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海難1890 を見て

2016年08月28日 | レビュー(テレビ、ゲーム、本、映画、その他)

この記事、ネタばれな部分もあるので、その点ご了承のうえ、読んでください。

 

以前から見たいと思っていた映画「海難1890」をやっと観ることができた。

この映画が製作された時、「やっとこの題材が映像化される時がきたか」と思ったものだった。

感動的な実話だったので、こういう実話は何らかの形で映像化して、残しておいてほしいと思っていたから。

 

で、観てみて。

 

観終わった時の印象としては、いかにも文部省推薦映画という感じだった。

優等生的とでも言おうか。

 

正直、後半では、いくら実話をもとにした映画であるにしても、少し演出が過剰かなと思える部分もあったし、説得力不足に思える箇所もあった。

 

だが。

日本とトルコの過去のこの実話を、ちゃんと映画にして残しておく意義は大いにあると思う。

この題材を映像化したということに拍手を送りたい。

 

このことを知らない人たちに、この実話を伝え、覚えておいてもらうためにも。

 

1890年に、和歌山の海で遭難した、トルコの帆船エルトゥールル号。その生存者を助けるために、献身的な介護&救助活動をした現地の日本人。

そして、その恩義を忘れなかったトルコは、1985年のイラン・イラク戦争で、テヘランに閉じ込められ出国が出来ないでいた日本人を助けるために特別な救援旅客機を飛ばしてくれた。

かいつまんで書くと、上記の事実がこの映画で描かれている。

詳しい話は、ウィキペディアなどにも書かれているので、読んでみてほしい。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%83%88%E3%82%A5%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%AB%E5%8F%B7%E9%81%AD%E9%9B%A3%E4%BA%8B%E4%BB%B6

 

簡潔にその事実を書いただけでも、感動的なエピソードである。

トルコ人が1890年のことを忘れなかったように、我々日本人も1985年のトルコの真心を忘れてはならない。

信義を知らない国民にはなってはいけない。

 

なんでもエルトゥールル号の遭難事件と、その時の日本人の献身的な介護の話は、トルコでは教科書に掲載され、子供たちに伝えられているそうだ。

嬉しいことだ。

日本でもそういうことを教育で教えてもいいのではないか。

そういう意味では、この映画が学校でも上映されたのは理解できる。

 

映画の中で、日本人サイドの主役級をつとめたのが内野聖陽さん。役どころは、ドラマ「仁」で内野さん自身が演じた龍馬と、大沢たかおさんが演じた仁先生を足して2で割ったような役柄。

現地の日本人たちのトルコ人たちへの救助の様子は、いきいきと描かれていた。

また、エルトゥールル号がなぜ日本に来ることになったのかもよくわかった。

船が座礁していく過程などは迫力があった。

そして、船を失い、仲間を失い、自らケガをして憔悴しきったトルコ人たちと、それをとりまく日本人たち。

自分たちも、その日の食事にも困るくらいの苦しい生活をしていたのに、自分たちの少ない食べ物を削ってまで、トルコ人たちにつくした、現地の日本人たちは感動的。

そして、やがて本国に帰っていくトルコ人たちとの別れのシーンなども、ジーンときた。

見ていて、こんな日本人先祖がいたことを、誇りに思う。

なんでも、ロケは実際にエルトゥールル号が遭難した場所で行われたそうな。

 

前半のこのエルトゥールル号の遭難事件編は中々良くできていたと思う。

役者たちも良かった。

 

後半のテヘラン邦人救出劇編では、イラクからの無差別攻撃通達を受けて、トルコ政府はテヘランにいるトルコ人を救出するために、救援飛行機を飛ばした。

もちろん、その飛行機は危険なルートを飛ぶことになる。そのパイロットは命がけの仕事だ。その危険な任務の志願者を募ったところ、その場にいたほとんどのトルコ人パイロットは手をあげて志願した。そのへんは、かっこよかった。

そして、空港でそのチケットを求めるテヘラン在留のトルコ人たち。

テヘランには日本人もいたが、日本政府はテヘラン在留日本人を救うための救援飛行機は、飛ばせないという。このへんは、日本は情けない限りだ。

すると、トルコ政府が、日本人救出のために、救援飛行機をもう1機飛ばすことを決断する。

 

空港で救援飛行機のチケットを求める多数の在留トルコ人たちの前で、同じく出国できないでいる在留日本人たちを飛行機に乗せるために、トルコ人たちに演説を始めるムラト。

ムラトは、かつてトルコ人の先祖たちが、エルトゥールル遭難事件で日本人に助けられたことを引き合いに出し、救援飛行機に日本人全員を乗せ、もしその結果飛行機に乗りきれなくなったトルコ人たちは陸路で脱出することを提案する。

 

この後半のトルコ編は、もうすこし細かく描いてほしかった気はする。

 

もっとも、前半の日本編でも、かなりのエピソードが割愛されてはいるようだ。

その辺、日本編とトルコ編の両方を1本の映画の中で描こうとすると、尺的に仕方ないのかもしれない。

 

私の個人的な望みとしては、日本編で1本、トルコ編で1本、計2本の映画にしてもよかったような気はする。

 

素晴らしい題材だと思うので。

 

 

 

ただ、なんにせよ、前述の通り、この実話をよくぞ映画にしてくれた・・という気持ちはある。

 

映像作品として、両国のこの実話が残されたことは、意義深いし、価値があると思う。

 

映画の出来うんぬんより、こういう事実があったということを、この事実をよく知らない日本人に・・・一人でも多くの日本人に知ってもらうためにも、観てもらいたい。

両国の国民の「いい人ぶり」な描かれ方が目につく点はあるにしても、なにより実際の結果の事実が重たい。

 

 

 

 

蛇足だが・・以前の日本では現「ソープランド」を「トルコ風呂」と呼んでいた。

ある時、トルコ人の若者が日本に来た時、「トルコ風呂」を風俗とは知らずに入ってしまったらしい。

で、ビックリ仰天。

「トルコのお風呂は、こういう風呂ではありません・・・」と、悲しそうに抗議。

そりゃそうだよね。

すると、それを知った日本政府は、事態を重く見て、素早い対応で、「トルコ風呂」という名称を「ソープランド」に変えさせた。私自身、そのニュースはリアルタイムで見聞きしたので、その時の日本の素早い対応ぶりはよく覚えている。

 

それを知った、そのトルコ人の若者は、1旅行者でしかない1人の若者が言ったことを、日本の政府が吸い上げて、素早く対応してくれたことに深く感謝して、帰国した。

エルトゥールル事件で結ばれた日本とトルコの良好な関係が、損なわれなくてよかった。

それは1984年。

テヘラン在留日本人を助けるためにトルコ政府が臨時に救援飛行機を飛ばしたくれた年の前年・・・ということになる。

 

個人同士だけでなく、国同士の関係も、真摯な対応は未来につながり、それは相手を助けるだけでなく、やがて自分をも助けてくれることになる・・ということであろう。

 

 


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