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前回柴又に来た時、矢切の渡しにまで行った覚えがなかったのは、なぜだったのだろう。
せっかく柴又に行ったのだから、矢切の渡しにも行ってみればよかったのに・・・と、後から漠然と思ったりしたものだった。
なので、今回はリベンジ(?)の機会。
位置的には、柴又駅を降りて、帝釈天に続く参道を歩かずに、参道の脇の道をまっすぐ歩いていくと江戸川の土手ぞいの道に出る。で、土手を登れば、ゆうゆうと流れる江戸川の流れが見渡せる。
で、そのまま川沿いまで降りて進んでいけば、矢切りの渡しに辿り着く。そんな場所に、矢切の渡しはある。これが駅から一番手っ取り早いルートだろう。
この日の私は、上記の最短ルートからではなく、山本亭近くの高台から土手に出た。そこから川沿いまで降りてゆき、少し川にそって歩いて矢切の渡しを目指すことになった。なので、今回の私の行程は、上記のような最短ルートではない。
矢切の渡しに降りてゆく前に、しばらく私は土手の上に立ち、そこからの眺めを見渡していた。ここから見渡す江戸川の流れは、癒される。いい眺めだ。
そういえば、以前私は、自主制作アルバムを制作した時に、アルバムジャケットでは高台から眺める川の流れをジャケット写真に使ったっけ。そんなことを漠然と思い出していた。
まあ、その時の川は江戸川ではなかったけれど。
なんにせよ、私はこういう風景が根本的に好きなんだと思う。
土手道には、けっこう人が行き交っていた。
寅さんが映画の冒頭部分などでよく土手に腰かけて佇んでいたりしたなあ・・などと思いながら眺めると、楽しい。
きっと、寅さんもさくらも、源ちゃんも、皆この道を通ったことだろう。
さて、土手を下りて川べりに行き、さらに川沿いにてくてく歩く。
すると人が数人集まっている場所があり、そこが「矢切の渡し」の船着き場であった。
渡し賃は、片道200円。往復で400円。
私が行った時、ちょうど渡し船がこちら側に帰ってくるところだった。見ればけっこう船には人が乗っていた。
桟橋の先まで行ってみたら、あらためて江戸川の川幅の広さを実感。これは、少なくても日本国内では、けっこう大河。
桟橋の先から川べりに戻った時、足元に何か文字が書かれた看板を発見。
その看板には、船に乗らない方は桟橋には入らないでほしいという趣旨の文字が書かれてあった。ありゃ・・もう入ってしまったがな・・。
その看板の文字に縛られたわけではないが、せっかくここまで来たのだから、話のタネに私も船に乗ってみることにした。
最初は乗るつもりはなかったのだが、せっかくの機会だしね。
船に乗る機会は普段あまりないから・・ということもあった。
船頭は、案外若い人だった。てっきり年配の方が船頭をつとめているのかと思っていたから、少し意外だった。
対岸に着いても私は降りるつもりはなく、そのまま船に乗ったまま戻ってくるつもりだったので、往復料金400円を払って乗り込んだ。
で、ほどなくして船は対岸に向かって進みだした。
川の上は・・・いやあ、寒い!風がピューピュー私の体に当たってくる。
元々この日の天気は朝から曇りで、しかも風もあり、肌寒かった。
川の上は、川を渡ってくる風が遮るものもなく直撃してくるので、更に寒い。
いやあ、もっと暖かい日に来ればよかったかな~。
とはいえ、川の上は非日常という感じで、新鮮で、いいリフレッシュになる。
船の上から眺める江戸川は、岸で見てるよりもはるかに広く見えた。
感覚的には、気分は完全に「大河」だった。
船からは遠くにスカイツリーが見えた。
鉄橋も見えた。
船に乗って進みながら、心の中にはさっきから、ある歌がまわっていた。
その歌とは?
もちろん、「矢切の渡し」であった(笑)。ここでこの歌が頭の中をまわらずして、他にどんな歌がまわろう?(笑)
あの歌は、かけおちの歌なのかな?
だとしたら、今でもかけおちでこの矢切りの渡しを渡るカップルなんて・・いるんだろうか。
普通なら、橋を渡るんだろうな・・・。
きっとあの歌のカップルは、急いでいたんだろうな、
だから橋を使わずに、一刻も早く対岸に辿り着きたくて、この渡し船を使ったんだろうな・・・親が連れ戻しにくる前に対岸に渡ってしまおうと思ったんだろうな・・・などと、とりとめのないことを考えていたら、対岸の船着き場が近付いてきた。
見れば、並んでる人は・・・あまりいない。
桟橋の向うの木々の向うには、「矢切の渡し」と書かれたのぼりが風にたなびいていた。
これなら遠くからでも一発でわかる。
私はこの船に、対岸に渡るために乗ったわけではなく、単なる「観光」である。
なので、対岸で降りる必要もないし、ましてやかけおちしてるわけでもない(笑)。
なので、船を下りず、そのまま引き返す。乗り込んだ桟橋に向かって。
それにしても・・空も広ければ、川幅も広い。河川敷も加えれば、かなりのものだ。
まあ、多摩川や信濃川なども、これぐらい広いけどね。もちろん、場所にもよるけど。
なんにせよ、江戸川が大きな川であることは間違いない。
柴又の街を歩いている時はそうでもなかったが、こうして渡し船で大きな川を渡っていると、ちょっとした旅気分にもなれる。
細川たかしさんによって大ヒットした歌謡曲「矢切の渡し」をご存じの方は多いことだろう。
歌に出てくる「矢切の渡し」は、なにやら一時代前の昭和の日本を感じさせられた。
そこにはドラマチックな恋愛が歌われていた。少し悲壮感もあった。
だが実際に訪れた矢切の渡しは、のどかな「渡し」であった。
渡し船の代わりになる「橋」は見えるものの、橋まではけっこう距離がある。橋を使って対岸に渡ろうとすると、車でもない限りかなり大周りを余儀なくされる。
歩きでここに来た人は、この渡し船で対岸に渡ってしまったほうが、手っとり早いのは確か。
そういう意味では、生活に根差した便利さもしっかりある。
歌につられて観光で来る人も多いはずなので、観光で来た人にとっては、いい話のタネになると思う。歌で有名な、あの「矢切の渡し」の渡し船で、対岸に渡った・・と思えば。
「矢切の渡し」という名称の響きには、なにやら風情もある。まあ、だからこそ歌の題材にもなったのだろう。
昔ながらの光景という感もある。
ちょっと調べてみたのだが、文献によると、なんでも、矢切の渡しの運航が始まったのは、なんと!寛永8年(1631)だという。
すでに何百年もの歴史が、この渡しにはあることになる。江戸の昔の人たちも、この渡しを利用していたんだね。
こうなったら、いつまでも残っていってほしい存在ではある。
こういうのが残っていてくれると、なにやら嬉しい。
もと居た船着場に戻ってきた私は、駅方面に向かって歩き出した。自分の背後に遠ざかってゆく「矢切の渡し」を時々振り返って見ながら。
歌謡曲「矢切の渡し」の歌詞に「♪見すてないでね~ 捨てはしないよ~」という部分があるが、「時の流れ」に矢切の渡しを「捨てはしないよ」と言ってほしい・・・そんなことを漠然と考えながら。
矢切の渡しの船頭さん、渡し船がこれからも存続してゆくように、これからもよろしくお願いしますね。
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いつ来ても柴又は、「男はつらいよ」の世界にリアルで入っていける町だった。
銅像や記念館などが出来て、その感はますます強くなった。
この後、駅に辿り着く前に、おもちゃ博物館に入ってみたのだが、その博物館は2階にあった。小さな博物館だった。
1階は・・といえば、そこは駄菓子屋であった。
最後に、その駄菓子屋での戦利品を紹介して、「柴又への小さな旅」シリーズ(?)日記の締めくくりにする。
いつも寅さんがそうであったように、柴又駅から高砂駅行きの金町線に乗り、私は柴又を後にした。
高砂駅から寅さんは日本のあちこちに旅立って行ったが、私は家に帰っていった。
寅さんはしょっちゅう「風の向くまま、気の向くまま」に日本全国に旅に出ていた自由人だったが、私には、それは出来ないでいる。
まあ、「それを言っちゃ、おしまいよ」かな(笑)。
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