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自分のブログの古い記事が、ある時いきなりアクセス数が増えることがある。
あれ?どうしたんだろう・・などと思ったりするが、それにはたいがい何かの理由がある。
このブログで2007年に投稿した古い記事が、最近やたらアクセス数が増えている。
それは2007年の秋に投稿した、マグマ大使に関する記事だ。
「なぜ、今頃急にマグマ大使のネタが?」と思ったが、すぐにその理由はわかった。
その理由とは、NHKの朝の連ドラ「半分 青い」の中で、マグマ大使の映像や話題が登場人物たちの会話で出てきたからだ。
私が2007年に投稿した記事は「マグマ大使でモルばかり呼び出すヤツ」というタイトルの記事で、内容はけっこうナンセンスな記事だった。
そんな記事が思い出したように急にあがってくると、なにやら筆者としては少し恥ずかしい(笑)。
過去の自分がいきなり召喚されたようで(笑)。
この記事は、急に上がってきた理由がわかったからまだいい。
たまたま私もNHKの朝の連ドラを見続けていたから、その理由もわかったわけで。
その一方で、自分のブログの古い記事がある日いきなり急にあがってきて、しかもアクセス数があると、その理由を知りたくなることもある。
そんな時は、その古い記事のネタに出てくる登場人物や出来事が何かの番組か何かで取りあげられたからなのだろう。
その場合、もちろん私の記事そのものが取りあげられたわけではなく、そのキャラクターや出来事が、何かの番組で取りあげられ、なおかつそのキャラや出来事を個人個人で調べようとしてネットでその固有名詞を検索したら、たまたま私の記事がヒットした・・・ということだろう。
ただ、私にはそのきっかけになったものが分からなかったりすると、そのきっかけを知りたくもなる。
ネットって、、時空列を飛び越えて記事が上がり下がりするわけで、その辺面白さもあるし、意外性もあるが、時には少々怖かったりすることもある。
その古い記事を書いた時の自分と、今現在の自分との間に、その時間経過の途中で考え方が多少違っていたりすると、誤解されることもありそうだ。
読む人は、記事を書いた人の考えや感じ方が、昔と現在とで違っていても、そのネタそのものを今現在の筆者の考え方として読むわけだから。
まあでも、こと私の「マグマ大使」に関する昔の記事での考え方自体は、今現在もあまり変わっていないからいいけれど(笑)。
マグマ大使・・といえば。 昔、面白い検証番組というか、、ツッコミ番組があった。バラエティ番組だったと思う。
それは・・・カメラアングルがマグマ大使の顔を下から見上げるアングルになった時、マグマ大使の首あたりがアップになって、そこに生身の人間の肌が見えていたシーンがあったこと。
これはカメラアングルの「うっかり」であったのかもしれない。
私はこれに「パンチラ」ならぬ「マグマの首チラ」と名付けた(笑)。
だいいち、マグマにはパンチラは無理だし、マグマにそれを望んではイケナイ(笑)。
まあ、それはともかく(笑)、マグマ大使の着ぐるみは、ウルトラマンみたいに顔から足先まで全身を覆うタイプではなかったのだろう。
マグマ大使の着ぐるみでは、顔の部分はお面を装着していたようだった。
だからカメラアングルは注意しないと、着ぐるみの中に入っているアクターの生身の首部分は見えてしまったのだろう。
一応それを避けるために、顎の下あたりを隠すものはあったし、マグマの髪の毛が長髪であったことを利用して、長髪の影で首辺りはよく見えないようにはなっていた。
マグマ大使の中に入っていた着ぐるみ役者の首の肌が一瞬見えてしまったのは、今となっては、御愛嬌ではある。
今では、そういうシーンがあったら、撮り直しになったのではあるまいか。
その一瞬を見逃さずに指摘したその番組は、ツッコミ系のバラエティならではではあった。
ちなみに、マグマ大使の番組が決まる前、パイロット版が作られたらしい。
そのパイロット版では、マグマ大使の顔部分は、着ぐるみ役者の生身の顔そのものが露出していたようだ。
そう、パイロット版のマグマ大使アクターは、まだお面をつけていなかったのだ。
それに違和感を感じたスタッフからの指摘があり、本放送分では、お面をつけることになったらしい。
生身のマグマ大使アクターの顔が露出したパイロット版の写真をネットでは見つけることができる。
それを見ると・・・生身の顔が露出したマグマ大使は・・・ずいぶんイメージが違う。
違和感を感じる。
お面のマグマ大使のイメージが一般的なため、そう思うのかもしれないが。
もしも本編のマグマ大使でも、着ぐるみ役者が生身の顔をさらすマグマ大使だったら、あんなに人気は出なかったかもしれない。
そういう意味では、やはりお面を装着したのは正解だったとは思う。
ひとつのお面が、マグマ大使という特撮番組を救ったのかもしれない。
そして、それは平成の世の中のNHK朝の連ドラでの、プチ復活にも繋がったのかもしれない。
それにしても・・・かつてのNHK朝の連ドラ「ゲゲゲの女房」で水木妖怪が登場した時にも思ったことだが、今回「半分、青い」でマグマ大使が登場すると、一瞬びっくりもし、妙に嬉しくなってしまった。
まあ、「ゲゲゲの女房」は水木しげる先生の奥さんの物語だったから、水木妖怪が登場してくるのは想定内ではあった。
だが、一見何の繋がりもなさそうな「半分、青い」で、まさかマグマ大使が登場してくるとはね。
この企画のまま、ドラマが進行していたら…。
ドラマのヒットに伴って生産されるマグマ大使グッズの「顔」は、大変困難を極めたはずですよ。
「マグマ大使」というよりも、その「俳優」のグッズとなるわけですから…(^^;)
又、仮面をつけていない事により、その俳優の容姿に対する好みの問題も発生し、せっかくの『マグマ大使』がヒットしない可能性もあります。
仮面をかぶることにより、「正体不明」「普遍性」という魅力が出てきて、作品もヒットするということです。
考えてみると、『ウルトラマン』『仮面ライダー』など、仮面をかぶっているからこそ、世代を越えて、彼らは「永遠のスーパーヒーロー」なのでしょうね。
ネットでは、顔丸出しの写真が見つかりますので、機会があったら見てください。
マグマのイメージがだいぶ変わってしまいます・・。
ウルトラマンも仮面ライダーも、変身後のヒーロー姿の時、生身の顔が見えないからいいんでしょうね。
まあ、マグマ大使の原作設定としては、マグマの顔はお面ではなく、素顔がああいう顔ということになってますが、そのまま実写ドラマでやってしまうと・・・あんな人気は出なかったと思います。
なんでも・・大昔、鉄腕アトムがアニメ化される前に、実写版ドラマが制作されたのですが、その時のアトムは生身の少年が演じてました。
ですが、そのアトムがあまりにも・・・・原作イメージと異なっていたため、原作者が幻滅したそうです。
そういう過去もあったからこそ、マグマにはお面をつけさせたのでしょう。
実写版アトムの写真がもしネットで見つかったら、ぜひ見てみてください。
私はネットで見たことがありますが、トホホ・・でした。
どちらも笑ってしまいました!
どちらも見事に「夢」を破壊しますね…。
『マグマ大使』『鉄腕アトム』のように、未来型人間?は、「素顔」を見せては失格です。
しかし、アメリカ映画『スーパーマン』のように、素顔のまま出演しているのに大成功を収めた例もありますね。
いったい、何が違うために、マグマ大使と鉄腕アトムは失敗したのでしょう…?
一方、アトムにしろ、マグマにしろ、原作漫画のキャラは、決して写実的ではなく、いかにも漫画・・・という感じの絵柄。なので、実写にしてしまうと、原作の雰囲気と離れてしまうからではないでしょうか。
特にアトムの実写版のアトムは・・・できれば触れないであげたいぐらい、トホホです。
手塚治虫先生が失望したのは、分かる気がします。
ちなみに、アトムと人気を二分していた鉄人28号にも、古い実写版がありますが、そちらの鉄人のほうも・・・トホホです・・・。
演じてる事に特に違和感はなかったんですけどね〜
後年懐かし番組で「人顔マグマ」が紹介された時、「あ、これはロボ顔マグマで正解だったんだ」
そう思いましたね(笑)
実写テレビ版の鉄人…やはり懐かし番組で観てびっくりしました。
鉄人開発のエピソードがありましたが、そこに出てくる28号以前は、
お煎餅やクッキーの缶に手足を付けたような物で、電源入れるとすぐ爆発しちゃう(笑)
実写テレビ版の鉄腕アトムもリアルタイムではありませんでしたが、やはり懐かし番組で観ました。
そこでよく取り上げられていたのが、最終回ですね。
主演の男の子があのアトムのとんがり頭のかつらを取って挨拶するってやつ。
でも、マグマにしろ鉄人にしろアトムにしろ、リアルタイムで観てた子供たちは夢中になってた訳で、
なんか笑いをとる目的で紹介されるのは、正直ちょっといやだったりします。
私もウルトラマンやウルトラセブンなんかを笑いものにされると、ちょっと「む」っとしてしまいます。
やっぱ歳なんでしょうかね(笑)
モルやガムには生顔でも違和感なかったですね。
マグマの顔が生顔ではじめから出てたら、それに馴染んだのかなあ、、、。
いや、でもやはりマグマだけは生顔では馴染まなかったような、、。
やはり、主役ですからね。
実写版鉄人は、身長が人間と変わらなかったんですよ。
だから人気出なかったと思います。
漫画の鉄人は、その大きさが強さのひとつの要素でしたから、人間と同じでは、やはりダメでしょう。
実写版アトムで、主役の子供がカツラをとって挨拶する姿、あれはやってはいけないことです。
それまでのコスチュームが意味なしになってしまいますから。
当時のヒーローを笑っても許されるとしたら、そこに愛情やリスペクトがあってこそです。
単にバカにするだけなら、あまりいい気はしません。
自分のヒーローをバカにされて喜ぶ人なんかいないと思います。
「半分、青い」で、秋風羽織の作品という設定で、
くらもちふさこの少女漫画が登場していました。
「いつもポケットにショパン」私もかつて読んだ事があります。他にも何作品か読みました。割と良かったです。
以前は食わず嫌いというか、少女漫画は敬遠していましたが、20数年前NHK教育テレビの市民大学講座という番組で、少女文化について取り上げていた事があり、その中で少女漫画にも触れていて、それがきっかけで興味を持ち、少女漫画を読むようになりました。
読み始めた頃は、少年漫画や青年漫画に見られるダイナミックさ、力強さ、スピード感、熱い思い等が余り見られず、作画も線が細くて物足り無さも感じましたが、
抒情性や心理描写の深さ細やかさには惹かれました。
私が読み始めた少女漫画は70年代の作品が中心でしたが、その頃の少女漫画界は才能溢れる女性漫画家が沢山出て来た時期で、彼女達の生まれた年が昭和24年前後だったので、花の24年組と呼ばれていました。団塊の世代ですね。
トキワ荘の女性漫画家版とも言うべき「大泉サロン」というアパートの存在も70年代初め頃にあったようです。
そのアパートの住人だった竹宮惠子著「その名はジルベール」という最近出版された本に、その頃の事が詳しく書かれています。
他の時代も気になり1950年代から2000年頃までの作品を読みました。(今は漫画自体余り読んでいませんけれど)
読んで行くうちに好みもみつかり、以後はそれらを中心に読んで行きました。
因みに私のお気に入りの少女漫画家は、
上田とし子、樹村みのり、大島弓子、萩尾望都、竹宮惠子、山岸涼子、内田善美、岡野玲子、高野文子といった面々です。
萩尾望都の作品に「ポーの一族」という代表作があるのですが、40年ぶりに連載を再開し、今はその単行本が出るのを楽しみにしています。
因みに、この漫画のファンである夢枕獏が事あるごとに本人に続きを書いて欲しいと催促して、本人もその気になり連載が再開されたらしいです。
自分の中では手塚治虫と萩尾望都は双璧の存在です。
以上少女漫画について、つらつら書いてみました。
「少年の名はジルベール」が正しい本のタイトルでした。
失礼しました。
少年の名はジルベール 竹宮惠子│小学館
で検索すると約60ページ程無料試し読みが出来ます。
よろしければどうぞ。
脱帽です。
私は少女漫画は全く読まないということはありませんし、単行本で持ってる作品もありますが、読んできた作品は数少ないです。
少年時代に私が少女漫画が苦手だったのは、コマ割りのせいもあったと思います。
なんというか、区別があいまいなコマ割りが多い気がして。
あと、コマに花みたいなものが描かれて、その花とストーリーの関連性がわからなかったのです。
登場人物の心理描写のきめ細やかさは、確かに感じました。
そのへんは、少年漫画以上だったかもしれませんね。
細かい心の揺れ動きとか。
大泉サロン?
不勉強ながら初耳です。
そういうものがあったのですか。
トキワ荘があれだけ知られているのですから、大泉サロンももっと知られてもいいかもしれませんね。
トキワ損は、映画になったり、漫画にもなったりしてますが、大泉サロンもドラマ化されたらいいかもしれませんね。
少女漫画にもトキワ荘はあった・・そんな感じになるのかなあ。
萩尾望都が手塚先生に匹敵する評価を得ているのは、私も知ってます。
ポーの一族は有名ですね。
でも、私は読んだことがないのです。
いつか機会があれば読んでみたいとは思っています。
ガラケーやタブレットでも読めるのかな・・。
機会があればチェックしてみます。