節電の町を歩く。
色んなお店の看板の電気が消されていたりする。
看板の電気が消えてると、ちょっと見では、その店が営業してるのかどうか分からない時がある。
でも、店の中を覗けば、ちゃんと営業してるのは分かる。
また、飲み物の自動販売機の電気も消えてる。
でも、だからといって問題はない。近づけば分かる。
駅の構内で、電気が消されてる。
でも、真っ暗闇になったわけではないので、問題ない。
駅のエスカレーターが動いていない。
これぐらい我慢しなくちゃ。もともとエスカレーターなど使わないことも多かったし。
強いてあげれば、エスカレーターのおかげで、階段のスペースが狭いくらい。それなら最初からエスカレーターなどなかったほうがよかったのに・・なんて思ったりもする。
ちなみに私は、自動改札は、元々大嫌いである(笑)。
このように、節電個所があちこちにあるが、正直、これぐらい全然問題はない。
思えば、今までいかに明るすぎたのか・・・という気にもなる。
慣れてしまえばいいだけ。
あとは、この暗さに不満を持つ人の声があがらないことを願うばかり。
苦情とかね。
我々、文明圏で生きる人間たちは、明るさというものににマヒしていたのかな。
夜は本来暗いもの。それを無理やり明るくしていた・・という言い方もできるのかもしれない。
おそらく、電球というものが初めてこの世に登場した時、その凄さやありがたみに人間はあふれたはず。
だが、慣れというものは罪なもので、いつしか明るさは当たり前になってしまった。
で、贅沢になった心は、当たり前が当たり前になっていないと、いつしか文句を言うようになった。
今回の電力不足による節電で、改めて上記のようなことを漠然と思うようになった。
無くなって初めて分かるありがたみ・・・・・か。
つくづく、人間は欲が深い。
更に続ければ、電車の暖房停止だって、寒いなら着込めばいい。混んでいれば、人の熱気で暖かくもなる。
問題は、夏・・かなあ。
電車の中は、くそ暑い時期にも背広などの厚着をしてる人のために、寒いくらいガンガンと冷房をかけていたりするからね。
夏でも仕事でジャケットを着てる人の体感温度に合わせているのかもしれないが、節電になったら、そうもいかない。
だいいち、部分停電になったら、冷房もかけられない時間帯が出てくる。
とすると、各自の自己管理でしのぐしなかない。
いえるのは、これまでと同じ価値観、固定観念では、乗りきれないということだ。
で、価値観が変わって、それが誰かにとって気に入らないものであっても、大震災の後なのだから、いちいち目くじらを立てないことだ。
誰もが、辛抱しあわなければならないのだから。そこに立場の強い・弱いは関係ない。
身分や立場を超えた辛抱がなきゃ、乗りきれないと思う。震災を経験したという意味では、皆同じ。平等。
被災者のご苦労を考えれば、特に。
とはいえ・・・去年のようなあの酷暑の夏になったら・・・冷房がなきゃどうなるだろう・・・。
へたすれば、ご年配の方の中には、生命の危機に陥るケースもありそうだ・・。
現に去年そういうケースもあったものね。
なるべく我慢はしなきゃいけない。だが、今年の夏が去年のような酷暑になった場合は・・・・怖い。