以前、私が幼少の頃に住んでた家の近くにあった謎の大邸宅の正体についてのネタを投稿したことがあった。
今回は、それとは別の謎の建物の話。今回取り上げる謎の建物は、結局その正体はわからなかった。それは結局そのまま今に至っている、
家の近くにその建物があったのは、いつ頃くらいまでだったろう。
記憶が定かではないが、多分私が小学生くらいまでだったと思う。
ともかく謎の建物だった。どこか外国の神殿みたいな外観・・というか入口を持つ建物だった。
だが物心ついた頃にはその建物はなくなっており、その謎の建物が建ってた場所は、公園になっていた。
神殿のような建物が一体何の建物だったのかは、結局わからずじまい。
わからずじまいのまま、気がついたらなくなっていた。
その建物の中に入ることはなかったが、特徴的な入り口だったので、近所に住んでた友達と、その建物の入口近辺にはたまに行っていた。
まあ、だからこそ、その外観を覚えているのだろう。
ちなみに。その建物の跡地に作られた公園にもたまに行っていた。
時にはその公園で、近所に住む友達と夜通し過ごして話し込んたりもしていた。
やがてはその公園にすっかりなじみ、その前に建ってた神殿のような建物内のことは、すこしづつ記憶から薄れていった。
だんだんあまり思い出すこともなくなっていった。
で、一時はその神殿のような建物のことは、頭からすっかり消えていった。
ところが近年、なぜかその神殿のような建物のことを思い出してしまった。
多分何かのきっかけはあったのだと思うが、そのきっかけが何であったかは、よくは思い出せない。
ふとしたことからその神殿のような建物があった時代によく遊んでいた幼馴染と飲む機会があった時に、昔話の中にあの神殿のような建物が出てきて、それで思い出したのかもしれない。
今ではあの神殿のような建物は記憶として頭の中に常駐している。
だからこそ、あの建物は一体何の建物だったのか、知りたい気もする。
探検ごっこなどでは、良い探検先の候補てはあったのだが、なんかそういう遊びを寄せ付けないようなピリッとした雰囲気もあって、探検したい気持ちはありながらも、実現しなかった。警備員でも出てきそうな建物だったし。
とにかく、周りの建物とは違うオーラがあった。
中に入りたくても、子供では入っていきにくい雰囲気だったし、子供が無理に入っていったら、追い出されそうな雰囲気もあったし。
結局あの建物は何だったのか。今もわからない。
病院?役所?研究所?事務所?秘密結社のアジト(笑)?
それとも?
あなたには、幼い頃などに、普段の活動範囲の中に、謎の建物はなかったろうか?
そしてその建物の正体がなんだったのか、今さらながら知りたいと思ったりしないだろうか。
もっとも、かりに知ったとしても、今更それが普段の生活に何か役に立つわけでもないのだが。
なおトップ写真は、このネタの内容とは関係ありません。
遺構が見つかったことで、今後ますます人気出そうですね。
あとはそれを現代人がどう判断してゆくか次第ですね。
遺構の保存派と工事推進派で揉めてるようです。
よく聞く話ですが、難しい問題ではありますね。
建築物そのものが残ってれば移築も可能なんでしょうが、基礎の部分や壁の一部だけとなると・・・
歴史・文化を尊重するか、経済・地域発展を重視するか・・・
成り行きを見ていこうと思います。
それなら、わかります。
そういう地域こそ、逆にそういう建築物は残して保存しておけば、その地域の「売り」にもなれる気がします。
消えてしまったら、もったいないと思えます。
まあ、これは部外者としての意見なのかもしれませんけど。
門司港には、古く歴史ある建築物がたくさんありました。
壮観でした。
あの保存ぶりは、門司港の価値を高めていたと思います。それは門司港の個性にもなってたと思います。
いっそ世界遺産に認定されてしまえば、その後も保存されるのでしょうね。
中々行く機会もありませんが、現代のアルミとガラスが多用されたビルよりも人間くささというか西洋列強に追いつけ!というような当時の人たちの情熱みたいなのを感じますね。
そう言えば昨年だんぞうさんは門司や下関にいらしてましたね?門司港には海外の企業や保険の会社が入ってた古い建物が多く残ってますが、いかがでした?
当地にはかの大製鐵所の本部機能(名称は本事務所)を持っていた建物が残っています。確か世界遺産に認定されてます。外観は個人的なイメージですが、なんとなく東京駅っぽいかな。
正体は銀行だったとは!
随分、凝った外観の銀行だったのですね。
へたしたら、明治の文明開化の頃の建築だったりして。
だとしたら、今もその建物が残ってたら、歴史的建築物として、保存されたかもしれません。
なくなってしまったのは、もったいないなあ。
そんなに大きな建物ではありませんでしたが、レンガ造りの壁、正面には四本の丸い柱、金属製の大きな扉・・・
中学生の頃迄は確かにありましたが、いつのまにか消えてました。
ま、毎日通る道ではなかったので、無くなる経過を見る事ができませんでした。
ただ、その建物が何だったかは分かってます。正体は銀行でした。かつて当地は大製鐵所のお膝元であり、多くの銀行が軒を連ねていた時代があったそうです。
件の建物は空襲を生き延びた歴史の生き証人だったようです。