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バンドをやってる頃、メンバーから、バンドのコンセプトに合わせた「〇〇風の曲が必要だから作ってくれ」と言われて、その注文に合わせて曲を作ったものだった。
だが、「〇〇風」という具体例があると、ついついその曲のイメージが強すぎて、曲を作っても非常に納得できない曲になってしまったりしたものだった。
単に「〇〇風の出来そこない曲」にしかならなくて。
曲を作る場合、まずは曲のどこかの一部のインスピレーションが浮かんで、そこからどんどん発展させて完成させてゆくものでないと、私の場合は中々納得できる曲は作れなかった。
インスピレーションよりも先に「〇〇風」という条件があると、ついつい「慣れ」で作ってしまいがちだった。
だが、「慣れ」で作った曲は、出来上がってどんなにリズムで工夫しようが、いい題材の歌詞を乗せようが、どうアレンジという名前の化粧を施そうが、つまらない曲にしかならなかった。
創作活動を長年していくと、その長年の間に色んな「作品構成要素」のパーツやパターンが自分の頭や感性の中に蓄積されてくる。
その蓄積分がたまるにつれ、その蓄積したパーツやパターンや方法だけで作品をまとめあげることもできるようになる。
でも、それは惰性で作ったものにしかならなくて、借り物やつぎはぎだらけで、出来上がって誰かに聴かせても、誰にも気にいってもらえない作品にしかならない。
そうなったら、もうその曲は完全消去するしか納得方法はなかった。
世の中には無数の楽曲があふれているが、それらを何気に耳にしていると、単に作曲家の「慣れ」で作ったとしか思えない曲に出会うことがある。
よくこういう曲が「採用」になったな・・みたいな。
その場合、その作曲家があまりにネームバリューがある方だっりすると、その名前のネームバリューだけが「売り」で、曲そのものはイマイチでも使わざるを得ない場合もあるんだろうなあ。
特にそれが大物だったりすると、出来が悪くても、不採用にはできない・・・そんな事情もあるのかもしれない。
「慣れ」というものは良い部分と悪い部分と両方ある。
慣れると、ハウトゥーが増え、それが少ない人よりも、作品をまとめあげる能力が向上するとは思う。
だが、あまりにそれが勝ちすぎると、肝心の「その曲が浮かんだインスピレーション」やパッションやモチベーションなどが、聴き手に伝わってこない作品になってしまう。
いや、もしかしたら、それは「やっつげ仕事」みたいになり、インスピレーションやパッションやモチベーションが全く感じられない作品だったりする場合もあると思う。
作品を創造する人が、そういうものが無くなってしまっては、危険だと思う。
そういう作品が続くと、そのクリエーターは、衰退していくしかないのだろう・・。
慣れで作ったように思える曲ばかりが「新作」として発表されるようになると、そのソングライターは、「才能が枯れた」と思われかねない。
そんな時は・・・本当は曲作りをいったんやめて充電する期間を持った方がいいのだろう。
少なくても薬などに頼るよりは。
だが、その人が作った曲がチャートに多く入り続け商業的成果を上げ続けている時は、注文も多く入る。締め切りもある。
そうすると、一つの小さなインスピレーションが浮かんでくるのを待ったり、熟成させる時間も持てないまま、曲を仕上げる必要がでてくるのだろう。
すると・・・間に合わせるために、自分の中の蓄積されているハウトゥーや方程式で曲をまとめあげるケースも出てくると思う。
だが、そこには新鮮味のない、方程式で作られた曲が量産されるように・・なるのでは。
で、曲の出来よりも、それを歌うパフォーマーの人気に頼ったりして、ヒットしたり。
だが、作れば作るほど、曲のインパクトやキャッチーさがなくなっていったりする。
本来、インパクトやキャッチーさは、ソングライターの頭に天から降りてくるようなひらめきがあってこそ、曲に現れるのだと思う。
だが、慣れで量産していくと、ひらめきからではなく、方程式で作られるようになり、キャッチーさやインパクトや新鮮味が失われてゆく。
すると、それは、本来大きな才能を持ってたそのソングライターは・・・出がらしみたいになっていってしまう・・。
慣れ。
必要な要素でもあることは確かだが、それに依存していると、クリエイターの才能や評価を滅ぼすもとになる。
表裏一体の、怖い要素。