私が中学卒業まで住んでた家の裏手は、空き地になっていた。
当時の私の家の隣には広い敷地を所有する地主が住んでて、庭は広く、家は大きかった。広い敷地は道に面してる部分は全て壁で囲われていた。
道に面していない部分の地面には地形的に段差があり、その段差はなぜか石垣で補強されていた。
広い庭には多数の木が植えられており、なおかつ庭の片隅には防空壕跡もあった。
その地主は工場も経営しており、その工場は地主の館の広い敷地内にあった。
で、その工場の裏手が空き地になっていた。
その空き地の隅っこの方に私の自宅が建っていた。親は借地でそこに家を建てたのだ。
その地主の持ち物であった「空き地」は、私の子供時代は使われておらず、ひたすら雑草が生えていた。木も何本もあった。
で、私の家は、その空き地の一角を庭として使っていたのだ。空き地内の一角だったから、地主も何も言わなかった。
我が家の「裏手の空き地」内で「庭」として使ってたスペースはどれぐらいだったろう。
部屋で例えれば4畳半~6畳くらいのスペースだったかもしれない。
庭と空き地部分には境はなかった。なので、庭の先が空き地になっている・・そんな感じだった。
その庭スペースを、私の母は物干し場所代わりに使っていた。
洗濯物を干していない時のその庭は、完全に空き地。
その庭では、私が子供の頃はファミリープールを設置して水につかったり、あるいは夜には天体望遠鏡などを出して月などを見ていた。
庭としての使い道は、そういう使い方が主だった。
だが、その庭には、もう一つ「少年だんぞう」にとって「意味のある使い道」もあった。
その使い道とは・・・「墓地」であった。
墓地とはいっても、もちろん人間の墓などではなく、飼ってた金魚とか、カブトムシなどが死んだ時の墓であった。
庭の地面は土だったので、シャベルなどで簡単に掘れた。
なので、飼ってた金魚や虫が死んだ時の墓にはもってこいだった。
土を掘り、金魚や虫の「遺体」を埋め、その場所には段ボールの切れはしに「金魚のお墓」「カブトムシのお墓」などと手書きで書き、墓に立てた。
ペットというほどの認識は私にはなかったが、それでもたとえ短い間であっても「飼った」ことのある生物の死骸を、ゴミ箱に捨てるなんて気にはなれなかった。
私よりもっと世話好きで、その生き物にたいする知識がある主人に飼われれば、もっと長く生きたかもしれない・・などと思い、せめて墓ぐらい立ててやることで、自分を納得させていたのだろう。
その裏庭を、それ以外の手立てで使ったことは・・・なかったように思う。
そういえば親戚の家に泊った時、その親戚の家は中々大きな家で、しっかりとした庭があった。
その庭にはコンクリートで固めてしっかりつくった「池」があった。
大きさにして畳1畳分もないサイズの池だったけど。
でも、その池では金魚が飼われていた。
家の中で水槽で飼われるのと、屋外で池で飼われるのでは、金魚にとってどちらが幸せなんだろう・・・と思ったこともあったが、さすがに池だと水槽より広いので、金魚にとっては池で飼われるほうが幸せなんだろうな・・とは思った。
ただ、雨が降った時などはどうするんだろうとは思った。
仮に豪雨でも降ったら、池の水はあふれてしまうのではないか・・とも。
まあ、そんな時は池にフタでもすれば、ある程度防御できたとは思うが。
できればそんな池が我が家の庭にもあったら嬉しかったが、いくら空き地だったとは言え地主の所有する土地の一角にコンクリートで固めた人工池など作るわけにはいかなかった。
なので、我が家の庭は、通常はひたすら「物干し場所」、たまに「天体望遠鏡」の設置場所、さらにたまに「虫や金魚のお墓」としての「使い道」であった。
庭のある家に住んでた人たちは、庭をどんなふうに利用していたのだろう。
特に都心の家に住んでた人は。
まあ、庭の広さにもよるのだろうが・・。
これがもし田舎だと、庭の広さも格段と違ってくるし、色んな使い道もあったのだろうね。
例えば近所の子供たちの遊び場とか、あるいはガーデンパーティとか。
昔、私のバンドメンバーのひとりの実家が山口県にあったのだが、その人の実家にバンドメンバーのひとりと私とで一緒に遊びに行ったことがある。
もちろん泊りがけで。
そうしたらかなり歓迎され、広い庭で私らのためにバーベキューパーティを開催してくれたことがあった。
そうしたら近所に住む子供たちまで集まってきて、そのバーベキューパーティに参加してきた。
田舎の広い庭ならではの展開だなあ・・・と思って、ちょっと羨ましく思った覚えがある。
そんなの、私の住んでた家の「空き地内の狭い庭」では、無理だったもの。
地方に旅に出て、庭の広い家などを見ると今でもうらやましく思うし、同時に、その庭を普段はどう活用してるんだろう・・などと思うことはある。
当時の庭の用途は、だんぞうさんちとほぼ同じでしたね。私も池や山で捕まえて来て早々に死なせてしまった小魚やカエル、昆虫たちのお墓を庭の隅にあった柿や枇杷の根元に作ってました。主に墓標に使ってたのは当時よく食べていたアイス「ホームランバー」のはずれの棒(笑)でした。最初はマジックでケロちゃんとかカブ太郎とか適当に付けた名前を書いてたのですが、父から「縁起が悪い」と叱られて、以降は綺麗な小石やビー玉を置くようになりました。
やっぱり埋める時は、自分が捕まえなければ長生きしたんだろうな・・・子供なりにそんな事考えちゃいましたね。
今思えば庭というよりも、家の裏の空き地って感じでしたが、子供の頃は自分だけに見える世界がそこにはあったような気がします。
そう、例えば野良猫やイタチ、カナヘビ、アオダイショウなんていう猛獣や怪獣のいるジャングルだったり、見たこともない虫のいる宇宙の果ての惑星だったり(笑)
私が子供時代に住んでた家の庭は、せいぜい四畳半から六畳くらいでした。
洗濯物を干したら、あきスペースはあまりない庭でした。
虫や金魚の墓は、庭の隅っこにつくりました。
ホームランバーの棒、よくわかります。
なるほど、それもありですね。
でも、それは大人には縁起悪く見えるんですね。
そういや、私がつくった墓も、気がつけばいつしかあやふやになってました。
親に片付けられたのかもしれません。
親は、埋めた金魚や虫の死骸を掘り起こしたりはしなかったと思いますが(笑)。
ジャングルですか。いいですね!
私の家の庭は、とてもじゃないがジャングルなんて連想ができるような場所ではありませんでした。
捨丸少年にそういう空想を与えられた庭がうらやましいです。
私もそんな庭がほしかったなあ。