学生時代にはテストなるものがあった。
今も、それは変わらない。
テストにまつわることで、忘れられないことがある。
それは子供の頃のこと。
クラスの中には、仲良しグループなるものがいくつかあった。
それもまた今も変わらぬ光景だろう。
そういうグループは、席が近い者同士がそうなることが多かった。
ある仲良しグループの中に、一人勉強ができる子がいた。
グループ内には、構成メンバー同士の力関係なるものもあったのだが、それは場面場面によって力関係が変わったりもした。
クラスの中では、そういう仲良しグループに入りたくても中々入れてもらえない・・もしくは「入らない」子もいた。
「入らない」子はともかく、入りたくても入れない子が、そのグループのメンバーの隣の席に座ってる場合もあった。
勉強のできる子は、テストの時などは、仲良しグループのスター的存在だった。
それは・・・カンニングのせいだった。
その子は、テストの最中、隣に座ってる仲良しメンバーの一人に、答を見せてあげていたようだった。
ところが・・その「勉強のできる子」の反対側の隣席には、「そのグループに入りたくても入れない」子がいた。
その「入れてもらえなかった子」は、テストの後に、いじけたように、べそをかきはじめたのだ。
???
なぜ急にべそかきはじめたのか、周りの子たちは理由が分からなかった。
もちろん、その「勉強のできる子」も、そうだった。
で
その「べそかいた子」が、なぜそうしたかというと・・・
よ~~く話を聞いてみると・・
「勉強のできる子」が、その所属する仲良しグループのメンバーにはテストの答を見せてあげてたのに、その「べそをかいた子」には見せてくれなかったからだという。
つまり・・
カンニングさせてくれないから、いじけてべそをかいた・・ということだ。
大体、カンニング自体「良くないこと」である。
見せてもらった側も、見せてあげた側も、表沙汰にはしたくないだろう。
また・・勉強ができる子にとっては、いくら仲が良くても自分の答を誰かに見せてあげるのは、本当はイヤだったのでは。
その答というのは、その子の日々の努力の成果であり、報われる瞬間である。
それを、普段遊んでばかりいる子に見せてあげるのは・・・ただで何かをあげてるような感覚だったのではないだろうか。
でも、そうすることによって、グループ内の自分の地位向上に結びつくなら、それは一つの「報酬」であろう。
なので、見せてあげたのは、そういう思惑もあったかもしれない。
だが、仲良しグループに入ってない子にまで見せてあげるのは、そりゃイヤだろう。
だから、その「べそかいた子」が「○○君(勉強ができる子)が、△△君には答を見せてあげてるのに、僕には見せてくれない」と言ってベソをかくのを「勉強のできる子」が見て、思わず・・
「(カンニングさせてくれないからってベソかくなんて)そりゃ、ないよ・・」
とつぶやいたのが忘れられない。
この場合・・・その「ベソかいた子」は、普段そのグループに入りたいと思ってるのに、中々入れてもらえない・・という状況が伏線になっている。
カンニングさせてもらえない・・ということよりも、グループの一員に入れてもらえない現実に対してベソをかいてしまったのではないだろうか。
後になって、この一件を思い出すと、そんな気がした。
クラスの中によくある「仲良しグループ」。
そのグループの中心人物もいれば、グループの構成員(?)の子もいる。
一方で、そのグループに入りたいと思ってる子もいれば、あまり興味のない子もいる。
そして・・入りたくても入れない子。
村八分にされて入れてもらえなかった子は、それが一生のトラウマになる場合もある。
そういうのが・・・20世紀少年の「ともだち」を生んでしまうのだろうか。
ただ、やはり・・・「カンニングをさせてくれなかった」からとって、いじけてベソをかくのは、「そりゃないよ」だよなあ・・・。
なお、この話と、この日記に載せてる写真とは、まったく因果関係はありませんので、念のため。