では違う名前にすればよかったと思ってます。
まあ、それだけあの映画は人気あったんでしょうね。
確かに夏目さん、素敵でしたし。
私のHN,、そうです、確かに「飛び(鳶)加藤(加当)」からとっています。
加藤段蔵ですね。
加藤段蔵の末路は悲惨なので、違うHNにすればよかったかも・・とも思いますが(笑)。
飛び加藤は、脇役としては、いくつかの作品に出てきていますね。