時間の外  ~since 2006~

気ままな雑記帳です。話題はあれこれ&あっちこっち、空を飛びます。別ブログ「時代屋小歌(音楽編)(旅編)」も、よろしく。

「曲作りが好き」と言うか言わないかの違いって・・?

2014年04月30日 | 音楽活動

曲を作る時って、1曲が1度に一気に出来上がることは、私の場合めったにない。

そう、本当にめったにないのだ。

何かをしてる時・・・例えばギターをポロポロ弾いてる時はもちろん、町などを歩いている時などにも浮かぶことはあるが、浮かぶのは大半は「曲の断片」でしかない。

そのまま流れてしまうこともあれば、浮かんだ時に「これは使えるかも」と思ってどうしてもキープしておきたい時は、昔は録音できるハンディレコーダーを持ち歩いていたので、そのばで鼻歌で録音したりした。レコーダーが無い時は、仕方なしにそのへんにあった紙などに五線譜を殴り書きで書いて、そこに音符を書いたりしてキープした。

本当に納得できる「断片」は、案外メモらなくても少なくてもその日一日ぐらいは頭の中で鳴ってたりするので、帰宅してからポロポロとギターを弾いて、レコーダーに録音しておいたりした。

その時代が長かったのは、やはりカセットの時代とMDの時代。

特にカセットの時代は、その期間が長かったせいもあり、曲の断片をメモったカセットの数は、数えきれないぐらい溜まった。

 

で、録音したメロディメモ音源は、その後若干放置ぎみになる。

だが、たまに聞き返す。聞き返すと、覚えてる断片もあれば、忘れてた断片もまた蘇る。

 で、今作ろうとしてる曲に、過去のストックの「断片」が使えないか、合わないかを考えてみたりする。

たいがいは合わない。だが、まれに・・ごくまれに取り入れることができることもある。

そんな時は、一気に曲を作ろうとしている時には思いつきそうもない展開を、曲に組み込むことができたりする。

すると、断片のストックは晴れて陽の目を見ることができ、出番を得る。

断片の貯金が活きる瞬間だ。

 

よく「曲が浮かぶ」という表現があるが、それは大半が「曲の断片」が浮かんだにすぎない。

断片ぐらいなら、曲を作る人ならかなり数があるはず。

難しいのは、その断片をどう活かしていくか、どう展開させていくか・・・で、実はそこが一番難しい。

最初に浮かんだ断片から連想される「イメージ」が、曲を展開させていく途中で死んでしまったり、しぼんでしまったり、形を変えていったりすることもあるから。

なので、「浮かんだ」からと言って、それは「曲が増えた」ということにはならないのだ。

完成形まで持っていけるのは、浮かんだ断片の・・・よくて1割ぐらいかもしれない。

ストックの90%は、断片のままだったりする。

 

 

はっきり言うと、曲を作る趣味のない人でも、曲の断片が浮かぶことはあるのではないだろうか。

それは、その場限りの「鼻歌」でもいいし、口笛メロディでもいい。

ただ、それを完成曲に持っていくかどうかなのではないだろうか。

「曲作りが好き」と言うか言わないかの違いは。

 

 

 

曲作りでは、まれに・・・・

浮かんだ断片が、そのままその場で自然にどんどん展開していき、一気に完成形に近いところにまで持っていける場合も・・ある。

特にそれが、歌詞とメロディが同時に浮かんだ曲である場合、完成した時に、作者が感じる「出来」は良い場合は多い。

それは、それこそ「曲が降りてきた」状況なんだろうと思う。

 

 

曲作りをする皆さん、さぞかし「曲の断片」のストックは、けっこう放置されて溜まっているのではありませんか?

そして・・

結局、陽の目を見ないまま埋もれてしまう断片が・・・大半なのではありませんか?

 

それともそれは・・私だけかなあ・・・。

 

 


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