先日テレビで放送されたドラマ「黒部の太陽」。
リアルタイムでは見れそうもなかったので、録画しておき、休みの日に一気に前編と後編をまとめて見た。
黒部ダムは、去年の秋に私は行ったばかりだ。
その時の風景や気持ちは未だによく覚えている。
そんな時に「黒部の太陽」の制作とは、なんというタイミングの良さ。
ドラマ見ながら、自分の中に親近感やらリアル感など、いろんなものが去来してならなかった。
このドラマは大町方面から峡谷(今で言う黒部ダムのある地点」につづくトンネルを掘った人や、それに関わった人のドラマ。
私も去年の黒部旅行では、大町からのトンネルを通った。
たしか、トンネル内の移動手段はトロリーバスだった。
今回のテレビドラマが制作されるよりも何十年も前に石原プロによって映画「黒部の太陽」が製作された・・ということを私は知っていた。
なので、映画になるくらいだから、相当な大仕事だったのだろうな・・とは漠然と思っていたが、いざ自分が実際にトンネル内を通っていると、あらためてその凄さを実感したものだった。
色々曲がりくねっていたように思う。
で、時々、違うルートに続くトンネルなどもあったっけ。
「よくこんなトンネルを掘ったもんだなあ・・」と思ったものだ。
ともかく、あの長さ。
そして、トンネルを抜けてから、そのトンネルが通っている山岳の立地などを見た時、深く感嘆の思いを持ったものだった。
「こんなところに、あんなトンネルを作ってしまうんだものなあ」とつぶやきながら。
トンネル工事では、殉職者が出ることは聞いていた。
あの「大町トンネル(現{関電トンネル」)」の工事でも、多数の殉職者が出たという。
そりゃそうだろうなあ。
今、観光コースとして、快適にあの場所を抜けられる我々「後世の人」は恵まれているのだ。
あそこは今は黒部立山アルペンルートとして、世界的な観光名所になってるものね。
あのあたりの開発の凄さは、何も大町トンネルだけに限らない。
大町トンネルも確かにすごいのだが、あれ以外の、登山電車の工事もまた想像を絶するものだっただろう。
登山列車のレールは、あんな山岳地帯の相当な急斜面を上っていくし、レールの途中には急斜面のトンネルもある。
あんな急斜面のトンネルの工事でも、殉職者は出たのではないだろうか。
乗ってみれば分かるが、ともかくそのルートはハンパではない。
言えるのは、まさに決死の・・命がけの大仕事だったはず。
我々は、先人たちの功績に、大きな感謝をせねばならない。
ドラマ「黒部の太陽」は事実をもとにしたフィクションではあるようだが、事実に基づくエピソードは多いだろうし、登場人物のモデルも当然いたはずだ。
あの事業に関わった様々な人のドラマの結晶が、ああいうドラマになっているはず。
黒部立山アルペンルートを体験したばかりの私にとっては、この「黒部の太陽」を見てしまうと、リアルでもあり、身近にも思え、画面を見ながら自分があの場所で見た風景をありありと思いだす。
自分が見た風景をオーバーラップさせながら、このドラマを最初から最後まで見てしまった。
また・・行きたくなった。
次回また行ったら、更なる感動や感慨深さを感じるのは間違いない。
なお、上で紹介してる写真は、黒部ダムの上にある道で撮った写真。
道の・・向かって右方面に人口湖が横たわっている。
道の左側は、放水する側だ。
向かいに山が見えるが、大町トンネルは、あの山と、その後ろにつながってる山をぶちぬいてできたものだ。
山の中腹に人口建造物が見えている。
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